37 罪と覚悟
結局、フェリチの睡眠魔法は僕に効かず、あまり眠れないまま夜が明けた。
眠れなかったというのに、不思議と眠くも怠くもない。
僕とは対象的に眠たそうなフェリチは、朝食のパンをちぎりながら、うつらうつらとしている。
「もうちょっと寝ておいたら」
「ふあ……いえ、そういうわけには」
フェリチは真面目だから、朝は決まった時間に起きないと気が済まないのだ。
いつもより時間を掛けて朝食を終えると、フルマ伯爵と他に数人の貴族がやってきた。
ちなみに僕達は今、国賓のような扱いを受けている。
驚いたことに、フルマ伯爵以外にも僕に友好的な貴族というのが存在していて、彼らが僕を守るように動いている。
具体的に言えば、僕を害そうとする貴族を徹底的に遠ざけてくれている。
僕を害そうとする貴族は、貴族制廃止反対派とほぼイコールだ。
「では、今回の一連の件は、全てドラゴンの仕業であると」
「僕はそう考えています」
フルマ伯爵は僕に意見を求めてきた。
貴族から意見を訊かれるのは初めてだし、スルカス国で僕の意見がこうも尊重されるのも初めてだ。
僕が「全部ドラゴンのせい」と主張したのには理由がある。
そもそも、最初からおかしかったのだ。
聖女は確かに貴族出身ばかりで、傲慢な性格の人が多かったが、イエナのように極端な思考を持った人はいなかった。
イエナの話と、廃墟となった王都をうろついて「怪しいやつ」として捕らえられたコーヴスの話を合わせると、イエナには憑き物――おそらくリヴィディネドラゴン――が憑いていたらしく、先日、何かの拍子にそれが剥がれ落ちた。
イエナからドラゴンが抜けたのと、貴族たちが攻撃的になったタイミングは、ほぼ同じだった。
コーヴスや第二王子は、イエナの中のドラゴンから洗脳にも似た効果を受けていて、イエナといると思考がおかしかった。
第二王子はイエナと離れ離れになった後、軟禁場所で周囲が驚くほど大人しくしていたし、コーヴスもイエナがいないところでは真面目に働いていたという。
それから、これは僕しか知らないし、他の人に伝える手段を持たない話だが。
金色のドラゴンが頭の中で「リヴィディネドラゴンは特別」と言っていた。
他のドラゴンは身体を靄にしたり、僕の嗅覚から完全に隠れることなどできない。
兎に角、イエナにドラゴンが憑いていたという前提があって、ドラゴンの影響で人がおかしくなったのだと意見した。
「ドラゴンの生態について、世界で一番詳しいのはディール殿ですからね。それに、嘘を吐くような御仁ではないことも重々承知です」
フルマ伯爵が他の貴族を見ると、貴族たちは首を縦に振り、肯定の意を表した。
「しかし、犯した罪は罪、罰は与えねばなりません。如何にドラゴンの仕業と言えど、第二王子、イエナ、コーヴスの三名に関しては、無罪放免とは参りません」
こればかりは仕方ない。僕の隣にいるフェリチも、分かっている。
「そして、私達も」
僕が顔を上げると、フルマ伯爵と貴族たちは決意に満ちた眼をしていた。
「町を、民の財を壊したのは我々です。我らは一様に罰を受けます。それとは別に、過去、ディール殿にしたことも精算させねばなりません。ご理解いただけますでしょうか」
「僕のことは……分かりました」
僕についてはもう気にしなくても、と言おうとしたら、テーブルの下でフェリチに手をぎゅっと握りしめられた。
僕が断っても、フェリチが押し通すつもりだと悟ったので、大人しく受け入れることにした。
「ディール君! なんだか久しぶり、って気分ね」
「そうですね、アニスさん」
フルマ伯爵たちとの堅苦しい話が終わった後、僕とフェリチはアニスさんと昼食を一緒することになった。
城の使用人たちは皆、貴族の攻撃に恐れをなして出ていってしまい、まだ大半が帰還していないので、昨日から厨房に立っているのはアニスさんとフェリチだ。
二人の料理は、相変わらず美味しい。
「ふふっ」
食事中に、アニスさんが不意に吹き出した。
「どうしたんですか?」
「ディール君たら、フェリチちゃんの作ったのばっかり食べてるわ」
「えっ」
テーブルに並んだ料理は僕の好物ばかりなのだが、言われてみれば、同じ皿から多く取っている。
「無意識でした、すみません。全部美味しいですよ」
「謝ることないわ。ディール君がたくさん食べられるなら、それが一番なんだから」
「は、はい」
僕はどの皿からも満遍なく取って食べることに徹した。
昼食を終えると、今度は第一王子が話がしたいと、わざわざ僕達がいる部屋までやってきた。
「忙しなくて申し訳ないな。フルマ伯爵たちから大方の話は聞いている。ディール殿がこの国に良い感情を持っていないことは承知の上で、頼みがある。どうか、聞いてもらえないだろうか」
頼みとは、ウィリディスから王都復興の支援と、魔溶液の融通の口利きだった。
「魔溶液なら言えばすぐに出してくれると思いますよ」
セレが張り切って量産した魔溶液、実はウィリディスではもう既に過剰供給で余り気味だと聞いている。
と言っても、セレは無計画に量産したわけではなく、こういう事態を想定して多めに作ったのだと思う。
「復興支援の方は……一応、言うだけ言います」
「それで十分だ。有り難い」
ウィリディスの皇帝陛下なら喜んで支援するだろう。
でも、それを僕の口添えがあってこそなんてことにはなってほしくない。
僕はこの国と、縁を切ったのだ。
「我が国の危機に駆けつけ、聖女アニスと私を救い、事態を収めてくれたこと、深く感謝する」
こうやって、この国のトップに頭を下げられても、僕はもうこの国に二度と足を踏み入れたくない。
スルカス国のことは、あとは元貴族や王族がやるべき仕事だ。
僕の目的はアニスさんを救うことで、他のことは全く関係がない。
第一王子との話が終わり、諸々の報酬を受け取ってすぐ、僕とフェリチは帰ることにした。
「そうか、転移魔法が使える道具があるのか。では……いや、何も言いますまい。どうか、お元気で」
「ふたりとも、体に気をつけてね」
転移魔道具を使うところをなるべく見られたくなかったから、見送りは第一王子とアニスさんだけにしてもらった。
「ありがとうございます」
「アニスさん、殿下もお元気で」
僕とフェリチは一瞬で、ウィリディスの自宅へと戻った。
ウィリディスでは予想通り、スルカス国へ魔溶液の無償提供と、王都復興に対する全力支援を行うと発表した。
それと、僕は七匹のドラゴン討伐報酬を賜った。
報酬は今回から、一括ではなく、永久に年に金貨五百枚という形になった。
七匹のうち五匹も倒したのだからと、世界中の国々で話し合って決めたのだそうだ。
「もう五匹も倒してたのか……」
リヴィディネドラゴンを倒した後、来るだろうと覚悟していた右眼の激痛は、未だに無い。
そのせいか、ドラゴンを討伐してきたという実感が湧かないのだ。
「グーラドラゴンを倒した方は他におられるのですよね。ということは、もうあと一匹じゃないですか。過去誰も成し得なかった偉業ですよ」
ルルムさんが僕を持ち上げてくれつつ、空いたカップにお茶を注いでくれる。
「そうだぞ、ディール。お前はもっと胸を張って威張ったって、誰も咎めないぞ」
「もしリオさんが僕の立場だったらそうします?」
「……ははは、しないな」
リオさんは苦笑いを噛み殺しながら、取り繕うようにお茶を飲んだ。
「あと一匹、どこにいるのでしょうね。ディールさん、最後の一匹が見つかったら、討伐に向かわれますか?」
フェリチがどこか不安そうに僕を見上げている。
先日、僕が「ドラゴンを倒してしばらくすると右眼がすごく痛くなる」という話をぽろっと漏らしたら、フェリチに滅茶苦茶心配されてしまい、言うんじゃなかったと後悔した。
痛みは一晩も我慢すれば治るなんて言ってしまったことも、フェリチの心配の火に油を注ぐ結果となった。
更にその場で魔力を調べようとしたから全力で避けて、どうにか止めてもらった。
フェリチはどうやら、僕にこれ以上ドラゴンに関わってほしくないと考えている。
「呼ばれたら行くけど、他の人が倒せそうなら、それでも構わない……ですよね?」
僕はなんとなくリオさんに同意を求めた。
「ん? 現状この世界でドラゴンを単独討伐できるのはディールぐらいだろう。レンファは……グーラドラゴンを倒した英雄は五人パーティだったからな。それに、レンファは年齢的にもう無理だと……」
「や、そうじゃなくて……」
「リオさんっ! ディールさんは五匹もドラゴンを倒したんですっ! もうお休みになったほうがいいんですっ!」
フェリチが大声で反論するものだから、その場にいた全員が固まってしまった。
「……! す、すみません、大きな声を……」
「驚きはしたが大丈夫だ。それもそうだな、ディールばかりに頼っていては、この先、ドラゴン以外の脅威が現れた時に人は困ってしまうだろう」
リオさんが取り繕ってこの場はなんとかなった。
が、僕はリオさんの話で、グーラドラゴンを倒した英雄、レンファのことを思い出した。
「リオさん。レンファって人の所在をご存知ありませんか」
「ディール、そろそろ俺に対して敬語使うの止めないか。……まあ追々でいいといったのは俺か。で、レンファか。スルカスの冒険者ギルドならなにか知っていただろうが、あそこは燃やされてしまったのだろう? 他のギルドに情報が残っていれば、そこから追えるが、難しいだろうな」
「難しいって、どうしてですか?」
「さっきの話にも少し出したが、年齢的な問題で、冒険者を引退した、または引退したいと語っていたという噂を耳にした。通常、引退した冒険者はそっとしておくのが礼儀だ」
僕はまだ引退には程遠い年齢だから、話でしか聞いたことはない。
冒険者は、多くの生き物の死を目の当たりにする。
生き物の殆どは魔物だが、中には魔物の被害者だったり、パーティの仲間だったりと、人間のことも含まれる。
眼の前で魔物に引き裂かれた誰かの悪夢に魘される人に、昔のことを思い出してほしくない。
そういう想いから、引退後の冒険者への接触は必要最低限にするべき、という考え方が広まっている。
「わかっています。でも、どうしても聞きたいことがあって」
「ドラゴン関連か」
「はい」
「ならば、向こうも考えてくれるだろう。まずはスルカスの隣国、セスリスへ向かうといい」
スルカスから出ている馬車に七時間ほど揺られれば、未だ貴族制の残る国、セスリスに到着する。
貴族制と言ってもスルカスほど雁字搦めではなく、庶民と貴族の境目がゆるい、と聞いた通りに、町は穏やかな空気が流れていて、人々の表情は明るい。
「はあー……早くウィリディスから揺れない馬車を輸入してほしいですぅ……」
久しぶりに揺れる馬車に乗ったフェリチは「贅沢になってしまいました」と言いながら、そうこぼした。
「少し休んでから行こうか」
「いいえ、大丈夫です」
「無理してるじゃないか。あの店に入るよ」
「ど、どうして……」
僕はフェリチに、無理をしている時に唇が尖る癖があることを伝えていない。
フェリチの手を引っ張って適当に入った店は、空調魔道具がよく効いていて、快適な気温が保たれていた。
炭酸の入った爽やかな飲み物を飲んでゆっくりするうちに、フェリチも回復したようだ。
「なんだかウィリディスにいるみたいですね」
「スルカスからこんな近くにこんな国があったなんて、知らなかったよ」
今頃気づいても仕方のないことだが、僕は視野が狭すぎた。
休憩の後、早速冒険者ギルドを探し、あっさりと見つけることができた。
受付で名乗り、ドラゴン討伐の勲章をみせただけで、受付の人は目を真ん丸に見開いて「すぐお呼びします!」とどこかへ走っていってしまった。
「呼ぶって、あの……行っちゃった。一体誰を呼ぶつもりなんだろ」
「ここのギルド長さんですかね」
フェリチと短い会話を交わしている間、僕と受付さんの一連の流れを見ていた周囲がざわつく。
勲章出しちゃったし、仕方ないか。
「あ、あの、黒眼のディール殿……御本人ですか?」
話しかけてきたのは、隣の受付でクエスト受注手続きをしていた、長身の女戦士だ。
「ええ、まあ」
ウィリディスの冒険者ギルドに人がいなかったことは、幸運だったのだと、このあと思い知った。
「さ、サイン……いえ、その、せめて、握手だけでも……」
恐る恐る差し出された手に、握手くらいなら、と握ったが最後だった。
「おっ、俺も!」
「やっぱりサインください!」
「ドラゴン討伐ってどんなふうにやったんですか!?」
「ゴミでもいいので何かお持ち物を売ってください!」
ギルドにいた人たちからサインと握手と質問攻めにされ――握手以外は丁重にお断りした――、解放されるまで小一時間ほどかかってしまった。




