第二八話 龍脈異常編 その一 クァワウィー幼馴染との再会
零は地上から五〇メートル程離れ、究極筋肉補助スーツを安全解除してカトラリーオーガと戦っている。
「ぐ……あああああああ!」
このスーツは右子が使用していた筋肉補助スーツを数段改良された製品であり、エネルギー効率が大幅に改善されている。
どのような改善があったのかだが、例えば、オーバーヒートが起こりにくくなった。しかしそれでも零の体には多大な負荷が掛かっており、全身を襲う痛みを誤魔化すように喉が枯れる勢いで荒い叫びを上げる。
「ううううああああああ!」
正面からカトラリーオーガに突っ込むと、剣のような爪にやられてしまう。
零は痛みでまともな思考がほぼできなくなってしまっているのだが、爪にだけは当たってはならないと思った。爪を見ると、逆瑠が殺された光景を鮮明に思い出し、脳に焼き付いて消えなくなる。
だが、それで良い。このカトラリーオーガから母親の雰囲気を感じようが、焼き付いた光景のお陰で迷いは消えた。
スーツの出せる最大スピードであるマッハ四でカトラリーオーガの背後へ回り込み、即座に背骨の中心目掛けて拳を繰り出す。
『オオオオオオグァアアアアアア!』
しかし繰り出した拳より速く、カトラリーオーガが回れ右で零の方向を向く。
「は、速い――」
想像を遥かに凌駕する回れ右に戦慄する。
『オガァアアアアア!』
カトラリーオーガは叫びながら爪を零に向けて振り下ろす。
「――え?」
振り下ろす速度は尋常ではなく、零の視力で捉えることができず、語彙力を失う。
駄目元ながら両手で顔を守りたいところだが、手を顔まで持っていくよりも爪を振り下ろす方が残念ながら早い。
「センパアアアアアイ!」
ここで自分が殺されると、次は右郎が狙われるだろう。そう思い、申し訳なさから右郎のことを大声で呼ぶ。
顔を守ることはできなかったが、叫ぶことはできた。
――左門先輩。どうか、死なないでください。
自分がまさに殺されようとしていると言うのに、零は右郎のことを心配する。
「この、叫び声は……」
零の叫び声は、地上に居る右郎にしっかりと届いていた。
「零くん……まさか――」
叫び声からは、緊迫した雰囲気が伝わってきていた。
右郎は嫌な想像をしてしまう。
――殺されてしまうのか……。
そうなると、カトラリーオーガは逆瑠と零の二人を殺害したことになってしまう。
「カトラリーオーガ……許せない――逆瑠を殺した時点で許せないが、益々許せない……でも、今の左半身しかないおれには許さないと言うことしかできない。この復讐心の様な感情は、どうしたら良いんだ……」
左右の拳を強く握り締め、悔しむ。
「……」
クァワウィーはなんと声を掛けたら良いのか分からなかった。
――無責任に、大丈夫などと言うのも……違いますよね……。
「ミギロウ。カトラリーオーガはこちらの世界にも存在している。こちらのカトラリーオーガを倒せるくらい、強くなるしか、今は方法がないだろう」
モンヴァーンは冷静に、だが悔しそうに言った。
「……そんなこと言われても、地球はどうなるんだ……」
異世界でカトラリーオーガを倒したとしても、地球のカトラリーオーガは無関係の別個体である。
逆瑠を殺害した存在は、生き続ける――。
「モンヴァーン……どうしろっていうんだよ!」
行き場を失った絶望を、モンヴァーンにぶつけてしまう。
「こちらの世界でできることは、強くなること。それだけだ。ミギロウ」
モンヴァーンは右郎の目を真っすぐ見ながら言う。
「――それだけ……それだけって……」
モンヴァーンの言うことを、右郎は理解できる。
まず強くならないことにはどうにもならないだろう。
それでも、右郎は理解できないフリをする。
――この絶望を、強くなるの一言で纏めないでほしい。
右郎のそれはただの我儘であり、心の弱さ。
――理解できない。
心の中で自分自身に向けて言ったその言葉は、モンヴァーンの言うことを理解できないフリをするために言ったのか、大きすぎる絶望が、そもそも理解できないフリをしていることに気づけないでいて、理解できないと思い込ませてしまっているのか、はたまた、なぜこれ程までに自分が弱いのか――心も体も――。
そんな思考がグルグルと巡り、なぜこんなにも考え込むのかと、グルグルと巡ること自体が理解できず、結局――理解できない。
同じ思考がループする。
――疲れて、きたのかな……。
右郎は右蔵の息子ということで生きずらい思いをし、この日、右半身だけが異世界へ召喚され、残された左半身側では再開したと思った少女が怪物に殺害され、高校の後輩もいつ殺されてもおかしくない状況だ。
クァワウィーの胸で泣くことを既に二回程しているが、右半身だけ異世界に召喚されてからまだ一時間程度しか経過していないのだ。
濃密すぎて、幾ら何でも疲れ、冷静な思考もままならない。
「モンヴァーン。待って」
疲れ果てた右郎を見たクァワウィーは、右郎になんと声を掛けたら良いのか分からないでいたが、モンヴァーンを止めた。
「クァワウィー王女殿下……」
モンヴァーンは困ったようにクァワウィーの名を口にする。
自身も右郎が疲れ切っていることは分かっていたが、騎士団長と言う立場である関係で、厳しくなってしまう。
「モンヴァーン。わたしたちは右郎くんの世界が見えません。右郎くんが話してくれることや、右郎くんの反応から想像することしかできないのです」
「ええ。その通りです。カトラリーオーガなどと言うとんでもない魔物が暴れているなど、正直我々の想像を遥かに超えた悲惨な状況なのでしょうね……」
モンヴァーンは、正直地球人が助かるのは絶望的だと思っており、諦め混じりな表情をする。
だが、クァワウィーは諦めていない。
「御神体にお願いをしてきます」
諦めかけているモンヴァーンとは対に、クァワウィーの目には希望があった。
「なっ! なにを! いけません! それは駄目ですクァワウィー王女殿下! 一四年前のことをお忘れなわけありませんよね!」
モンヴァーンは全力でクァワウィーの考えを否定する。
今から一四年前、クァワウィーの妹であるキャワウィーが御神体にお願いをしたことで、キャワウィーは地球の北海道にある支笏湖へ迷い込み、クァワウィーと護衛二人も後を追い迷い込んだ。
御神体が目に見える形で願いを叶えた前例は、フトゥーノ王国に残る歴史上、存在せず、龍穴に繋がる龍脈という、霊力の通り道が王国中に広がっているのだが、その通る霊力の質が低下、どういうことかと言うと、純粋だった霊力に悪い念、邪気が混ざるようになってきてしまった。
王家は正確な原因どころか対処法すら不明だが、少なくとも御神体に願い事をするのは危険とし、今まで幼い子であればお願い事をしても許されていたところ、完全に禁止とした。
クァワウィーはその禁止されたことを実行すると口走ったのだ。
「クァワウィー王女殿下。それだけは駄目です! キャワウィー王女殿下も兄上も――」
フトゥーノ王国の騎士団長は自国を守る最高戦力。
そんなモンヴァーンはクァワウィーのしようとしている禁止行為を何としても阻止しなくてはならない。
しかも、モンヴァーンにとっては実の兄であるマンキシが犠牲になっていると言うのもあり、私情も相まって絶対に阻止したかった。
「わたしはどうなっても構いません。右郎くんを助けるためならどんな目にも遭いますよ!」
希望のあったクァワウィーの目は不自然に見開き、声にも焦りがあった。
「国の決めたルールに背くと言うことは、王女と言う身分であろうと、国家反逆として罪に問われることになるのですよ!」
モンヴァーンも絶対に止めなくてはと焦り、声を荒らげてしまう。
「クァワウィー! 止めてくれ!」
二人の会話を聞いていた右郎が、クァワウィーに向けて大声を上げた。
「右郎くん……」
――あなたのためにしようとしているのになぜ止めるの? どうしてですか?……ああ。でも、疲れているあなたを助けるためなのに大声を上げさせるなんて……駄目ですね。
クァワウィーは本末転倒だと葛藤し、卑下してしまう。
「……クァワウィー。今の内に聞いておきたいんだけど」
右郎は、零の叫び声が心配でクァワウィーに聞きそびれていたことがあった。
「え? なんでしょう?」
「佐藤逆瑠と言う、殺されてしまった子から貰ったメモ用紙があるんだけど、てっきりおれはその子の名前が書いてあると思っていた。だが、意味が分からない。メモ用紙には「くぁわうぃー・おーじょ・ざ・らいとうぃすてりあ」と子供のような筆跡で書いてあったんだ。くぁわうぃーってクァワウィーのことだよな? 何か知らないか?」
少女と交換したメモ用紙は右郎にとってとても大切な物だった。
少女の名前が書いてある筈が、クァワウィーの名前が書いてあったのだ。左半身が危険な状況だが、気になって仕方がない様子。
「……思い出せませんか?」
クァワウィーは少し寂しそうにする。
「もしかして、過去に会ってる? 異世界人同士なのに?」
「支笏湖で出会ったじゃないですか。妹。キャワウィーのことも覚えていませんか?」
そう言われ、何となく右郎は逆瑠に目を向ける。
「逆瑠の髪。金色に染められているけど、根本がクァワウィーと同じ銀色。キャワウィーちゃんも、こんな色をしていたな……」
当時五歳の記憶。大分朧気ながらも、何となく思い出してくる。
「凄く思い出深かったんだけど、父親の息子ってせいで子供ながらにストレスが溜まって、いつの間にか忘れちゃってたんだな……」
色々あったが、細かいところまでは思い出せていない。
右郎には、友達と言えるような存在が居なかった。
学生時代には社長の息子という存在が物珍しく思い、右郎そのものに興味を持たず関わってくる者ばかりであった。
右郎が友達だったと自信をもって言えるのは、クァワウィーとキャワウィー。そして三年前に出会った少女、佐藤逆瑠だけなのだ。
零は友達かどうか怪しい。
「クァワウィーに再開できて良かった!」
逆瑠は殺されてしまったが、クァワウィーは生きている。
つい先ほどゴブリンによって命の危機にあったが、右郎はクァワウィーのことを守ることができていたのだ。
「クァワウィーは、救えて良かった! 良かったよ!」
右郎は大切な存在を全て失った訳ではなかったことを知り、涙を流す。
そして、右目には救えたクァワウィーと、左目には救えなかった逆瑠の姿が見えている。
「でも、やっぱりキミのことも救いたかった……」
救えた嬉しさと、救えなかった悲しみが混在する。
逆瑠を救えなかった悲しみがクァワウィーを救えた嬉しさを増幅させ、クァワウィーを救えた嬉しさが逆瑠を救えなかった悲しみを増幅させた。
「このままだと無限ループだ……そうだ。キャワウィーちゃんはこの城に居ないのか? 確か当時二歳だったっけ? あの子にも逢いたいな」
二人を同時に見ることで感情が起伏するが、もう一人、キャワウィーと言う友達が居たことを思い出す。
「え?」
しかし、右郎がキャワウィーのことを聞いた途端、クァワウィーの表情が曇る。
「ミギロウ。キャワウィー王女殿下は……」
「モンヴァーン! わた……しが、話します」
モンヴァーンが気を使って代わりに説明しようとするが、クァワウィーが止める。
「え? キャワウィーちゃんに何かあったのか?」
普通ではないクァワウィーの様子に、右郎は心配になる。
「右郎くん。忘れてしまったのですか?」
トラウマを思い出したかのようにクァワウィーは少量の涙を零す。
「ちょ。ちょっと待てクァワウィー。む、無理はしないで――」
右郎には、なぜクァワウィーが涙を零すのかが分からなかった。しかし自分も散々辛い目に遭い、クァワウィーに慰めてもらったが故に、無理はしてほしくなかった。
「心配してくれてありがとうございます――大丈夫です……」
涙声でそう言った。もちろん、右郎には全く大丈夫そうに見えなかったが、どうしても話したいという意思を感じ、これ以上何か言うのを止めた。
「キャワウィーは、地球に取り残されたじゃないですか。思い出せませんか? てっきりわたしはお母さまや右郎くんと一緒に居るものとばかり思っていたのですが――」
クァワウィーは一気に不安になり、右郎に目と鼻の距離まで近付き、問い質す。
「なんだって……」
右郎には、支笏湖で出会ったあと、キャワウィーとの記憶がない。
クァワウィーや、一緒に居た護衛と共に帰ったとばかり思っていた。いや、成長してからはクァワウィーたちとの思い出は現実離れした出来事であったために夢とすら思ってしまっていたのだ――。
「行方不明――じゃないか……これ」
知らず知らずのうちに大罪を犯してしまっていたのかと、右郎の頭は真っ白になった。
「やっぱり覚えてないのですか? そんな……知らないなんて……うそ、キャワウィー! どこ? どこに居るの? 右郎くんと一緒に居るって、信じてたのに……そ、そそそそんな……み、みみみぎろうくん。うそだよね!」
クァワウィーはパニックになり右郎の両肩を掴んで激しく揺する。
尚、左半身はゴーレムであり、重いため生身の肉体である右半身のみが動く。
「クァワウィー王女殿下。落ち着いて下さい。右郎も大丈夫だからな! 当時五歳だったお前に罪なんてある訳ないんだからな! 大丈夫だからな! 心配するじゃないぞ!」
モンヴァーンは必死に二人を落ち着かせようと言葉を掛けるも、効果はない。
――キャワウィー王女殿下のことを考えると、これっぽっちも大丈夫ではないよな……心配する要素しかないぞ……。
右郎に掛けた言葉は、右郎は悪くないと言う意味で言った言葉だが、解釈次第ではその場しのぎの無責任な発言であったことに気が付く。
――兄上……。
モンヴァーンはどうしたら良いのか分からず、兄であるマンキシに心の中で助けを求めたのだった。




