31 観光と帰還
およそひと月ぶりにアブシット城へ戻ってきた。
「おかえりー、ディール、フェリちゃん」
まずは休んでくださいと貴賓室へ案内されると、セレが出迎えてくれた。
「ただいま」
「ただいまです、セレさん。なんだかお疲れのご様子ですね」
セレは、僕たちがドラゴン討伐へ旅立つ前に三日完徹したときのような顔色をしていた。目の下の隈が治っていない。
フェリチが治癒魔法を掛けて、隈は少し薄くなった。
「ありがとー、フェリちゃん。私、そんなにひどいー?」
「何晩寝てないんだ?」
「んんー? 三日か四日だよー」
「寝ろ」
「寝てください」
「やーまって、まだ最終調整がー」
なにかぐだぐだ言うセレを、僕とフェリチの二人がかりで寝室へ押し込んでいると、部屋の扉が控えめに叩かれた。執事さんだ。
セレをフェリチに任せて、僕が応対した。
「お疲れのところを申し訳ありません。今後について簡単にお話しましたら切り上げますので」
「僕は疲れてませんので、大丈夫ですよ」
インヴィディアドラゴンを倒してしばらくしてから、夜中に右眼の激痛で飛び起きた。
激痛に耐えながら過ごし、朝になって痛みが引くと、僕はまた一回り強くなっていた。
今までは実際に動いたり戦ったりするまで実感が湧かなかったが、今回ははっきりと自覚できた。
そのせいもあって、本当に全く疲れていないのだ。
「なんと頼もしい。ですがまあ、手短に済ませます」
今日と明日は休息日とし、明後日に国王陛下との謁見。
そこでドラゴン討伐の礼と、オーラムことオープロカム・モント・アブシットの処遇についての説明を受け取る。
「それから、セレブロム様が製作された転移装置一号の設置にご協力願いたく……こちらの日程はまた改めて調整いたしましょう。ディール様が一日も早くウィリディスへお帰りになりたいということであれば、無理強いはいたしません」
ウィリディスに住むようになってから、ほとんどの人が僕の都合を最優先してくれる。
僕は少し考えてから、答えた。
「ウィリディスから緊急の用事等がなければ、設置に同行します。それと、少しでいいので、この国を観光させて頂けませんか?」
最初にアブシットへ行くとなったとき、フェリチが期待に目を輝かせていたことを思い出した。
思い返せば、セレも明らかに観光仕様の格好で準備していたし。
僕も、もうちょっとスルカスやウィリディス以外の国のことを知っておきたい。
帰り道は、いざとなれば転移装置がある。
とはいえ、僕たちはここへ仕事で来たのだ。観光なんて、と言われても仕方がないから、ダメ元で聞いてみた。
しかし、執事さんは目を丸くしてから、にっこりと微笑んだ。
「我が国を観光したいとは、大変光栄でございます。どうぞお気の済むまで、お好きな場所をご覧になってください。観光地のご希望はございますか? 速やかに馬車と宿の手配をいたしましょう」
おわ……と変な声が出そうになったのをどうにかこらえた。
翌日。フェリチが滅多に使わない睡眠魔法をセレに掛けておいたおかげで、セレはしっかりたっぷりと眠り、血色の良い顔になっていた。目の下の隈も、ほぼ見えない。
「おはようー、ふわぁー、フェリちゃんの睡眠魔法、すごいねぇー」
セレがまだ眠たそうにリビングへやってきた。
僕たちは先に朝食を食べ始めている。
「おはよう」
「おはようございます、セレさん。……だいぶお加減良さそうですね」
「おかげさまでー。いただきますー」
セレは自分で椅子を引いて座ると、眼の前にあった大きな白パンにジャムを塗りたくって食べ始めた。
「フェリチの睡眠魔法凄いな。今度僕にもやってくれないか?」
「ディールさん、眠れないのですか?」
「そういうわけじゃないんだけど、フェリチの魔法だから掛かってみたい。駄目かな」
我ながら妙なお願いをすると、フェリチはフォークを置いて手を口に当て、くすくすと笑った。
「治癒魔法以外に掛かってみたいだなんて、初めて言われました。では都合の良いときに」
「ありがとう」
「んー、んーふっふ、んふー、んふんふ?」
「セレ、食べてから喋って」
セレは口の中のものを飲み下してから、改めて疑問を投げかけた。
「ディールって、魔法、効くかな? 治癒魔法以外の」
「あ、そっか……そういや毒も効かなかったんだっけ」
「何それ詳しく」
僕がオーラムに毒を盛られたことをまだ伝えていなかったので、掻い摘んでセレに話した。
「はっ!? も、元王族が毒盛ってきたのっ!? だ、大丈夫なの!?」
「セレさん、落ち着いてください、スープこぼれてます……ああ、服に染みが」
「フェリちゃんっ! ディール大丈夫なのっ!?」
「大丈夫なんです。私も何度も治癒魔法を掛けました」
「調べさせてっ!」
「落ち着けって。僕はどこにも逃げないから、まず食事を済ませよう」
僕とフェリチの二人がかりでたしなめて、セレはようやく、しかし素早く朝食を済ませた。
「あー、ドラゴンの魔力のせいだねー」
「やっぱりそうか」
朝食を終えたセレは「ごちそうさま」と言うが早いか自分にあてがわれた部屋へ入り、出てきたときにはセレの小さな手に収まるほどの魔道具を手にしていた。
それを僕にあてた状態で、フェリチに睡眠魔法を掛けてもらうと、セレは数秒で答えを出した。
結局、睡眠魔法は効かないこともわかった。
「ってか、この魔道具はどうした?」
僕が尋ねると、セレはニッと笑って魔道具を掲げた。
「ディール専用の測定器ー。ディールになにかあったら、これで色々調べられるのー」
「いつの間にそんなものを……。えっと、毒が効かないのも同じ理屈?」
「そうだねー。ドラゴンの魔力がディールの身体能力や各種耐性を強化してるからー、毒の効きが悪かったのかもー。あとー、アブシットで厳重に管理してる毒物って確かー、お酒で薄めると極端に効果落ちるからー、ディール軽症で済んだんだと思うー。だからー、他の毒も平気なんて思いこむのは危険かもー」
「わかった」
てっきり他の毒も無効化できると簡単に考えていたから、セレの指摘には背筋が寒くなった。
今後も見知らぬ人や怪しい奴からの食べ物飲み物には警戒し、口にしないと心のなかで誓う。
そうこうしているうちに執事さんが侍女さんたちを連れて、扉を叩いた。時間のようだ。
例の民族衣装を着付けてもらってから、執事さんの案内で謁見室へ向かった。
謁見室の玉座には、リオさんくらいの年齢の威厳ある男性が座っていた。
「楽にしてくれ。私がアブシット王だ。先ずは、ドラゴン討伐ご苦労であった。なんでも、報酬の一部を民に回したいと希望したとか。だが、被害に遭った民にはもう既に十分に援助してあるのでな、当初の予定通り受け取ってほしい」
報酬は金貨五千枚。更に、今着ている民族衣装と、観光費用の全額。
本当にいいのだろうか。
「七匹のドラゴンなど我が国の騎士団が総力を挙げても討伐しきれぬ。民を守ってくれたこと、心より感謝する」
そう言ってアブシット王は頭を垂れた。国王に頭を下げられるのは落ち着かない。
「顔を上げてください。わかりました、有り難く頂戴します」
僕が慌てて言うと、国王はすっと頭を上げて、満足げに口を笑みの形にした。が、次の瞬間には表情を引き締めた。
「次はオープロカム……諸君らの前ではオーラムと名乗っていただろう。あれの処遇について、伝えておこう」
アブシット王が手を挙げると、僕達の背後に控えていた文官さんたちの一人が王と僕達の間に立ち、話し始めた。
「オープロカム・モント・アブシットは、この大陸の北の果てにある監獄にて、生涯幽閉と決まりました。……この国には王族を死罪にする法が存在しておりません。これが与えられる最大の刑でございます」
「はい」
僕は特に気にしなかったが、隣でフェリチが納得いかなさそうな顔をしている。ちらりと視線をやると目が合った。
フェリチはなにか言いたげにしつつも、何も言わずにこの話は終わった。
「最後に、セレブロム殿の転移装置の件だ。先日、実際に使用した者から話を聞いた。素晴らしいものを齎してくれて感謝する。そして、ディール殿とフェリチ殿には、設置の道に同行してくれると聞いておる。重ねて感謝を」
アブシット王の手振りに、今度は謁見室にいた人たちが一斉に拍手した。
王が再び手を上げると、拍手は止んだ。
謁見から三日後、僕たちはアブシット城から馬車で三日の距離にある、そこそこ大きな町にいた。
セレの転移装置を設置しに来たのだ。
「ディールー、私のこと見張っててー」
「必要な……あー、わかった」
セレは以前のことを思い出したのだろう、僕に見張りを頼んできた。
断わりかけてから考え直し、セレの気持ちが落ち着くならと、引き受けることにした。
「私も一緒にいていいですか?」
「勿論」
というわけで、僕とフェリチは転移装置の設置の一部始終を見守った。
「うーん、こんな楽な仕事で報酬出るのは流石に……このあとの観光の費用まで貰ってるし……」
僕の独り言を聞きつけたセレが、すすす、と寄ってくる。
「あげるって言ってるんだからー、貰っとけばいいのよー。そんでもっと、豪勢な生活してー、じゃばじゃばお金使おうー? 経済を回すってー、必要なことなのよー」
「なんだそれ」
「お金を一箇所に留めておきすぎるのもー、良くないのー。国営事業に参加した報酬ならー、尚更ー。使ったほうがー、ディールが気にしてる民のためになるのよー」
「そういう考え方もあるのか。……わかった、今後は遠慮せず貰うことにするよ」
「うんうんー」
セレは近づいてきたときと同じように、すすす、と現場指揮に戻っていった。
「差し当たって、豪勢な生活ってどうしたらいいのかな」
フェリチに尋ねてみたが。
「……わかりません。ルルムさんやリオさんならお分かりになるかも」
「帰ったら話してみるか」
セレに異常は起きないまま、設置も無事完了した。
設置の翌日、僕とフェリチとセレ以外の人達は城へ帰り、僕達はアブシットの観光名所をいくつか巡る旅に出た。
「あのスカート、フェリちゃんに似合うよー。ディール、買ったげてー」
「どれだ?」
「あのっ、私もう十分に買っていただいたのですが……」
まずは巨大な市場へ。食料から衣料、魔道具、家具などなど、ここなら何でもあるのではと思えるほどの物量と熱気だった。
僕は荷物持ちと財布係に徹し、フェリチに似合うものをセレに見繕ってもらって手当たり次第に買い求めた。
「ディールさんはなにか欲しいものは無いのですかっ!?」
「特に無いな」
「私ばかりこんなに申し訳ないです! セレさん、ディールさんの服も見繕ってください!」
「男物の服はわからないよー」
主にフェリチの悲鳴を聞きながら市場を一通り回ったあとは、食堂へ入った。
「! このスープ美味い」
「こっちのプリンみたいなものも美味しいです」
「んー、不思議な味がするねー、なんだろーこれ」
葉野菜と練り物が入った、ほんのり黄みがかった透明なスープが食べたことのない味で、絶品だった。
フェリチのいうプリンのようなものからも似たような味がした。
全て同じ味というわけではなく、食材ごとに土台となる味に変化をつけてある。
セレは早速味を分析し始めたが、結局わからず食堂の料理人に話を聞いて、手帳に色々と書きつけていた。
あとでフェリチと情報共有してもらって、可能ならば自宅でも再現してほしい。
古い物、新しい物、見たことのない動植物、嗅いだことのない匂い。
言葉や通貨が一緒でも、育んできた文化は別物だ。
ついあちらもこちらもと気の向くままに旅をして、気がつけば半月経過していた。
「流石にそろそろ帰ったほうがいいかな」
宿でフェリチとセレに提案すると、ふたりとも「仕方ないか」という顔で同意した。
名残惜しいのは僕もそうだが、ウィリディスに養ってもらっている身として、あの国を長期間留守にするのはよくない。
「楽しかったー。ダシ汁美味しかったー」
「ダシ汁、ウィリディスにも輸入されているのは初めて知りました。家でも楽しめるように頑張りますね」
「やったー」
セレが両手を上げて喜んでいる。僕も嬉しい。
先に連絡を入れておいたので、帰りの船は準備万端で僕達を待ってくれていた。
急ぎでないので転移装置は使わない。
船で二十日かけて海をわたり、約三ヶ月ぶりにウィリディスのある大陸へ帰ってきた。
「セレさん、船にも馬車と同じ振動抑制装置を設置することはできませんか?」
「相手が海だからねー、また別の研究が必要よー」
フェリチは残念そうに顔を曇らせた。




