アーシェラ・メルテ・ワイヤードの魔法講座
「ど、どうしてここに?」
「あ、ごめんなさい。アーシェラ様の事をケント先生に聞いたら、今日はこちらにいらっしゃると伺ったので・・・えっと、ご迷惑でしたら出直します」
驚いた表情のアーシェラに、ユーリは自分の行動は失敗だったかと考える。
ケント教諭曰く、アーシェラは教員資格を所持しているが、七賢者の立場上ほとんど教員としての活動はしておらず、この教員棟の部屋にも姿を現すことは殆どなかった。しかし、今日今朝早くにケント教諭が教員棟の廊下を歩いていると、早足で奥へ歩いていくアーシェラを見かけて驚いたとの事だった。「何か思うところがあったのかも知れませんね」とも言っていた。
そこで、アーシェラが何かの理由で教員としてのやる気を感じている可能性に掛け、ユーリは執務室の扉を開けたのだった。勢いで、捻じ込もうと考えていた。
(いきなり出鼻を挫かれた・・・)
気を落としたユーリが出直そうかと後ろを向こうとした時、アーシェラは咳ばらいをして続けた。今日も最初に出会った時と同じ、白と青の服を着ている。
「いや、別に大丈夫だよ。でも、いったい何の用だい?」
(よし!)
ユーリは気合を入れ、頭の中に作り上げた台本を丁寧に読み上げ始める。
「はい。大変失礼なお願いかも知れないのですが、どうしてもアーシェラ様に魔法を教わりたいと思っているんです。初めて会った時に魔法を見せていただいた事が忘れられなくて・・・。それに、私の事を気にかけていただきました。あの時は戸惑ってしまいましたが、確かに私はそういった危機感が薄いところがあるかも知れないと思いなおしたんです。魔法を学びたい理由も、自分の身を守れるようにしたいという気持ちがあります。そう考えた時、同じ女性で人生経験も豊富な、七賢者という立場から今の私では考え付かないようなご指導をしていただけるのではないかと思ったんです」
何十社と受けた、就職面接のスピーチ経験が生きる。志望動機、入社後の考えを語り、面接官の自尊心をくすぐる。多くの現代人が所持しているスキルの一つだった。
だがここは面接会場ではない。禁止事項などはない筈だ。畳みかける。
「これ、アーシェラ様がお話されていたマカレルサンドです。今朝、私が作ったもので恐縮ですが、ちょうどお昼の時間ですのでご一緒に如何でしょうか」
アーシェラはまだ落ち着かない様子だった。いや、今サバサンドの話が終わったあたりで、少し身を前に乗り出していた。好感触の兆候だ。
(人生経験は、異世界でも役に立つ・・・)
だが、これ以上続けるのは良くない。主張が強すぎたり長すぎたりすると、それが本心か疑念を生じさせてしまうし、誇張した部分が目立ってしまう。ただ、ユーリの発言の内容は全て本心だったが。
返答を待っていると、アーシェラが鼻から息を吐いて力を抜いた。表情も柔和なものになる。
「・・・いいよ。ボクもキミくらい魔法に興味を持った子に教えるのは、やぶさかじゃないと思っていたところだしね」
「ありがとうございます。あ・・・」
勢いづきすぎて、名乗るのを忘れていた。
「ごめんなさい!私、ファーストネームをお伝えしていませんでしたよね」
これで前言を撤回される事は無いと思うが、悪印象を残したくない。
「私はユーリっていいます。ユーリ・アヤセ。ユーリと呼んでいただけると嬉しいです!」
精一杯の笑顔を作り、斜め30度の敬礼をする。
「・・・そんなにかたっ苦しい挨拶はしなくていいよ。もっと気楽にしてくれると助かるかな。ここは他に誰もいないし・・・ボク達は女同士だしね」
冗談っぽく言うアーシェラのくだけた笑顔を見て、思わずユーリも自然な笑みを浮かべたのだった。
「例えば水魔法なら、キミの言ったように激しく動かすことで刃のように使えるし、それを回転させれば切削のようなこともできる」
持ってきたサバサンドで食事と小休憩をした後、アーシェラからの提案で既に授業が始まっていた。
話の合間に乾いた口を紅茶で潤しながら、黒板を使って上機嫌に説明するアーシェラの話を聞く。ユーリは熱心にメモを取っていた。日本
語でだが。
(それにしても、まだ顔がニヤついてる。そんなにサバサンドが好きだったんだ。それなのに20年近くも店に寄らずに食べなかったなんて・・・)
アーシェラが望むようであれば、明日も作ってこよう。
マンツーマンであるため、家庭教師のような質疑応答になっていた。疑問点をユーリが伝え、アーシェラが答える。
魔法の知識は元の世界のゲームや漫画などで得ているものなので、基本的な属性の種類を改めて確認し、自分に向いていると言われた水と雷の応用として、どんなことが出来るのかをユーリは質問をしていた。発想力を誉められたが、子供のころに読んだ物語の知識であること、それが現実に利用できるのかは理解していない事を伝える。
雷の魔法であれば、電気ショックのような使い方が一般的で、相手に致命傷を与えすぎずに無効化することができること、発動から効果の発生が短い事から護身用としておススメであるとのことだった。
「でも、ボクは出力の調整があまり得意じゃないから、雷の魔法を使うと一般人なら焼け焦げにしてしまうかも知れないんだよね。キミの制御力なら、微弱な雷を使ってマッサージをすることもできると思うよ」
というような冗談を、アーシェラはおどけた様子で言っていた。電気マッサージを使える女性の魔法使いは、貴族の令嬢や奥方をターゲットにした営業ができるため、それだけで将来は安泰だとも。
「他にも、美容師が光の屈折で鏡を作ったりすることもある。ボクも利用した事はあるけど、希望のヘアースタイルと客の顔を映し出してカット後のイメージを見せたりする事が出来る人も居るよ。まあ、常連客ならともかく見たばかりの顔を映し出すような事をするのは相当な修練が必要になってしまうと思うけど」
自分でも光の屈折魔法をそこまでに昇華しようとは思わないとアーシェラは付け加える。美容師だとしても常連客が増えればいいので、初回の人に常連客になってくれるように営業するだけで十分だった。
(本当に、魔法が生活に密着してるんだな・・・)
そう思ったところで一つの疑問が湧く。
「そういえば、魔法は魔法は手のひらから出すものなんですか?ヒールの魔法は手をかざすようにしていたんですが、身体強化の魔法だと腕や足に意識を集中させるので・・・」
「いい質問だね。実際には人間はどこからでも魔法を出すことができるよ。大道芸人なんかは口から火を出したり、剣の先から水を出したりしたパフォーマンスに使ったりする人もいるね。だけど、一番使いやすい魔法の出力元はやっぱり手のひらかな」
「それは、どうしてですか?」
「ふむ。じゃあちょっと、ユーリの手を握ってもいいかな?」
近づいてくるアーシェラにユーリは右手を差し出す。
「大丈夫です。どうぞ」
「じゃ、ちょっと失礼するよ」
握手の形をとると思ったユーリだったが、アーシェラは同じく右手を差し出して指を絡ませるようにしてきた。ユーリの手の神経がアーシェラの細い指でなぞられ、くすぐったい。気恥ずかしさを感じる。
(ちょっとドキドキするな・・・)
「次は、膝を触らせて貰うよ」
「は、はい・・・」
膝はもっと恥ずかしいような気がしたが、受け入れる。気分の悪さはないどころか、握った手が離される瞬間に名残惜しさを感じてしまった。フランしかりだが、世の中の女性同士でボディタッチが多い理由の鱗片を感じた気がした。
アーシェラの右手が膝に触れられる。若干くすぐったいと感じたが、手の時と違って感覚は薄い。よく考えると神経の量が違うのだから当然か。
「違いがわかったかな?」
「はい。手のひらには神経が多くて、膝には少ないからでしょうか?」
「うん、そうだね。でも少し補足すると、普段から意識を集中させているかどうか、それがしやすいかどうかって事なんだ。物を持ったり文字を書いたり、水の温度を測ったりこうして人に触れたりするとき、人間のほとんどは手を使う。自然と意識を集中させることが多いだろ?だから、魔法を出力する場所としてもイメージがしやすいんだ」
「練習すれば、他の場所からも魔法がだせるんですね」
「だいぶ効率は落ちてしまうけどね。あと、目鼻耳口は他の五感があるから意識はしやすいけど、無意識に粘膜を保護しようとしてしてしまうから、できない人は修練してもできない。触覚がある足の裏とかの方がまだ簡単なんじゃないかな。ボクはできないけど」
アーシェラでもできない事はあるのかと意外に思ったが、効率が悪く不要な手段を覚える者も少ないだろう。
「あれ、でもそれだと剣の先から水を出したり、他の物の重さを操ったりできるのは・・・」
「意識を集中って言ったけど、それは別に自分の身体に集中するって訳じゃなくて『魔法でそれが実行できる』ってイメージがしやすいかどうかって事なんだ。剣とか杖を手に持った時、身体の延長のように感じる事ができれば、身体と同じようにそこから魔法が出力できる。重さを操る場合は、物を持ち上げられるって事が理解できていれば他は同じ感じかな」
「それはつまり・・・イメージできることは何でもできるって事なんですか?」
この世界で想像していた魔法の概念が、ユーリの中で巨大なものに膨れ上がった。ケント教諭の説明や、貸し出された教科書には載っていなかった。冷や汗を感じている。
「そう、理論上はね。それはとても興味深いと思わないかい?」
アーシェラはうっとりとした表情をしている。
「お、思います。でも、少し怖さもありますね・・・」
未知のものへの恐怖感はあるが、それ以上にユーリの中で期待が膨らんでくる。しかし、アーシェラは肩を落としながら、お手上げのポーズをしてきた。
「まあ、実際に魔法で出来る事は人間の想像力の範囲内の事だし、想像できるからって実行できる訳じゃないんだけどね」
「え、それはどうしてですか?」
「それはね・・・」
答えを焦らすアーシェラを、ゴクリと喉を鳴らしながらユーリは待つ。
「その事象を実現するには、人間の身体の中の魔力が足りないからさ」
(・・・・・・)
至極単純な理由だった。元の世界の創作でもよくある話だった。
「別に魔力を使い切ったところで、身体が疲たり壊れたりするような事はないんだけど、人間の身体の魔力容量は大小あれど無限じゃないからね。その昔、過去に戻る魔法を考案した偉大な魔法使いが人生を賭した結果は、1秒前に戻ることが限界だったって伝説がある。その話聞いて、同じように試そうとした人物がいたのか、今もいるのかはわからない。でもさ」
結局この世界で使える魔法は、意外と地味なのものなのかもしれない。ユーリは頭ではそう思ったが、心は別の感情で支配されていた。
アーシェラはユーリにニヤリとして見せる。
「1秒の時を戻ることができるなんて、面白いと思わないかい?」
ユーリはアーシェラを見て、ニヤリと笑った。
「・・・確かに」
それに、想像できることは理論上なんでもできるということ。それは男の姿に戻る事も不可能ではないということだ。