40 家族
最近、フェリチがそわそわとしている。
「何しててもー、上の空、って感じー」
とは、フェリチの勉強を見ているセレからの報告だ。
原因は明白だ。
例の、フェリチの自称両親が来てからずっとこうなのである。
「フェリチ、どうしたの?」
一週間ほど様子を見たが、勉強は身に入らず、厨房に入れば皿を割り、食事中によくこぼす。
流石に見かねて声を掛けると、フェリチは両眼を閉じて首を横に振った。
「なんでもありません。注意力散漫なのは申し訳ないと……」
やっぱり、嘘つく時は両眼を閉じるのか。
「僕には言えない?」
目線を合わせてフェリチに問うと、フェリチは顔を赤くしてふいっと横を向いた。
「いえっ! そういうわけでは! ……もうちょっと考えてからお伝えしようと思っていたのですが」
フェリチはひとしきりもじもじした後、思い切ったように口を開いた。
「一度、実家に帰ってみたいのです」
フェリチの実家はスルカス国にある。
二度と行かないと決めていたが、ドルフの時に通り道だったし、結局あの国を完全に無視することはできないらしい。
「って、あの、ディールさんも一緒に行くのですか?」
「うん」
フェリチをひとりで出歩かせるなんてできない。
この、過剰なまでの保護行動が一体何なのか、正体が判明するのはだいぶ先になる。
「駄目って言われてもついていくから」
「……わかりました。ありがとうございます」
あれから家に、変なやつはやってこない。
ドルフの護衛業も開店休業中だ。
ドルフが来てから初めてナチさんが来たときに少々揉めたが、今は和解して仲良くしてくれている。
「家のことは万事お任せください」
というルルムやリオ、ドルフに家を任せて、僕とフェリチはスルカスへ向かった。
スルカス元王都はまだあちこちに瓦礫が残っている。
少なくない人たちが片付けや建築に励んでいて、町の中央付近には簡易式の小屋が建ち並び、生活は最低限回っている様子だった。
一方では、あの日以来着の身着のままの状態の元貴族らしい連中が、瓦礫の中で何かを探したり、物乞いをしているのも見た。
元王都の壊滅、王の崩御、貴族制の廃止と重なったから、庶民よりも貴族が割りを食っているのだろう。
特に同情の念も湧かない。
でも、フルマさんだけはあの中に入っててほしくないな。
「フルマさんを探しますか?」
フェリチが僕の心を覗いたようなことを言い出した。
「……あとでいいよ。今はフェリチの方が先だ」
「うちの実家はここにないので無事なはずです。フルマさんを先に探しましょう」
「フェリチがそう言うなら」
スルカス城へ赴いて門兵に名乗ると、慌てた様子で伝令が飛び、僕達は城の中へと丁寧に招き入れられた。
「ディール殿、ようこそスルカス城へ!」
時を置かずして現れたのは、目的のフルマさんだった。
少々やつれた様子だが、表情は晴れ晴れとしている。
「お久しぶりです、フルマさん。お忙しいところをすみません。特に用事はないのですが、お顔を拝見したく」
「会いに来てくださるだけでも嬉しいですよ。時間はありますか? せめてお茶でも」
貴賓室の壁には、まだ貴族たちの暴走の痕跡が残されていた。
「これでも城で一番マシな貴賓室なのですよ」
フルマさんは苦笑いしつつ、手ずからお茶を淹れてくれた。
ほんのりと甘く、花の香りがする。
「あの、この国はどうなったのですか?」
フェリチが問うと、フルマさんはカップをソーサーに戻した。
「前国王陛下がなさった通り、貴族制は廃止、政治的には民から推された者たちが集まって、国の立て直しを図っています。王都がご覧の有様ですから軌道に乗ったとは言えませんが、徐々に民主制の国として再生しつつありますよ」
「フルマさんもお心を砕いておられるのですね」
フェリチが感想を述べると、フルマさんは照れくさそうに頭を掻いた。
「ええ。政治を担っていた元貴族がいきなり全員居なくなるのも不安だということで、貴族の中からも中央で舵を取る者が選ばれまして……私はその一人です」
「大変ですね」
「でもまあ、やりがいはありますよ」
こんな世間話を十分ほどして、お暇した。
「フルマさん、お顔はともかく元気そうでなによりでした」
「あれは治癒魔法は効かないの?」
「こっそり掛けてみたのですが、慢性化しているようで……」
フェリチ、治癒魔法をこっそり掛けるなんて技能を習得していたのか。
僕が内心驚いていると、フェリチが不思議そうに僕を見上げた。
「どうなさいましたか?」
「なんでもない。さあ、フェリチの実家へ行こうか」
「はい」
フェリチの実家は、王都から徒歩で一日ほどの距離だ。
フェリチは僕に抱き上げられるのにもはや抵抗がないと言うか諦めたと言うか、ともかく大人しく抱き上げられて運ばれた。
「酔わない?」
「ディールさんが一番揺れないので平気です」
なるべく振動を消すように走っているのが奏功しているらしい。よかった。
王都から小一時間ほどで、寂れた屋敷にたどり着いた。
「ここだと思うのですが……記憶より何か……」
フェリチは屋敷と僕を交互に見上げている。
「子供の頃の記憶って、大人になると小さく見えるものらしいよ」
どこかで聞いた話を聞かせると、フェリチは「そうかもしれません」と頷いた。
「で、どうする?」
ここまできたはいいが、この先どうするのかまでは決めていなかった。
「中に何人かいるみたいだけど」
フェリチはしばらく下を向いた後、決心したかのように顔を上げた。
「行ってみます」
呼び鈴を鳴らして暫し待つと、扉がギギギと建付けの悪い音を立てて開いた。
中から外をうかがうように顔を出したのは、初老の男性だ。
「なんでしょう、押し売りでしたら何度もお断り申し上げておりますが……」
「あのっ、私、フェリチ・パルヴァです。ち、父と母は、健在でしょうか?」
「え? あ、フェリチ・パルヴァ? ……フェリチお嬢様!?」
お嬢様呼びされて、フェリチの肩がびくんと震える。
と同時に、屋敷の扉が大きく開いた。
「フェリチお嬢様! ああ、大きくなられて……。ええ、旦那様と奥様はご健在でございます。ようこそおいでくださりました。ささ、どうぞどうぞ」
予想外に丁寧に案内されたのは、外見とは裏腹に清潔で落ち着いた応接間だ。
出されたお茶も、先程飲んできたスルカス城のものと遜色ないほど美味しかった。
そこで待つことしばし、ノックされた扉に、案内してくれた初老の男性が扉を開けると、そこにはフェリチがいた。
違う、フェリチによく似た、銀に近い青い髪と瞳をもつ、年齢不詳の女性だ。
後ろには黒髪碧眼の中年くらいの男性もいる。
「フェリチっ、おかえりなさい! よく、よく来てくれたわ!」
女性が座ったままのフェリチを抱きしめても、フェリチは呆然としている。
男性の方は、そんな二人をにこにこと見守りつつ、僕を見て目を見開いた。
「その肩の勲章は……。フェリチ、こちらはどなただい?」
男性の一言に、フェリチははっとなって、女性を一旦引き剥がした。
「こちらは、ディール・エクステミナさんです。あの、私……」
「ああ、君がエクステミナ……ディール・エクステミナ!?」
「えっ、あの黒眼の!?」
男性と女性がひとしきり騒ぎ、初老の男性がたしなめ、ようやく全員椅子に座った。
「驚きが多すぎてね……どこから話したらよいものか」
「それよりも、フェリチ。いままで一体どうしていたの?」
僕とフェリチは顔を見合わせた。
なんだか、家にやってきた自称両親の話とは色々食い違っている。
聖女に関する話もズレがある。
「その前にひとつ確認なのですが……」
僕は、家に両親を名乗る男女が来たことや、フェリチの生い立ちについて、詳しく話した。
すると、二人――フェリチの両親で間違いなさそうだ――はまたしても大きく驚き、しばらく言葉が出ない様子だった。
しばしの沈黙の後、口を開いたのはフェリチの父親だ。
「そういえば名乗っておりませんでしたな、失礼しました。私はマグナス・パルヴァ、こちらは妻のアモレ・パルヴァ。正真正銘、フェリチの両親です」
丁度いいタイミングで、いつの間にか席を外していた初老の男性――こちらは執事さんだそうだ――が、大きな肖像画を持ってきていた。
そこに描かれていたのは、杖を持った幼いフェリチと、若かりし頃のお二人。
杖は、今フェリチが持っているものと全く同じだ。
「娘に、フェリチに魔力があると分かった途端、国の使者がフェリチを連れ去ってしまいました。娘を返してくれと嘆願しても『手切れ金を払ったのだから』と。事実、我が家にいた侍女のひとりが勝手に受け取っていて……その侍女は行方をくらませてしまい、現在も見つかっておりません」
「侍女……もしかして、こういう背格好でしたか?」
フェリチが、ウィリディスの家にやってきた自称両親の女の方の人相を事細かに説明すると、マグナスさんは「それだ!」と叫んだ。
「ウィリディスに逃げ込んでいたのか。それでその女は……釈放してしまいましたか。ううむ」
「ちょっと失礼します」
僕はすぐにウィリディスのナチさんに連絡を取り、先日の不審者の行方を聞いた。
釈放はしたが監視付きで、すぐにでも拘束できるというので、そうしてもらった。
「……だそうです」
「少しは溜飲が下がったよ。あの時、手切れ金と同じだけの財力があればと何度悔やんだか」
マグナスさんは本当に悔しそうに、拳を膝の上でギチギチと握りしめた。
どうやらフェリチは、捨てられるように家から出されわけではなさそうだ。
パルヴァ家は伯爵の地位に胡座をかかず、しっかりと領地を治めていた功績で、貴族出身の「中央の舵取り」にも選ばれていた。
偽物の両親が言っていたフェリチの弟などはおらず、兄たちはそれぞれ結婚して、長男は家督を継ぐ予定で次男は自立している。
長男は現在、足を悪くしたマグナスさんに代わってスルカス城にいるそうだ。
「どこかですれ違っていたかも知れませんね」
残念そうにフェリチが呟く。
「長男は私に似ているから、気づかないのも無理はないよ」
「会いに行けばいいさ」
僕が口を出すと、フェリチが僕を見てふっと微笑んだ。
「そうですね」
フェリチの笑顔を久しぶりに見た気がする。
「泊まっていってください」
一通り話しをして、今日のところはと立ったら、そう申し出られた。
フェリチを見ると、フェリチも僕を見た。
「あの、できれば……」
「では、お言葉に甘えて」
僕が承諾を口にすると、フェリチはまたぱっと笑顔になった。
突然やってきた僕達を、パルヴァ夫妻と家の人達は最大限もてなしてくれた。
「わあ、こんなかわいい子が俺の妹だったのか……」
これは、夕食時にたまたまやってきた、パルヴァ家次男だ。
「お兄様?」
「ふあっ!? も、もっかい言って?」
「お兄様」
「うわー、嬉しいー」
フェリチのお兄さん面白いな。
夕食を終えて、あてがわれた客室で、ベッドにごろんと寝転がった。
仰向けになり、ぼんやり考える。
七匹のドラゴンはもうあと一匹。
僕はもう単独で何度もドラゴンを倒しているし、ドラゴンの魔力をことごとく得ている。
一方フェリチは、帰ろうと思えば帰る家があり、ここならフェリチを悪いようにはしないだろう。
フェリチの治癒魔法は優秀で何度も助けられたが、最近の僕には無くて困るということはない。
ドラゴンが出れば駆り出され、元貴族との腐れ縁が切れない僕なんかとは離れたほうが、フェリチにとって幸せなんじゃないだろうか。
フェリチがここへ残る、僕とは離れる、そう考えた途端、頭がきりきりと痛み、心臓が変な鼓動をした。
「ないよなぁ……」
思わず呟いた時、部屋の扉を叩かれた。
「はい」
「フェリチの父です。今よろしいですか?」
「どうぞ」
フェリチのお父さんはワインのボトルとワイングラスをふたつ持っていた。
「お酒がいける口だと娘に伺いまして」
「お気遣いありがとうございます」
ちょうど飲みたい気分だったので、有り難くいただいた。
「ディール殿、フェリチをお願いします」
「んっ!?」
危うくワインを吹き出すところだった。
「あの……?」
「唐突でしたね。もしディール殿がよろしければの話ですが、フェリチはディール殿が良いと思ったのです」
「でも、僕は……」
「ディール殿が大きな使命を背負っていることは承知しております。あの子は使命にはお邪魔かも知れませんが、それ以上に、あの子をディール殿から遠ざけるほうが可哀想に見えまして」
「どうして、そうお考えなのですか?」
マグナスさんはワインを一口飲んで、ニッと笑った。
「親の勘です」
僕にもちゃんとした両親がいたら、こんなふうに察してくれただろうか。




