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第八話 右郎の過去 その三 ヒダリー

「お二人とも、こちらへ……」


 泣きあっている二人を見かねた女教師が二人の背中を押して教室へ入れる。


 もちろん教室内に生徒や他の教師は居ない。


「……妹さんですか?――」

「――ちがぁう!」


 中学校の制服を着た少女の存在に疑問を持った教師が質問をするも、少女は食い気味に大声で否定する。


「そうだ……この子」


 右郎はさりげなく少女から言われたこと――ワタシの好きなお兄ちゃん――を思い出し、なぜこうまでに否定をしたのかを理解することができた。


 恋愛的な意味で好きな相手との関係を兄妹と勘違いされるなど、少女にとって屈辱もいいところだ。




「失礼しました。おっと……わたくしの自己紹介が先ですね」


 少女に頭を下げたあと、黒板の前へ移動し白チョークで自身の名前を書く。


佐野(さの)零子(れいこ)と申します。担当させていただいている教科は、国語になります。よろしくお願いします」


 名乗り、軽く頭を下げる。


 佐野先生は、この自己紹介を一切面倒などとは思わない。

 目の前の泣いている少女に自己を紹介し、親身になって問題を解決すること。それが絶対に正しいと信じているのだ。


「ワタシは……」


 少女はそこまで言って固まる。


「どうした?」

「どうしました?」


 右郎と佐野先生が心配する。


「名乗りたくない……名前、言いたくない…………」


 更に涙を流し、右郎の左腕に抱き着く。


 少女の名前は、所謂(いわゆる)キラキラネームである。

 名前のせいで右郎に嫌われるかもしれないと、恐れている。

 佐野先生も親身になってくれそうだが、名前を聞いた瞬間に見捨てられるのではないか。


 そんな考えが頭から離れない……。


「キミがどんな名前だろうと、おれがキミへの接し方を変えることはない。絶対的な意思以てして断言する。真面目さだけが取り柄の佐野先生だってきっと変わらない! おれは名乗るぞ。おれの名前は、ひだり――」


 少女を肯定し、先に自身が名乗ろうとするも、ひだり――その先が口から出ない。


「おれ、お……おれの、名前……は、ひだりー……」


 左門。苗字を言うことがどうしてもできない。

 なぜか? それは父親が有名にした名前だからだ。


 この少女も、左門右蔵の息子としか見てくれなくなってしまうのではないか。


 そんな考えが右郎の頭から離れない……。


 根本は、少女も右郎も変わらない。

 互いから悪く思われたくない一心で、名前を言うことができない。


「お兄ちゃんのこと、ヒダリーって呼んでもいい?」


 少女には右郎が名前を言えなかった理由が分からない。

 しかし、右郎が「ひだりー」と言った。

 頑張って言った。

 少女はその頑張りを、振り絞って言った「ひだりー」と言う名前を無駄にはしたくなかった。


「ヒダリー。かあ……」


 右郎的には複雑だった。

 頑張って口にすることができたが、左門から発生したあだ名というのが正直嫌だった。


「だめ?」


 右郎の嫌そうな顔を見て、少女は悲しそうにする。


「……駄目ではない……な……」


 少女の顔を見ると、嫌な感情が吹き飛び許せてしまう。


 ヒダリーというのは、少女がつけてくれた関係のないあだ名であると考えることにした。


 左門だからヒダリーである。


 実際はそうだ。右郎が最後まで名前を言えなかったために発生しただけに過ぎない。


 しかしヒダリーとは、苗字も下の名前も知らない少女がつけてくれた、意味のあるあだ名だということ、それも紛れもない事実なのだ。


「今からおれのことはヒダリーと、そう呼んでくれ」


 すでに佐野先生が左門くんと、少女の前で呼んでしまっている時点で苗字はバレてしまっていることだろう。

 もしかすると、このあだ名には意味がないのかもしれない。


 ――それでもおれが振り絞って言ったことからこの子が付けてくれたこと。重要なのはきっとそこなのだ。


 ヒダリーと言う呼び名が生まれた過程は、忘れられない思い出になることだろう。


「そうでしたヒダリー君。あなたに謝らなければならないことがあったのです」

「――いや先生も呼ぶのかよ!」


 佐野先生から不意にヒダリー呼びされ、思わずツッコミを入れてしまう。


 先生なりに気を使ったのだ。

 何度も言うが、左門と言う苗字を言えなかったのは、少女から右蔵の息子として見られてしまうことを恐れたからである。

 それなのに、すでに数度呼んでしまっているとは言え、左門くんと言う呼び方は問題だろうと佐野先生は考えたのだ。


 右郎は同じことを心配していた。

 しかしすぐに、この佐野先生は適切に呼び方を変更してくれた。


「……先生」


 右郎は感激した。

 これに気づいてくれるということは、右郎がみんなから社長の息子としか見られないということに悩んでいることを理解してくれたはずだ。


「ごめんなさい」


 深々と頭を下げた。


「せ……先生」


 佐野先生は自分の過ちに気づくことができた。


「ごめんなさいヒダリー君。あなたがなぜあの時、鞄も持たずに飛び出していったのか……考えました」


「……」


 右郎は何も言わずに聞く。


「わたくしは頭が固いので直ぐに気付くことはできませんでした。時間は掛かりましたが、わたくしの言葉がただの理想の押し付けであることに気が付きました……」


 佐野先生の声がだんだんと震えてくる。


「――それは、理想の押し付けと言うのは……正しさを教えるべき生徒に、生徒に対して絶対言ってはならないことでした。もう一度言います。あなたに響かないのならば、何度だって言います」


 もう一度、今度は最初よりも深く頭を下げる。






「申し訳ございませんでした――」






 自分の過ちに対し、これほどまでに重く考え生徒に謝ることができる。


 佐野先生は、自分の持っている価値観が正しいと、常に思っている。


 今回のことで自分の中の価値観を疑うことも必要なのだということを学んだ。

 教師が間違いを認め、学んだ。


 ――それはきっと素晴らしいことなんだと思う。


 右郎はこの佐野先生を尊敬することに決めた。

 自分を放置する父を考えると、間違いを認めることのできる大人の素晴らしさが際立つ。


 そして、きっとこれは本来、誰もができないといけないことでもある。


「キミのこと、間違いなく親身になってくれる。この先生になら安心して相談して良いと思う」


 黙って佐野先生を見ていた少女に目を向ける。


「ワタシも、信じられる。この先生のこと、信じて相談するよ!」


 少女の心に希望が宿り、佐野先生にこれまでのことを話し始める。

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