44 覚醒
その後、仕事はあっけないほどすぐに終わった。
そこらの魔物は僕の相手ではないし、セレも何度か改訂した手順書によって、転移装置の設置時間や現場の作業員に手順を伝える時間を大幅に短縮していた。
僕が周辺の魔物を片付け終える少し前に転移装置の設置が完了していて、宿に戻ると、待っていたのはウィリディス皇帝陛下御本人だった。
「陛下がどうしてこちらに?」
宿の最上級の部屋は僕たちが使っているため、陛下が座ったのはその部屋のリビングのソファだ。
「勿論、謝罪と今後について話をするためだよ」
「何も陛下が直々に……」
僕が言い終わる前に、陛下は立ち上がり、なんと僕に向かって頭を下げた。
「陛下!?」
「大変申し訳無いことをした。勇者とその仲間に危害を加えたものには厳罰が下ると、先に知らしめるべきであったのだ。今後、このようなことが起こらぬよう誠心誠意尽くす。これで今回は許してもらえないだろうか」
陛下の声は誠実さに満ちていた。
「顔を上げてください。陛下が謝罪されることではないでしょう」
「いや、私の責任だ」
責任者は陛下であるとセレも言っていたが、まさか陛下が謝罪に来るなんて考えてもいなかった。
「犯人たちのことはまだ許せませんが、この件に関しての謝罪はもう十分に受け取りました。今後も仕事は続けます」
僕は自分でも意外なことに、ここまでされてもまだフェリチに手を上げた連中が許せなかった。
本人たちが事を真摯に受け止めて本当に心を入れ替えるか、十分な罰を受けない限り、多分一生恨んだままだろう。
「謝罪を受け取ってもらったこと、感謝する」
陛下はようやく頭を上げてくれた。
今後について、陛下と話し合った。
先ずは、僕と仲間に危害を加えれば厳罰があるという話を広めるための期間が設けられた。
それが約半年。
ウィリディス以外の国にも周知するため、本来なら最低でも二年は欲しいとのこと。
「半年あればウィリディスと近隣国には広めることができる。その後一年半の間の仕事場所はウィリディス国内と隣国のみに限定する」
近隣国、という言葉で僕はスルカス国を思い出した。
あの国の連中の一部は、僕が勇者の称号を得たと聞いたら、厳罰など頭の片隅にも置かずに、余計に危害を加えてきそうだな、などと想像してしまった。
「なにか懸念点が?」
余所事に気を取られていることを陛下に勘付かれたので、僕はそのままスルカス国の名前を出してみた。
「ディール殿が心配するのも尤もだな。しかし、安心を。あの国にディール殿は派遣しないと決まっている」
「どういうことですか?」
ドラゴンが暴れたり貴族制を廃しようとした王が亡くなったりと混乱続きだったスルカスは、亡き王の遺志を継ごうとする王子や貴族の半分と、それでも貴族制廃止の撤回を望む残りの半分の貴族たちで、国が二分しているのだとか。
そんな状態の国が、世界中の魔物について考える余裕などあるはずがなく、ウィリディスが融通した魔溶液は冒険者の手に渡る前に行方不明になり、未だ聖女に頼っているのだという。
「フルマ伯爵はどうしてるんだろう……」
「フルマ伯爵とは?」
あの国の良心であるフルマ伯爵は、貴族と民の中から選ばれた「中央の舵取り役」となっていた。
舵取り役はどうなったのだろう。
「確かに選ばれた貴族と民たちによる自治組織が立ち上がっていたが、選ばれなかった貴族が散々に妨害した結果が国割れよ。ディール殿の派遣については可否以前に、返答がない」
僕は頭を抱えたい気分になった。
「すみません、僕が出した話でしたが、スルカスのことはもういいです」
「そうだな。では話を続けようか」
とはいえ、話は殆ど済んでいた。
「では今後、ディール殿ひとりで魔物の処理を行いたいと?」
「はい」
「それだけは飲めぬな。魔物相手にディール殿が遅れを取るとは思わぬが、仲間と共にいることが必要なのだ」
「何故ですか」
今回、結果的に僕一人で魔物討伐を行ったのだが、全く問題なかった。
フェリチやドルフが足手まといだとは言わない。
でも結果的に、ひとりのほうが動きやすかった。
特にフェリチは連れ歩かないほうが、傷つけられる可能性も少なくなって安心できる。
「フェリチ殿を守るためかね」
「はい」
「ならば余計に、傍に置いておきたいものではないか?」
「今回のことがあったので」
陛下は「ふむ」とつぶやき、それまで僕と額を合わせるように前のめりになっていたのに、上体を起こして足を組み、手を顎に当ててソファにもたれかかった。
「ディール殿とフェリチ殿の立場を入れ替えて考えてはみたかね? フェリチ殿ではなく相手がドルフ殿ならどうするかね」
もしフェリチが身体にドラゴンの魔力を閉じ込めていて、魔物に遅れを取らないほど強く、僕が治癒魔法が得意で他人の魔力を感知できる魔法使いだったら。
まずフェリチの身体にドラゴンの魔力を閉じ込めている時点で心配だから、何があってもフェリチについていくだろう。
置いていかれるなんて、考えただけで心臓がずしりと重くなり、頭が真っ白になる。
……どうしてだろう。たとえ僕が足手まとい程度の魔法しか使えなくても、フェリチの隣にいたい。
駄目だと言われてもフェリチについていきたい。
一旦フェリチのことは置いといて、ドラゴンの魔力を持ったのがフェリチじゃなくてドルフだったらと考える。
ドルフだって大事な仲間だから、心配でついていこうとするだろう。
だけど、フェリチのときほど「絶対に、なにがあっても」ついていこうとは考えられなかった。
この差は、なんだ?
「ところでディール殿、そなた、妻を娶ろうとはおもわないかね」
「は!?」
陛下の突然の提案に、まとまりかけていた思考が霧散した。
霧散したおかげで、僕が心の奥底で遠ざけていた気持ちが、表面に出てきてしまった。
「フェリチ……」
テーブルに肘をついて、顔を覆う。
セレが言っていたのは、このことだったんだ。
でも、フェリチの気持ちは?
確かめたい。
確かめなければならない。
「陛下、話はまだありますか?」
「あったらナチに言付けておく」
「ありがとうございます。すみません、帰ります」
陛下が訳知り顔で僕に手を振るのを見届けてから、僕は転移魔道具を使った。
「フェリチっ!」
自宅の自室を出て、フェリチの部屋の扉をどんどんと叩く。
何の応答もない。
それからようやく気配を読んで、そこにフェリチがいないことに気づいた。
「ディール様、帰っておられたのですか」
背後にはいつの間にかルルムが立っていた。
振り返ると、ふくれっ面のルルムが僕の頭に手刀を勢いよく下ろした。
痛くも痒くもない手刀だったが、それが何を意味するのかを瞬時に理解した。
「ルルム、フェリチは?」
恐る恐る尋ねると、ルルムは首を横に振った。
「ここにはおられませんよ」
「じゃあどこに!?」
僕が勢い込んで聞くと、ルルムは再び首を横に振った。
「セレ様からお話伺いました。フェリチ様のことは、ご自分でお探しください」
家を出て、両目を閉じて聴覚に集中する。
無意識のうちに耳に入れていたフェリチの心音は、一旦遠く離れてしまったことで聞こえなくなっている。
それでもなんとかならないか、とにかくフェリチのもとへ行きたい。
ふと、転移魔道具を握りっぱなしだったことを思い出した。
転移魔道具――確かこれには、昔の文献を紐解いて知った転移魔法を組み込んであるという話だった。
魔道具や装置では一度行ったことのある場所か対になる装置がなければ飛べないが、魔法ならば……!
改めて転移魔道具を握りしめ、その中にあるという魔法に意識を向けた。
僕は魔法が使えるはずだ。
ならば、転移魔法で、フェリチのもとへ!
「ディールさん?」
閉じていた両目を開けると、そこにはフェリチがいた。
膝を抱えて地面に座り込んでいるフェリチを、なりふり構わず抱きしめた。
「!?」
「ごめん、フェリチ」
ずずっ、と鼻をすする音がした。
フェリチは泣いていた。
「ごめん……」
「い、いいんです。わ、私いつも、足手まといで……」
「違う。本当にごめん」
「えっ?」
僕はしばらくフェリチを抱きしめ続けた。
抱き上げたことは何度かあったが、こんなふうに抱きつくのは初めてかもしれない。
細くて、柔らかくて、温かい。
名残惜しかったが、身体を離してフェリチの顔を見た。
フェリチの目の周りは赤く腫れていた。
フェリチの目のあたりに触れ、治癒魔法を使った。
僕の魔法はドラゴン由来なせいか、いつもフェリチが掛けてくれる温かいものと違って、小さな閃光とともに冷たい魔力が流れた。
「あっ……えっ、と、治った?」
無意識だった。フェリチを治したいと想ったら、治癒魔法が発動していた。
フェリチも驚いたようで、目の辺りに手をやってから、僕を不思議そうな目で見つめた。
「治りました。ありがとうございます」
「いいんだ。それより……」
一旦言葉を切って、深呼吸した。
緊張で手汗がすごいことになってるが、かまっている場合ではない。
何度目かの深呼吸の後、僕はフェリチに告げた。
「フェリチが好きなんだ。だから守りたいし、傷つけたくない。離れたくない」
フェリチは大きな瞳を見開いて、僕を見つめたまま固まった。
「フェリチ? その、迷惑、かな……? フェリチ?」
固まったままのフェリチは、揺すったり、顔の前で手を振ったりしても、なかなか動かなかった。
ようやく動いたのは数分経ってからだった。
「あっ、あの、迷惑なんて、そんな……あの……」
フェリチはしばらくモゴモゴとなにか言ったのち、僕と同じように深呼吸をして、顔を上げた。
「私、私もディールさんのことが、す、好きですから……嬉しいです」
フェリチをもう一度抱きしめると、今度はフェリチのほうからも抱きしめ返してくれた。
あたりをよくよく見渡すと、そこは家の裏だった。
勝手口がすぐ横にある。
わざわざ転移魔法を使わずとも、聴覚でフェリチの心音か呼吸音を拾えばよかったのだ。
混乱していたから無理だったかもしれないが。
裏手は日陰になっているから、少し冷える。
フェリチが小さくくしゃみをするので、慌てて家の中に入った。
「あら、フェリチ様、もう見つかってしまいましたの?」
厨房にいたルルムがしれっとそんな事を言ってくる。
「ルルム、どうしてフェリチはここにいないなんて……」
「フェリチ様のお部屋の前にはおられませんよと言ったまでです」
故意に言い方を意地悪にしたんだ、この人は。
「そんな怖い顔しないでくださいまし。お話の続きはどちらかのお部屋でされたほうが良いのでは?」
「はぁ……。そうするよ」
言いたいことはあったが口でルルムに勝てる気がしない。
僕とフェリチは僕の部屋へと移動した。
ソファに座ると、フェリチは僕のとなりにちょこんと座った。
好意を伝える前なら、向かいに座っていたのに。
「ディールさん、どうやってあそこへいらっしゃったんですか?」
「転移魔法使った」
「転移……魔法? 先程も私に治癒魔法を使ってましたよね? どうして突然そんなに……」
「わからない。無我夢中だった」
何となく自分の右手を見つめ、閉じたり開いたりしてみる。
すると身体の中にひんやりとしたなにかがぐるぐると巡っているのが解った。
これが魔力なのだろうか。
「フェリチのは温かいのに、僕のは冷たいな」
「いいえ、温かでしたよ」
フェリチが僕の右手をとり、自分の手を重ねてきた。
フェリチの手は僕の手よりふた周りも小さい。
しばらく二人して無言で、手が重なっているのを見つめていた。
「あの、ディールさん」
「うん?」
「私、今後は常に自分に結界魔法を張って過ごしますから」
「んん?」
「置いていかないでください」
「置いていかないよ。結界魔法も必要ない。何があっても僕が守る」
まだ僕の手の上にあったフェリチの手を軽く握り、フェリチに結界魔法を送り込んだ。
魔法の光が青く淡くフェリチにまとわりついていたが、しばらくするとスッと消えた。
でも、結界魔法はフェリチに掛かったままだ。
「これは……?」
「魔法って色々できるんだね」
フェリチに好意を伝え、何があっても必ず守ると覚悟を決めてからの僕は、心の何処かにあったドラゴンの魔力を使うことへの恐怖心が消えていた。
ドラゴンの魔力なんかより、フェリチが傍にいないことのほうが怖かった。
今はどんな魔法も、意のままに操れる気がする。
「普通は結界魔法を他人に送り込むなんてできませんよ。セレさんに調べてもらわないとですね」
「無理だろうな」
「何故ですか?」
「フェリチが僕の魔力を測れないのと同じ理屈だよ」
「なるほど……」
それから僕とフェリチは、ルルムが遅い昼食に呼びに来るまで、他愛もない話をしていた。




