第四六話 右郎の過去 その一〇 那深嬉にセクハラしてしまいました。
「……あの……右郎様。んっ……はぁ……はぁ、どうして、女子トイレに?……そんなに、強く……揉まないで…………」
「ね、ネェちゃん、いや、違っ! あ、あああああ! ごめん!」
那深嬉のその、動揺しながら上げる甲高い声に、右郎は焦る。騎士雄から逃げていた時よりも焦っている。
那深嬉の出したこの声。右郎は過去に、一八歳未満は視聴してはいけない動画で、よく似た声を聞いたことがあった。
そんな声を、知り合いの年上の女性に出させてしまった。
しかも、その声を出してしまった原因と言うのが、右郎が力強く彼女の胸部を揉んでしまったことに他ならなかった。
騎士雄から逃げるのに必死だった右郎は、この個室に入った際、右手にムニッとした柔らかな感触を感じていた。
那深嬉の台詞を聞いて、あの時、勢い余って、純白のナース服越しに彼女の胸に右手が当たり、無意識の内に、と言うか今も尚、粘土を捏ねるかの如く、コネコネと揉み続けていた。
「右郎様……あなたに触られるのは、嫌じゃ……ないのですが、こんな場所じゃ……」
那深嬉の髪は、桜の花の色をした毛束をメインに、葉の緑色が、桜の毛束の中に二割程の割合で、混ざって生えている。不思議な毛色だが、地毛である。
そんな桜の髪を、ほんの少しだけ、巻き髪とまではいかないが、内側に、円の様に滑らかに曲げており、肩にギリギリ掛かるか掛からないかと言う長さになっている。ストレートにすると、肩が少し隠れるくらいになることだろう。
那深嬉が恥ずかしそうに顔を赤らめながら、右郎から顔を反らすと、そんな桜色の髪がふわりと空気抵抗を受け、桜餅を連想させる様な、甘い香りを放出する。
「…………」
その香りに、右郎はボーっとし、一瞬何も考えられなくなった。
「何で女子トイレに来られたのかわかりませんが、直ぐに済ませるので、廊下で待っていて下さい」
右郎の沈黙を見て、那深嬉は冷静になり、年上の余裕と言わんばかりの落ち着いた表情をして、優しい声色で言いながら、右郎の右手を掴み上げ、自身の胸を、いやらしい手から解放する。
「今直ぐお話をお聞きしたいところですが、キャワウィーさんを送迎して帰って来たところなのですよ」
「キャワウィーさん? 何だそのふざけた名前は……どうしたのさ、ネェちゃん…………」
キャワウィーのことを覚えていない右郎には、那深嬉が落ち着いた声でふざけている様にしか見えず、突然どうしたのかと動揺する。
「……覚えて……いえ、わたくしの立場で、残念がるのは筋違いですね。……全く、藤――ウィステリア家のネーミングセンスのせいで右郎様にふざけてると思われるなんて……左藤先輩に文句言ってやります」
「うぃすてりあ? さっきから何言って――」
那深嬉が訳の分からないことを言っていると思い、何の話か問い質そうとしたところで、話をしている場合ではないと、今の状況を思い出す。
「――そうだ! 騎士雄とか言う奴に追われてて……どうしたら良い? きっと、この個室出たら間違いなく捕まると思うんだけど……」
セクハラ紛いのこと(と言うか完全にセクハラ)をしておいて一方的に頼るのもどうなのだとも思った右郎だったが、そんな倫理的なことを気にしていては、捕まってしまう。
記憶がハッキリとしている小学生辺りから、右郎は那深嬉のことを『お手伝いさんで、九歳も年上のお姉さん』くらいにしか認識していなかった。
幼い頃から、困った時に頼ったりすることも良くあった。そのため、頼ること自体は慣れている。
慣れているのだが、これまで普通のお姉さんだったのが、ヒダリトの施設を知ったことで、那深嬉も左々木や騎士雄の様な、人知を超えた、それこそバトル漫画のキャラの様な身体能力を持ち合わせていることが、容易に想像できた。
異常な力には異常な力をぶつけるしかない。
右郎は二人の実力に違いがあるのか、互角なのか、そんなこと、知る由もないが、異常な力を持ち合わせていない男子高校生にできるのは、力のある者に頼ること――それしか現状無いのである。
騎士雄が何故追いかけて来たのか、右郎には解らないが、那深嬉なら正しく対処してくれるだろう。
だが、
直前まで優しい雰囲気だったハズの那深嬉の表情が、右郎の話を聞いた途端、
「マンキ――騎士雄……と、言いましたか?」
怒った様に、顔全体に力が入り、歯を食いしばる那深嬉。
「え? ど、どうしたの……」
騎士雄の名前を出した途端に、彼女の放つ雰囲気が、優しいものから、憎しみの様に変化してしまった。
「お、おれの……せい? ご、ごめん……騎士雄とか変なこと言って」
右郎は突然のことで理由も分からず、しかも自分の発言がきっかけだったことで、自分が悪いのかと、自嘲すらしてしまう。
「ねぇ右郎様。この扉を開けた先に、ヤツが、マンキシ・ライトフィールドが居るのね?」
「――ちょっ那深嬉ネェちゃ――――」
いつもの敬語が崩れる程に怒りのまま、右郎に問うておきながらその答えを聞かず、生身の――ヒダリトの装備を装着していない様に見える右の拳で、スライド式ロックの掛かった個室の扉を殴り付ける。
「くたばるが良いわっ! マンキシっ!」
「うあああああ!」
バゴォンっと一瞬何の音なのか解らない様な、大きな衝撃音がしたかと思うと、右郎は反射的に壁と洋式便器の隙間に飛び込み、両手で頭を守る様にしながら縮こまる。
衝撃音は一瞬だった。
恐る恐る顔を上げ、立ち上がりながら那深嬉の方に目を向ける右郎だが、
「なんだ……コレ……いや、あの衝撃音ならこれくらい、納得ではあるんだけど、それにしても……」
惨状に、つい思ったことを口に出してしまう。
那深嬉は拳を突き出した状態で立っている。
そして、その那深嬉の先にあった扉は面白いくらい丸ごと外れ、殴られた衝撃で飛んだのだろう。丁度向かいの個室の扉を突き破り、その先の壁まで破壊されていた。扉は原型を留めていない。
「右郎様」
そう呼びながら那深嬉が右郎の身体を左腕だけで抱きしめる。
「ね、ね……ネェちゃん……」
右郎が那深嬉に抱きしめられたのは、これが最初ではない。幼い頃にもあった。
そんな幼い頃の、懐かしい気分にもなると同時に、つい先程、とんでもない常識を超えた力を見せつける様にしてきたことを思うと、右郎は安心と恐怖が混ざった不思議な感覚になるのだった。
那深嬉の髪について、初登場時に説明するのを怠っていました。
恐らく黒髪などをイメージされていた方が多かったのではないかと思いますが、実際は違うのです。
読む際のイメージに影響してくるかと思います。混乱させてしまい申し訳ございません。
髪型は年齢によって変化していますので、本編とクァワウィーの過去でも作中で書く予定です
。
 




