第四話 肉体分離編 その三 クァワウィー、可愛いよ。 そんなに可愛いの? クァワウィーって人は……
泣いた。声を上げて泣いた。
右半身でクァワウィーに、左半身で逆瑠に抱き着きながら。
右蔵の声を聞いていない。聞くことのできないクァワウィーは何故こんなにも右郎が涙を流しているのかが分からない。
だが分からなくてもいい。分からなくても、今は右郎に寄り添ってあげることが正しいのだと信じた。
「――ヒダリー。今度は、今度はワタシが助けてあげるからね……」
逆瑠は右蔵に会ったことがない。スピーカー越しでしか知らない。
それでも右蔵を許すことができないでいた。
「家庭環境のせいで上手くいかないって……言ってたもんね」
右郎は家庭環境、父親とのことで悩んでいた。
今の電話で父との関係に問題があることを察することは可能だろう。
しかし逆瑠は、言ってたもんね――と、断言をした。
「……え?」
何故知っているのかは分からない。
知られていることに驚きはしたものの、右郎は逆瑠の言葉に安心感を覚えた。
何かに驚いた右郎を見たクァワウィーが頭を撫でる。
「右郎くん……」
つい先ほどまで「右郎殿」という呼び方だったが、今の呼び方の方が安心感を覚える。
その安心感は逆瑠と同じもののように感じられた。
「……ありがとう。逆瑠……クァワウィーさんも――」
「なんだかわたしがおまけみたいな言い方ですね?」
クァワウィーさんも――その言い方が気に入らなかったようだ。
頬を膨らませている。
(名前の通り可愛らしい人だな……異世界に来てこの、クァワウィーさんに出会えて、本当に良かった……)
見ず知らずの世界で先を見通せない未来。
不安だらけだ。
この異世界に召喚されて間もない右半身は、クァワウィーを心から信頼しても良いと思えた。
どのような価値観が一般的なのか、地球の日本人との考え方にどの程度のずれがあるのかが分からない以上、安易に信頼するのは危険かもしれない。裏切られるかもしれない。
他の人に対してはそう思った。だがクァワウィーには逆瑠と同じ安心感を覚えたのだ。
逆瑠を信頼できるから、クァワウィーも信頼できる。
困った時や辛い時、二人に頼って良いと思えた。
「クァワウィーさん。逆瑠。ありがとう……もう大丈夫だ」
そう言って二人から離れる……が――。
「うぉおお!」
右半身と左半身に分かれているためバランスを上手くとることができず、結局再び二人に抱き着く形になってしまう。
「み、右郎くん! 大丈夫ですか……」
「ヒダリー! だいじょーぶ?」
二人とも心配するが、右郎が一旦離れたことで、ほぼ服が召喚時に中心で二つに切れ、隠さなければならない場所が丸見えになってしまっていることを思い出す。
「み、みみみみみ右郎くん!」
「ひひひひひひひヒダリー!」
呼び方こそ違うが同じような表情をし、ほぼ同じ反応をする。
「二人が……一致した」
右郎の右目は異世界のクァワウィーを、左目は地球の逆瑠を見ている。
左目を閉じればクァワウィーだけが見え、右目を閉じれば逆瑠だけが見える。
普段は二つの世界が重なって見えるが、クァワウィーと逆瑠の顔が完全に違和感なく重なり合い、一人の女性のように見えた。
別の世界の人間同士の筈が、よく見てみるとまるで姉妹かのようにそっくりな顔立ちをしている。
「右郎くん……新しい服を着ましょう!」
「ヒダリー着替えようよ!」
そう言ってクァワウィーは右郎から離れて立ち上がり、部屋の中から着替えを探す。
「どこにしまっているのでしょう……」
着替えなどは城に勤務しているメイドが管理している。
クァワウィー自身の衣類がどこにあるのかは、もちろん把握しているが、来客用の衣類を保管している場所など知る由もなかった。
「クァワウィー王女殿下! そういったことはメイドの仕事ですので! 廊下で清掃中の者を連れて参ります! 少々お待ち下さいませっ!」
室内ではほぼ右郎とクァワウィー。二人だけの空間のようになってしまっていたが、ずっと抱き合う二人を目を反らしながら見守っていたモンヴァーンは、メイドを呼びに部屋を飛び出していく。
「モンヴァーン……気まずかったのでしょうね」
クァワウィーは赤面していた。
右郎に寄り添ってあげることが正しいと信じ、抱き合っていたが冷静になってみるととんでもなく大胆なことをしてしまったと気付く。
「右郎くん……」
いつの間にか呼び方を変えてしまっていたことに気が付く。
無意識だったのだ。
クァワウィーは無意識に右郎くんと呼んでいた。
いきなりくん呼びをしてしまったことに後悔をする。
異世界側の事情で突然召喚してしまったのだ。
迷惑だったろう。しかも右半身だけであり、今後の日常生活すらままならない筈だ。
だからせめて敬意をと思い「異世界人殿」と、名前を知ってからは「右郎殿」と呼んだ。
しかし、そのせめてもの敬意は容易く消えてしまった。
後悔をした筈だった。それなのに右郎の不安そうな姿を見ると――。
「――右郎くん」
再びそう口に出てしまう。
「……右郎くん」
壁に向かって言った。
右郎の名を口にするたび、胸が高鳴る。
――なぜなのでしょう。
クァワウィーが可愛らしい初恋をした瞬間だった。
「クァワウィーさん……なんでおれの名前そんなに連呼するんだよ……」
クァワウィーは右郎に聞こえないよう壁に向かって、小さな声で右郎の名を口にしていた。
だが口にするたびに想いはどんどんと大きく膨らんでいき、無意識のうちに想いと比例するかの如く声が大きくなっていく。
「右郎くん!」
部屋全体に響き渡る声量だった。
大きな声だが、その声には甘い熱を帯びていたように――。
右郎にはそんなように感じられた。
聞くだけで胸が高鳴り、右郎の体温は徐々に上がっていく。
「くぁ……くぁわうぃー……さん……」
「あ……」
そこで気が付いた。
クァワウィーは、自分が何をしていたのかが一瞬分からなくなる。
信じられなかった。無意識に声量が大きくなっていたなど……
「あ、その……」
気恥ずかしくなりベッドから離れる。
「クァワウィーさん……」
右郎はベッドから降りて、クァワウィーを追いかけようとする。
「ヒダリーなにしてんの!」
「左門先輩!」
左半身も動いてしまうため逆瑠と零に心配される。
しかし今はクァワウィーだけを見ていたい。クァワウィーの声だけを聞いていたい……そう右郎は思った。
左目を閉じ、クァワウィーだけを見つめ、更に左手で左耳を塞ぎ、クァワウィーの声だけを聞く。
左半身で起きていることなど気にしない。
「クァワウィーさ……うわぁ!」
クァワウィーを追いかけようとした右郎だったが、当然歩けるわけもなく、ベッドから落ちてしまう。
「右郎くん!」
クァワウィーが心配し駆け寄る。
「大丈夫ですか! 痛くないのですか!」
出会ったばかりの右半身に、こんなにも心配してくれる。
右郎はそれがたまらなく嬉しかった。
自分自身を見て、これほどまでに感情をさらけ出してくれることに感動した。
ベッドから落ちたことは確かに痛かったが、騒ぐほどのことではない。
しかしクァワウィーは過剰とも言えるまでに心配し、涙すら流す――流してくれた。
その姿を見て思ったことが……名前を連呼していた時点で思っていたことが、口から零れ落ちる。
「――クァワウィー、可愛いよ」
それを聞いたクァワウィーは数秒固まったのち、右郎の胸に顔を埋めてしまう。
照れた顔を見せられなかったのだ。
右半身だけが甘い空気になっていると、左耳から大きく息を吸う音が聞こえてくる。
「ヒィイイダァアアアリィイイイ!」
怒りすぎてなんと言っているのか、右郎には直ぐに分からなかったが、逆瑠がヒダリーと叫んだ。
「うっあああああああ!」
「え? 右郎くんどうしたのですか!」
突然叫ばれ、思わず右郎も声を上げてしまう。
案の定クァワウィーが心配する。
「だ、大丈夫大丈夫!」
「本当に? 右郎くん……」
心配することではない。それは確かだと思い大丈夫と言うも、クァワウィーは不安そうに見つめてくる。
右郎は良く分からないが、逆瑠が怒っているのは分かった。
とりあえず閉じていた左目を開こうとするが――。
「いででで」
逆瑠が指で無理矢理こじ開けてきた。
「右郎くん! そちらの世界で何が起きているのですか?」
クァワウィーが不安で泣き出しそうだ。
「うわ腕も!」
左腕を掴まれ、クァワウィーの声だけを聞くために塞いでいた耳から放される。
「……むぅ」
逆瑠は右郎と今にもキスができそうなほど顔を近付け、ジト目で見つめていた。
「そっちの人、クァワウィーさんって言うの?」
そう言って更に顔を近付ける。
「わあああああああ! これ以上はマズいって!」
今にもキスができそうな状態から更に顔を近付けたのだ。
右郎の頭は訳が分からずパニックになる。
「そんなに可愛いの? クァワウィーって人は……」
頬を膨らませ不満そうにしている逆瑠の姿は、昔出会った名前も知らない少女を思い出させた。
「逆瑠……」
その少女とは名前こそ知らずに別れることになったのだが、右郎にとって人生を変える、救いとなった人物だった。
そんな少女と、逆瑠の姿が似て見えてしまったのだった。