第四八話 クァワウィーの過去 その二一 邪気獣蝦夷樋熊――ジャキジュウエゾヒグマ――
ヒダリトバリアを展開させ、クァワウィーたち三人を抱き抱えながら、空中を飛ぶ。
目的地であるヒダリトの本社は羊蹄山の麓だ。
那深嬉たちがヒダリトスペシャル号に到着した時点で既に羊蹄山まであと少しと言うところだったが、ヒダリトスペシャル号はあの後支笏湖へ向けて飛んでいたのだが、左々木が飛んできた時点で、操縦担当の社員が危険だと判断し、空中で停止した。
停止したとは言え、視力二・〇以上ある者ならば支笏湖が視認できるまでに移動済みであった。
そのため、那深嬉たちはほぼ支笏湖からリスタートしたのである。
ヒダリトスペシャル号に乗る前に飛んでいた空路を、再び辿る羽目になってしまったのだ。
「あ、あの『き』! さっき見た気がする」
この辺りは森。どこもかしこも、木。木。木。で、個々の木の見分けなんてつかないが、右郎は空中から一本の木目掛けて指差しをした。
指差しをしたと言っても、那深嬉の飛ぶスピードは凄まじく速い。
新幹線よりも速い。
そんなスピードの中、彼はたった一本の木を視認してみせた。途轍もない動体視力である。
「凄いですね、右郎様。こんなスピードの中、森の中の一本の木を視認してみせるなんて。一回目に飛んだ時に記憶されたのでしょうか。……なんの変哲もない木ですが、印象に残ったのでしょうか?」
右郎が見た木に特別なことは何も無い。
無いが、那深嬉は真剣に飛びながら、流石は社長の――左門右蔵の息子さんであると、ひたすらに関心をした。
「みぎろうくん。木なんてどれも一緒に見えるよ。ここ森みたいだし」
クァワウィーは右郎が何を言っているのか謎に思う。
「あほーなくまさん居るかなぁ!」
森と言う言葉に反応したのか、キャワウィーは熊に遭遇することを、無邪気に期待し始める。
フトゥーノ王国の絵本なんかには、可愛らしくデフォルメされた熊が登場する作品が大人気だったりする。
しかし――熊は非常に危険な獣である。種類によっては、虎と互角かそれ以上だと言う。
ファンタジー世界でもっとも危険な生物と言ったらドラゴン。それはクァワウィーたちの世界でも同様である。
対して地球では、もっとも危険な生物は……もしかすると熊かもしれない。
「違うよ! クァワウィー。木なんてわかる訳ないしょ! おれが言ったのは『気』だよ。なんか、感覚でわかるんだよね」
「――気ッ! それって! まさか……右郎様。霊力のことを言っているのですか?」
あまり危機感無く言った右郎の発言を、那深嬉は聞き捨てることができなかった。
「子供とは言え、社長の血を――あの、左門家の血を引かれている子の、この発言――これは……」
血の気の引いた顔になり、声に震えがでてくる。
「なみきちゃん、だいじょーぶ? あほーになってない?」
心配したキャワウィーが那深嬉の顔を覗き込む。地味に暴言を吐きながら。
「キャワウィー! あほーの使い方が意味わかんなくなってきてるよ!」
注意なのかツッコミなのかよくわからないが、クァワウィーがツッコミつつ注意をする。
「すみません。一旦止まります。右郎様、その『気』はどんな感じですか?」
そろそろ支笏湖と羊蹄山の中間辺りに差し掛かると言うところで、那深嬉は心配になり、立ち止まる――いや、浮き止まるとでも言おうか。
右郎の言う『気』なるものを、那深嬉は霊力のことではないかと考えた。
霊的な力の呼び方を、株式会社ヒダリトでは霊力で統一しているが、他の言い方もある。単に『エネルギー』だったり、『エナジー』だったり、『霊気』や、『呪い』『呪い』そして、今まさに右郎の言った『気』と、様々ある。
ヒダリトが『霊力』で統一しているのは、霊的な力。そのまま霊力と言っているだけである。
因みにこの言い方は、フトゥーノ王国でも統一している。
とにかく、こういう訳で、那深嬉は右郎の発言を無視できるハズがなかった。
ヒダリトの戦闘社員たるもの、霊力の感知くらい容易い。寧ろ必須の技能だ。
四天王である那深嬉は、特に霊力を感じる感覚が強いハズだった――しかし右郎の発言を信じるならば、那深嬉の感知できなかった霊的な力を、五歳の少年が感知していたことになる。
もしかすると飛ぶのに必死になりすぎたせいで、気が付かなかったのかもしれない――そう思ったのだろう。那深嬉は目を瞑り、意識を森中に広げるイメージで、感覚を研ぎ澄ませる。
「えっとね、那深嬉お姉ちゃん。えっと……すこし、怖い感じだった。熊っぽいイメージも頭に飛び込んで来たよ」
那深嬉の焦り様が伝わったのか、いや、寧ろそう言った感覚は幼い子供の方がダイレクトに受けやすいだろう。右郎も少し怯えながら自分の感じたことを話す。
「くまさん、あほーかなぁ!」
キャワウィーはデフォルメされた熊しか知らないのだろう。丸っこい瞳をキラキラと輝かせながら、逢ってみたそうにしている。
「キャワウィー。熊さんにあほー言っちゃ、めー! でしょー? それに、現実の熊さんは、人を襲うって聞くよ?」
那深嬉と右郎の様子も見て、少し怯えながらも、暴言の絶えない妹の口を人差し指で軽く押しながら注意する。
クァワウィーはそれとなく熊が危険生物であると理解していた。
焦る那深嬉。怯える右郎とクァワウィー。
無邪気に元気なのは、キャワウィー一人だけとなってしまった。
そして、感覚を研ぎ澄ませていた那深嬉は、気が付く。
「――あ、ああ……あああ。あれはっ!」
キャワウィーが無邪気に暴言を吐いているさなか、右郎が感じたと言う『気』否、『邪気』の持ち主に――
「――那深嬉お姉ちゃん!」
右郎も流石に事態が飲み込めて来たのか、戦慄し、大声で那深嬉の名を呼ぶ。
元より身体が密着しているのだ。そこで発せられた大声――緊迫した声の振動までもが直に、那深嬉どころかクァワウィーとキャワウィーにまで伝わってしまう。
「う、うぐぅ」
ずっと無邪気に、あほーあほー言っていた二歳児も、右郎の戦慄を全身で体感してしまえば、流石に涙ぐんでしまうのも仕方がない。
「ひッ――い、いや……」
クァワウィーも泣き出したくなってしまったが、キャワウィーの手前、幼いながらも姉の意地で堪える。
しかし地上を見下ろし、目にし――涙腺が決壊する。
声を堪えながら、恐ろしさのあまりぽろぽろと、大粒の涙を地上へ降らす。
四人は一体何に怯えているのか――。
五メートルはあるだろうか。明らかにそれは本来の体格を優に超えており、フォルムが禍々しい。
北海道に生息する蝦夷樋熊。ユーラシア大陸北部に生息する樋熊と比べると、多少小柄目ではあるものの、それでも熊種の中では最強クラスであった。
そんな蝦夷樋熊――だった。だったと思しき化け物が放つ、禍々しい真っ黒いオーラ――邪気が、上空三〇メートル程で浮き止まるクァワウィーたちにまで、立ち上り、届いていた。
右郎は『木』なんて見ていなかった。見ていたのは『邪気』指を指した木の傍に、この邪気を放つ蝦夷樋熊が居たということだろう。
移動速度も恐ろしいものである。
「お義母様や左々木さんが襲われたのは――マンキシでは、なく……まさかッ!」
蝦夷樋熊の剣の如く尖った五つの爪を見て、ボロボロにやられた左々木の受けていた斬り傷がフラッシュバックする。
「いったい……何が。……何がッ起きているのですか!」
全てを容易く斬り落とせてしまいそうな、その爪から目が離れず――――左倉那深嬉は戦慄した。
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