看板娘
「いらっしゃいませー!3名様、ですか?」
ユーリが声を張り上げながらキッチンの女将を振り返ると、女将のテーティスは後ろを向いたまま右手を挙げて親指を立てた。まだ席を埋めてもOKという事だろう。
「お席にご案内します!こちらへどうぞ!」
給仕服に身を包んだユーリが、冒険者風の男性2名と女性1名を席に案内する。
それなりに広い店内の7割が埋まっていた。今までは料理を女将一人で捌いていたため半分程度までしか客を入れないようにしていたらしい。
ユーリは主に酒など飲み物の給仕と料理の配膳、注文の受付、来店した客の案内をほぼ一人でこなしていた。
料理の配膳については、酒場の奥側エリアを娘のラケシスがこなしている。9歳の彼女だが、どうしても母の手伝いをすると言う事を聞かず数年前から勝手に給仕をしているとのことだった。今では立派な看板娘の笑顔で、強面の冒険者たちを笑顔にしていた。
居酒屋でのバイト経験が生き、役に立っているという事実がユーリの自尊心をくすぐり、仕事へのモチベーションを上げていた。
「ん~、ユーリちゃん。麦酒おかわり~!」
「はーい!」
「リサ、アンタもうベロベロじゃないか。飲みすぎるんじゃないよ」
麦酒を注文してきたのは今朝出会った魔法使い風の冒険者リサだった。同じテーブルに座る戦士風の冒険者であるマナがリサをたしなめるが、そういうマナは指を2本立ててちゃっかりと自分の麦酒も注文してきていた。
(ふたりとも、もう8杯目なんだけどなあ)
そう思いながらユーリは麦酒を2人に提供して、入り口側のテーブルへ移動する。
静かに座る大柄な男性だが、長髪を紫色のメッシュに染めて軽い化粧と口紅を引いている。顔つきは美形の部類ではあるが、少し変わった風貌の冒険者だ。動作の一つ一つが洗礼されており、美しい。
「ワインのお代わりをいただけるかしら?」
テーブルを見ると、名札の付いたワインボトルが空になっている。名札にはベナスと書かれていた。
「はい。ポトーニュのワインなら、まだ大丈夫です。すぐにお持ちしますね!」
「ありがとう。お願いするわ」
上品な女性の言葉遣いを話すこの男性はベナスという冒険者だった。胸に下げる冒険者ギルドの等級証明書はブロンズだが、シルバー等級といっても遜色のない優秀な人と先ほどテーティスに聞いた。
「綺麗な人だよね」
ポトーニュ地方産のワインを開けていると、フランがベナスを憧憬の目で見ながら言ってきた。
「ああ、美人なのに鼻にかけた感じもないし、高嶺の花ってああいう人の事なんだろうね」
とテーティスが続ける。どうやら、この世界はそういった個人の趣向にも寛容さが定着しているのだろう。それであれば、男性同士の女性同士の恋愛も一般的なものだろうか。
「あの、女性同士で恋愛する人って多いんでしょうか?」
「ん?急にどうしたんだい。んー、まあそうだね。多いって訳じゃないし、子どもを作ることが出来ないことに反対する人も多いけど、制度としては同性の結婚も一般的なものだよ。アンタの国じゃ、なかったのかい?」
「えっと、そういうのは、まだなかったですね・・・」
ユーリ自身は異性愛者であり、あまりそういった事に積極的に興味があったわけではない。だが、女性の身体になった事で身近な問題となってしまった。
そういった会話をしていると、近くのテーブルに1人で座っている冒険者が声をかけてきた。40歳は過ぎているだろう。なかなかに酔っぱらっているようだ。等級証明書はシルバーだった。
「なんだねーちゃん、女同士が好きなのかあ!?勿体ねえなあ!!」
下衆な物言いをされて気分が害されたが、笑顔で返しておく。
「いえ、そういう意味では無いんですが・・・」
実際のところユーリの性的指向としては女性であるので、そういう意味では無いこといった事は嘘になるが。
「おお、じゃあ俺が嫁に貰ってー」
「ベンゼルさあーん!?アンタ、うちの看板娘に手を出す気じゃあないだろうね!出禁にするよ!」
「じょ、冗談だってば。テティちゃん!」
熱されたフライパンを振り上げてテーティスが怒鳴ると、ベンゼルは弁明する。
今日働いているうちに聞いた話から考えると、たとえ酔っぱらっていても、シルバー等級の優秀な冒険者であるベンゼルがテーティスに一撃入れられるようなことは無さそうに思える。下衆な物言いをする男ではあるが、根が悪い男ではないのだろう。
(看板娘って言われるのは、なんか照れくさいな)
着替えるときに再度鏡を見た時も確かにユーリも自分を美少女だと思ったが、他人から色々と言われるのはまだ慣れない感じがした。
視線で助け舟を要求するベンゼルに対しては笑って返しておく。行いは反省するといい。
「しっかし、フランちゃんとユーリちゃんのおかげで、店も華やかになったねえ」
「ラケシスちゃんもねー」
5人でテーブルを囲う男女混合の冒険者のうち、女性の2人が声をあげる。言いながら料理を運んできたラケシスの頭を撫でていた。
バイト先にここを選んでよかった。ユーリはこの数時間で心から思った。少し前の時間はアルコールの注文で慌ただしかったが、今は少し落ち着いて各テーブルが団らんモードになっている。
「看板娘が3人も居るんだもんなあ」
満足げなラケシス、ユーリとフランは困ったように目を合わせる。
だが、穏やかな気持ちになった瞬間、テーティスの大声が響いて我に返る。
「違うだろ!」
何事かと、店全体が静まり返りテーティスの方に視線を集中させた。
「看板娘は、4人だよ!」
よく通る声で言い放ち、ニカッと笑うテーティスの右手の親指が女将自身を指していた。
ふと、ユーリは昼間のアーシェラの言葉が思い出した。
『昔、一人娘がここに通っていた時に分けてもらったんだけど』
女将も昔は看板娘と呼ばれていたのだろう。だが、彼女は今でも自分は看板娘であるとの主張だった。
意味を理解した常連客達が笑うが、テーティスは「今のは笑うところじゃないだろ」と心底不満気だった。
ユーリは思った。テーティスは看板娘だし、ベナスはとても美しい人だと。
そして自分はどうだろうとも考えたが、答えは出なかった。
アーシェラは自分をどう見ているのだろうか。