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呼び方の違い

 「急がないと・・・」

 昨日昼間に寝てしまったせいで朝方まで寝付けず、アーシェラが目を覚ましたのは昼過ぎだった。

 朝早く起きてアヤセを探し、それとなく会話する機会を窺う計画だったが大幅に出遅れた。

 今は普段着ているような服ではなく、魔法学校のブレザーを着ている。学校区内で行動する場合は、こうやって変装する方がが目立たないからだ。それに、アーシェラはこの制服見た目を気に入っていた。

 髪を整え、服を着替えている間にも時間は経過し、今は既に午後の授業時間も終わっている。既にアヤセは帰宅してしまっている可能性もあった。

 (それに今は、空腹に耐えられそうにない。アヤセを探すのは今日は諦めた方がいいかな・・・)

 それでも、どこかで彼女に会えるのではないか、と期待を捨てられずにいるのだが。

 廊下を進み、学食の入口へ入る。入り口側の壁際が主菜や副菜などの食事系、逆サイドに甘味や飲み物などを提供する窓口が並んでいる。混んでいる昼間であれば食券を使う必要があるが、この時間であれば現金での支払いが可能だった。

 放課後の時間帯である現在は食事系の窓口は閉じており、洗い物の音だけを響かせている。アーシェラは甘いもので空腹を満たす他なかった。自分は仕方なく、甘いものを大量に接種するのだと言い聞かせる。

 ケーキ、クッキー、ビスケット、シュークリーム、そして渋めの紅茶。過剰な甘味であるが、背に腹は代えられない。急いで食べてアヤセを探さなければ。いや、ケーキだけ食べてあとは食べながら探すのがいいかもしれない。

 (ボクは決して、栄養を疎かにして甘いものを大量にを摂取することに喜びを感じてはいない・・・。今は・・・目的を達成するためには、これが最も効率がいい選択の筈だ)

 今の食堂には甘ったるい香りが充満している。席に座っている全員が女生徒で、男子生徒の姿は見当たらない。この時間は女生徒の占有空間となるのが、暗黙のルールになっていた。そのせいで甘味菓子だけが立ち並び、余計に男子生徒は遠ざかってしまったのだ。

 甘味菓子を好む男子生徒も少なくはないが、空間的に居づらいようで冒険者通りのカフェに流れていっているのだ。

 入り口の掲示板に書かれたおススメ、定番を見比べる。

 「よし」

 どの甘味菓子を購入するかを十分に吟味して決めると、アーシェラはケーキの販売窓口に向かおうとした。

 「あれ、ユーリっちじゃんー」

 若干間延びした声が聞こえる。今の空腹度であれば油淋鶏も悪くないと思った。いや、アーシェラも言葉の意味は理解していて、音から連想されただけだ。

 (ユーリ、という名前に『っち』を付けて親みを込める呼び方だね・・・)

 声のする方向に目を向ける。アーシェラの見知った横顔が目に入った。昨日の黒い服ではなく学校指定のブレザーを着ているが、その少女を見間違える訳がなかった。

 「アヤセ?」

 つまり、彼女のファーストネームはユーリという事だ。思わぬところで呆気なく目的を達成してしまったためか、達成感は全く感じなかった。それどころか、少し気分が落ち込むのがわかる。理由はわからなかった。

 しかし、これは僥倖だ。期せずして名前もわかったし、声をかけるチャンスも巡って来た。甘味の事は置いておいて、彼女に声をかけよう。

 友人と話しているようだが、大丈夫だろう。

 「・・・ユーリ。うん」

 口の中で名前を呼んでみると、何故だかしっくりくる。呼べる。

 『アヤセ』ではなく『ユーリ』と声をかけてやろうと、アーシェラは決めた。

 アーシェラが足を一歩前に出そうとしたとき、ユーリの声が聞こえた。昨日と同じ声だ、実は他人の空似という事もなさそうだと思った。

 何故か足が止まってしまった。

 「ジェシーとプリシラは?」

 昨日アーシェラが初めて会った時と同じように、ユーリは呼び捨て誰かの名前を呼んだ。ただそれだけだったが。

 『アーシェラ様!』と、頭の中でユーリの声が響いた。

 (そうだ、彼女たちは同世代で同じ学生だけど、ボクは115歳で立場も全然違うじゃないか・・・)

 思考はゆっくりとしたものだったが、それとは裏腹に身体は素早く動いていた。身体を翻し、早足に食堂からでていく。自分の意志とは別に、身体が勝手に動いているかのように感じた。

 自分自身はユーリと会話をしたいと思っているのに。

 アーシェラは今の自分の思考、行動に混乱もしていた。

 (あれ、ボクは何をやっているんだ?何がしたいんだ?別に、ユーリに近づいて話しかければいいだけじゃないか。昨日の事、言い方がキツかったと謝って)

 足は止まらない。

 (キミはユーリ・アヤセって名前だったんだね。ユーリって呼んでいいかい?と気安く声をかければいいだけの筈なのに)

 気付いたときにはアーシェラは学校区内から出て、貴族達が利用する区画まで移動していた。城から自分の屋敷との連絡通路となっている石造りの橋まで来ると、冷たい風が頬を撫で、スカートの中に入り込んで下腹部から足を冷やしてくる。

 アーシェラは、100年以上の間人間関係を疎かにしてきた。人と接する事はあったが、それは大人として政治や魔法研究に関するものでしかなかった。子供のころも魔法に打ち込みすぎて親しいと言える者は居なかった。

 大人として最低限、人と普通に接することはしてきたため本人も気付かなかったが、アーシェラ・メルテ・ワイヤードは自分の感情と向き合って生きてこなかった。そのため、今の自分の感情が理解できなかった。


◆ ◆ ◆


 今日一日、勉強と労働をこなしたユーリは充実感に満たされていた。

 前の世界ではより長時間働いていたし社会貢献できていたと思うが、この違いはどこから来るのだろうか。

 今日の入浴は持ち回りでユーリが最後であるため、湯船は既にぬるくなっており入ることはできずに身体を拭くだけだった。それでも、気分が落ち込んだりはしなかった。

 (うーん、女将さんもフランさんも、シャンプーとかトリートメントとかは使ってないんだよなあ)

 トリートメントはともかく、シャンプーは使いたいとユーリは思っていた。売ってはいるようだが、そこまで気に掛ける平民は少ないようだった。『ユーリ、アンタ乙女だねえ!』と女将のテーティスは笑っていたが。

 今の手持ちではあまり余裕がないが、貯金が貯まったら買いにいこうと思う。しかしそれよりも先に購入するべきものがあった。下着だ。

 元々着ていた上下は割と良いもののようで長持ちしそうではあったが、毎日同じものを使う訳にはいかない。

 今日の分も明日の分も、恥ずかしながらフランから借りていた。

 (でも、サイズが合わないんだよな・・・)

 フランの胸囲も尻回りも、ユーリと比べて二回り程度は大きい。幸い腰回りは同じくらいのため、履くことはできた。感覚的にはトランクスを履いているような感じで落ち着かない。男だった時はトランクス派だったが、今考えると何故気にならなかったのだろうかと不思議に思った。

 胸の方は調整可能なものを借りているため、最低限の機能はあったがどうにもポジションが安定せずに気になってしまっていた。

 また一つ、女性の大変さを理解したユーリは女性への尊敬の念が一段階あげるのだった。

 テーティスからの好意で渡されたブカブカの寝間着に着替える。亡くなった旦那さんのもので、他に無くて申し訳ないと謝られた。申し訳ないと思うのはユーリの方もだったが。寝間着も早く買わなければいけない。

 金の大切さを改めて思う。足りなくなって初めて感じるものだ。初めて就職して一年目の頃を思い出す。その後いつの間に忘れてしまったのだろう。携帯ゲームや使いもしない物をたくさん買った記憶がある。楽しい思いを得たものもあるが、後悔したものも多い。

 脱衣所から廊下にでると、フランが階段を登って来たところだった。眼鏡をかけている。

 「あれ、フランさんって目が悪いんですか?」

 「うん。普段は矯正レンズをつけているんだけど、寝る前は外して寝ないといけないから」

 矯正レンズというのはコンタクトレンズのようなものだろうか。微妙に言葉が異なる。この世界の技術水準は思ったよりも高いようなので、ユーリはあまり驚かないようになってきていた。魔法という存在もあるのだ。多少技術は違っても、似たような物が発明されるのは当然だろう。

 逆に、この世界に無くて現代にしかないものは何なのだろうか。

 (そういえば、飛行機みたいなものは見たことないな・・・)

 港町のため空を飛んでいるカモメは見かけるが、他に空を飛ぶようなものは見かけなかった。飛空艇といったファンタジーな乗り物は無いのだろうか。

 (あ、アーシェラ様も飛んでたけど)

 「あの・・・ユーリちゃん?」

 「あ、ごめんなさい。ぼーっとしちゃって」

 「それは仕方ないよ。疲れちゃってるんだと思うし」

 確かにそうだろう。環境の変化にもまだ慣れない。文字の勉強をしなければと思っていたが、まだ手を付けられていなかった。今日も早く寝よう。

 「あ、そうだ。ユーリちゃんはわたしの事をフランさんって呼んでくれるけど、もっとフランクに呼んで貰えると嬉しいんだけど・・・ダメかな?」

 「私の方が年下だけど、いいの?」

 「どうして?全然きにしないよ」

 世間に年功序列というもの文化がないのか、フランの性格なのかは分からなかったが、一緒に暮らす年の近い者同士で気を使わない方がいいのかもしれない。

 「わかった。じゃあ、改めてよろしくね。フラン」

 「あ、えっとそうじゃなくて」

 (えっ、違うのか?)

 想像が甘かったか。異世界の文化、女性文化をまだユーリは理解しきれていないのだろう。

 「じゃあ、なんて呼べばいいかな?」

 郷に入っては郷に従え。ミッチ達のようなギャルであれば、『っち』などといったあだ名で呼び合う訳だし、前の世界でも同じ文化がある。ユーリは昔、油淋鶏とかユリちゃんといったあだ名をつけられた事を思い出した。子どもの頃は不快に思った事もあるが、高校を卒業したあたりで気にならなくなっていた。

 「えっとね」

 突然、フランがバッと両腕を広げた構えをとった。腰は落としていないが相撲にも見えるし、何故か不思議と寿司を連想させるポーズ。そういえば、ラケシスとフランがハグをしていた事を思い出す。

 「おねえちゃん、って呼んで!」

 (何で!?)

 つまり、このポーズはユーリにハグを求めているのだろう。その大きな胸に飛び込んでこいと。断りづらい空気。

 そうして欲しい理由はわからない。その行動にあまり理由もなさそうに思える。

 それよりも、女性の身体に触れるのはやはりまだ気が引ける。

 「た、たまに。でもいいかな?」

 「うん、もちろん!」

 フランは目を輝かせながら、さあ!と言わんばかりに手を動かしている。

 少し待てばハグのポーズを解除するかと思い待ってみたが、フランの目の輝きも手の動きから伝わる情熱も保たれたままだった。

 「・・・お、おねえちゃん」

 ユーリが諦めて軽くフランに抱き着くと石鹸の臭いが感じられた。直後、フランがぎゅっと力を込めてユーリを抱きしめる。

 柔らかさを感じるよりも、少しの気恥ずかしさと温かさを感じた。が、想定していたドキドキ感や興奮は感じられなかった。

 (うーん・・・身体が女になってるせいなのかな?)

 そうなると、男性の身体にドキドキしたり興奮したりするようになってしまっているのだろうか。それは何となく嫌だ。

 (おねえちゃんか・・・)

 綾瀬悠里には少し年の離れた姉が一人いたが、姉が大学に入学してから一度も会っていなかった。おねえちゃんと呼んだ記憶もない。

 なんとなく過去を振り替えようとしたところ、最初にアーシェラの顔が浮かんだ。

 彼女はアーシェラと呼ぶように言ってきたことから、その名前を気に入っているのは間違いないだろう。だが、アーシェラ様とアーシェラのどちらで呼ばれたいといった希望はあるのだろうか。

 まだアーシェラの事がよくわからないユーリには判断が付かなかった。もっと相手の事を知らなければ。

 (明日、実技研修の指導をお願いできるか聞いてみようかな・・・)

 七賢者と呼ばれる上位貴族にお願いができるものなのかわからないが、ケント教諭に確認してみよう。

 そうだ、朝一番にテーティスにも相談してみよう。サバサンドを手土産に持っていけば、胸襟を開いてくれるかも知れない。

 フランに抱きしめられたまま、ユーリはアーシェラ攻略の作戦を組み立てた。

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