41 知る知らぬ
最近の人々の様子は「ふわふわ」と「ピリピリ」が混在している。
ふわふわしている理由は、凶悪な七匹のドラゴンのうち六匹が倒され、魔物の出現がほぼなくなり、脅威らしい脅威が減ったせいだ。
ピリピリしている理由も、凶悪な七匹のドラゴンのうち六匹が倒され、魔物の出現がほぼなくなり、脅威らしい脅威が減ったせいだ。
正反対の感情の根底が同じなのは、立場の違いが影響している。
ウィリディスにはもう既に冒険者という職業に就いているひとは僕とドルフと他に数人程度だが、他の国にはまだもっと多くいる。
魔物は食い扶持なわけだから、全ていなくなってしまうと、不謹慎な話だが困ってしまう。
似たような境遇に聖女もいる。
魔物の死体を消すことで報酬を得ていた聖女と教会にとって、魔物の絶滅は悲願であるとともに収入激減の危機だ。
他に、魔物からの保護を理由に税を上げていた国や領地も存在する。
この世界は魔物がいるからこそ回っていた部分もあったのだ。
「なんて言われたってねぇー。魔物なんて世界の害悪でしかないんだからー、いなくなったほうがいいに決まってるのよー」
夕食の席で、セレがケラケラと笑う。
先程の話の中の、聖女関連と魔物からの保護を理由に云々の話は、今日僕がウィリディスで仕事をしていた時に耳にしたことだ。
なんでも、わざわざスルカスからやってきた元貴族たちが、僕を名指しして「責任を取れ」などと文句を言いに来たのだとか。
それが、回り回って僕のところまで届いたというわけだ。
というか、僕はどれだけ嫌われているんだ。
今更の話だからもう気にしないのだけど、それでもやっぱり心は削れるようで。
「ディールさん」
呼ばれてフェリチを見ると、フェリチが心配そうな顔で僕を見ていた。
「どうした?」
「どこかお身体の具合が悪いのではないですか?」
「なんともないよ」
フェリチに気遣わせてしまった。
「世間ではー、私が一番初めに提唱した説ー、みたいな話になってるけどー」
セレが空気を読んだとも読んでいないとも取れる明るい声で発言する。
「貴族はとっくにー、知ってたかもねー。聖女の魔滅魔法がー、魔物を実質的には減らさないってことー」
「それが事実なら、世間がひっくり返るぞ」
リオが少しだけ怒ったような顔になる。
貴族が知っていて放置していたとなれば、国の威信にも関わってくる。
リオは騎士団長をやっていて、本人も侯爵令息だからか、貴族や国の失態には人一倍厳しい。
「まーまー、もしかしてーの話よー」
「あながちそうとも言い切れねぇ」
今度はドルフが匙を置いて唸るように呟いた。
「俺がグーラドラゴンを倒したってギルドに報告したら、数刻もしねぇうちに聖女と護衛の冒険者が派遣されたからな。グーラドラゴンがいた場所まで最寄りのギルドまで歩いて十日だってのに、たまたま近場にいた聖女と冒険者に命令が飛んで、あっという間だ。まるで魔滅魔法でドラゴンを消すのに躍起になってるみたいだった」
「パーティに聖女いなかったの?」
「どうにも好きになれなくてな」
僕は思わず頷きそうになって、慌てて踏みとどまった。
フェリチは魔滅魔法が使えていれば聖女だったんだ。
一方、セレはドルフの話を聞いて、うーん、と顎に拳を当てた。
「そういう話聞いちゃうとー、貴族は知ってた説も有りかぁー。ねぇ、ディール」
セレがにんまりと笑みを浮かべる。
すごく良いことか、すごくとんでもないことを思いついたときの顔だ。
「ばらしちゃおっかー、世間にー」
とんでもない方だった。
ウィリディスの稀代の天才セレブロムが発表した「一部の貴族、王族は、魔滅魔法で消した魔物が再発生することを知っていた」説、というより暴露は、瞬く間に大陸全土に広まった。
最初に反応したのはスルカスの元貴族たちだ。
反応したということは、事実だということ。
僕をとてつもなく嫌い、あわよくば排除したいと強く願う理由が、よく分かった。
話は別大陸の国アブシットにも飛び、様々な方面から問い合わせが殺到し、僕たちは暫くの間、通信魔道具をまともに使うことさえできなかった。
家には毎日のように貴族を名乗る差出人から命を狙うといった内容の脅しの手紙が届き、僕とリオは仕事を休んで家に籠もり、ルルムは買い出しへ行くのにドルフを護衛に連れて歩いた。
そんな日々をひと月ほど乗り越えた頃、ウィリディスの皇帝陛下から呼び出しがかかった。
これだけ大騒ぎになって、すぐに呼び出さなかったのは、落ち着くのを見計らってくれたのだろう。
「そなたに言わせてしまって申し訳なかったな、セレブロム殿。立場上、我々の口から公表することは躊躇われたものだから」
これは、ウィリディスの皇帝陛下が「知っていた」と宣言したようなものだ。
「そうじゃなきゃ為政者なんてやってられませんですよねー。お気になさらずー」
セレが怪しい敬語を操りながら、ひらひらと長過ぎる袖を振る。
その様子を見た皇帝陛下は、ほっと息をついて肩の力を抜いた。
叱責されるとでも思っていたのだろう。
迷惑は被ったが、陛下の責じゃない。
「気遣い感謝する。この件に関して迷惑をかけた詫びは……後日になってしまうのが心苦しいのだが、受け取ってほしい」
「はーい」
今日この場に呼ばれたのは、セレと僕とフェリチの三人だ。
暴露話の件ならセレだけでよさそうなのに、僕とフェリチも呼ばれたということは……。
「ディール殿、英雄にしか……いや、そなたにしか頼めぬ仕事がある」
こういうことだ。
世界というのは、僕の想像を超えて広い。
普通の人だとこの世界の全てを見て回るのに何十年もかかる上、命がけの旅になるという。
皇帝陛下は、僕に似たようなことをやれと命令した。
「勿論、隅々までディール殿自身が見て回る必要はない。すでに世界中に使者を派遣して、目星をつけてある」
いよいよ、この世界の魔物を全て消してしまうつもりだ。
「しかし、僕は……」
ドラゴンの魔力のせいで、魔物が近寄ってこないどころか、逃げ出してしまう。
久しく魔物の臭いを嗅いでいないから、鼻が鈍っている可能性もある。
「そこはご安心召されよー」
セレがいつの間にか手にしていたのは、黒い眼帯だ。
「これねー、ドラゴンの魔力を解析してー、波長を打ち消す効果があるのー。つまりー、ディールでも魔物に遭遇できる眼帯ー。その名も、封印帯ー。ただ試運転がディールにしかできないからー、最初は近場で試してみてねー」
だそうだ。いつのまにそんなものを。
「それとこっちはー、超小型転送鞄ー。この鞄に入る大きさのものならー、いつでも必要なものをやりとりできるよー」
鞄は僕が背負う旅用の鞄と同じくらいの大きさで、畳んで小さくしてしまえば僕の鞄に入る。
「これ、どうしたの」
「前々からこの日のために準備してたー」
皇帝陛下を見ると、陛下は口元を引き締めて頷いた。
暴露話がなくても、僕が旅立つ日は来ていたということか。
「わかりました、お請けします」
ここまで準備してもらっておいて、断る理由はない。
最初の目的地は、本当に近場、徒歩で数日の場所にある洞窟だ。
僕がウィリディスに来る前は度々魔物が出ていて、今もいるのじゃないかと周辺の住民が不安がっている。
「本当に魔物がいなければ結構、出現したらディール殿にお願いします、ということです」
具体的な行き先の話を持ってきたのはナチさんだ。
陛下との謁見から二日経っている。
この二日で僕とフェリチは旅支度をしっかり整え、僕はリオとドルフに相手をしてもらって、久しぶりにまともに剣を振った。
「……準備体操、にも、なってないんじゃ、ないか?」
「どうして、あれだけ、うごいて、いきひとつ……」
少し張り切りすぎた結果、二人がへばってしまったのは申し訳ないと思っている。
出発の前夜、僕の部屋にドルフがやってきた。
「なあ、俺も一緒に行っちゃ駄目か? 魔物の足止めくらいにゃなるだろ」
僕は少し考えて、それから首を横に振った。
「特に今回はドラゴンが出るわけじゃないし、ドラゴンが出そうだったら改めて同行を頼むよ」
もしかしたら洞窟の中に複数の魔物がいるかもしれない。
その時、僕ではなくドルフがとどめを刺してしまったら、魔溶液を使うことになる。
魔物数匹分は何かあったときのために持ち運ぶが、魔溶液は軽い荷物ではない。
「魔物の死体を消すことは出来ないんだよ」
「……そうだった。なんか、お前さんならやれると思っちまってたよ」
ドルフは勘違いを恥じるように頭を掻いた。
僕が魔物の死体を消せるのは、僕が止めを刺した場合だけであって……。
「ん、あれ?」
「なんだ?」
「今ドルフに言われて初めて気づいた。僕、魔物の死体を斬ったことはない」
「まあ、普通は死体を斬ったりなんざしねぇからな」
魔物の死骸は猛毒だ。生きている魔物を斬りつけるのはまだいいが、毒と化した死体には近づくことすらしない。聖女はかなり離れた場所から魔滅魔法を撃つものだ。
「試してみたいな。ドルフ、やっぱりついてきてくれるか?」
「ああ、わかった」
ドルフが部屋から出た後、僕はフェリチの部屋へ行った。
「フェリチ、今いい?」
「どうぞ」
フェリチの部屋はルルムの手によって、落ち着いていながらも女性らしい部屋に変貌した。
花の香りがするのは、ルルムとフェリチが毎日花を飾っているからだ。
「明日からの旅、ドルフも同行することになったんだ」
僕が経緯を説明すると、フェリチはこくこくと頷いた。
「確かに、死体を斬るようなことは普通はしません。試してみる価値はあるかと思います」
フェリチはセレの影響を受けたのか、好奇心が旺盛になっている。
ドルフとフェリチは今のところ接点があまり無い。
人見知りをするフェリチだから、ドルフの同行に難色を示すか、我慢するかと考えていたのだが、好奇心が勝った様子だ。
「あとはセレにも……セレってもう寝てるかな」
「いつもならお休みの時間ですね」
「じゃあ明日の朝でいいか」
「朝は遅いかも知れませんよ。最近夜遅かったようですから。きっと、眼帯や鞄を作っていたのかと」
「なるほど。じゃあルルムに言伝を頼むよ」
魔物討伐の旅かも知れないのに、こんなに穏やかに支度ができるなんて、望んだことすらなかった。
「じゃあ、いってきます」
「いってきます」
「いってくる」
「いってきまーすー」
家の玄関前で出発の挨拶をしたのは、僕とフェリチとドルフと……セレ。
セレは今朝になって突然「同行するよー」と言い出したのだ。
皆で止めたが、セレはいつにない決意の固さだった。
「ディールが魔物消すとこ見たいしー、眼帯や鞄の調子も見たいー。自分の身は自分で守るからー」
というセレは、以前見たときよりも更に簡素に、しかし防御力の高い不思議な鎧を身に着け、手には杖のような棒状の武器を持っている。
聞けば、雷を発することができる棒だそうだ。
「セレ様、くれぐれもお気をつけて」
「皆、頼んだぞ」
「しょーがないけど信用ないねー私ー」
リオとルルムに念を押されて苦笑するセレ。
いざとなったらフェリチをドルフに任せて、セレを転移魔道具でここに送ろう。
目的地への道のりの途中までは、揺れない馬車の中だ。
城のほうで御者さんを派遣してもらったので、僕達は客車の中でゆったり過ごせている。
「……止まってください!」
久しぶりに嗅いだ悪臭に、思わず声を張り上げた。
「早速ですか」
「何事だ?」
ドルフに「魔物の臭いがする」と思い切り端折って説明して、馬車から飛び出し、封印帯を毟るように取りながら臭いの強い方へ駆けた。
いたのはゴブリンだ。七匹いたが、僕が剣を横に一閃するだけで首や胴が切り離され、すぐさま消滅した。
消滅までの時間が短すぎるのがやや気になったが、他に臭いはない。
「お前、早ぇよ!」
後ろからドルフがやってきた。
「……! それが黒眼か」
「え」
右眼に手をやってから、自分用の手鏡の存在を思い出し、懐から出して鏡を覗く。
前は普通の魔物を倒したら瞳孔の部分だけが黒くなり、白目まで黒くなるのはドラゴンを倒した直後だけだった。
今は、白目も含めて全体的に黒みがかっている。
「こんな状態は初めて見る」
「なんだと? 身体に異変は?」
ドルフは僕の眼を見ても怯えることなく、体調を気遣ってくれた。
ドルフ自身、ドラゴンの魔力が宿っていたから、恐怖心が湧かないのだろうか。
「ないよ、平気。行こうか、フェリチたちが待ってる」
「そうか。ところで、次出たら俺が倒すぞ」
あ、死体を斬ってみるってのを忘れてた……。
「わかった」
僕はもう一度臭いがないことを確認してから、馬車へ向かった。




