第一八話 肉体分離編 その一一 まだ居る味方は、何があっても守る
少女の遺体がボロボロになってしまったショックと、零に対するどうしようもない怒りで、右郎はどうしたら良いのか分からず、両目を閉じ、両耳を手で塞ぎ、現実逃避をする。
辛い状況なのは地球の左半身だけだが、異世界側の右半身でも塞いでしまった。
視覚と聴覚はシャットアウトされ、嗅覚や触覚が残る。
嗅覚では濃厚な血液の香りがしていた。
どちらかというと、左鼻の方が濃い。少女の出血量が途轍もなく、あちこちに飛び散ってしまっている。
右鼻でも血液の香りはしているが、左鼻程ではなかった。右で感じる血液の香りは、初めに殺されてしまったメイドのものと、モンヴァーンが斬ったゴブリンたちのものである。
そして触覚。体に手で触れられている感覚が、右郎にはあった。触れられているとは言っても、右半身限定である。
一体誰に触れられているのか、そんなこと分かり切っていた。
手で触れられていると思っていた右郎だったが、もっと広い範囲で触れられている気がしてきた。
――両腕で抱き着かれている。
そう思った矢先、抱き着かれる力が強まり、衣類の感触と女性らしい柔らかな体の感覚が伝わってくる。
――耳を塞いじゃってるけど、きっと凄く心配してくれている……。
頭に、一滴の水が落ちてくる感覚があった。
雨ではない。雨ではないのに、落ちてくる水の量が少しずつ増していく。
いつの間にか、右郎に抱き着いている体がピクピクと動くようになっていた。
――これは、もう……現実逃避している場合じゃないな。
現実を見るのは怖かったが、まずは右目だけを開いてみる。
右目を開くと、右郎を抱きしめながらぽろぽろと涙を流しているクァワウィーの姿が見えた。
「――クァワウィー……」
――おれのために、こんなにも悲しんでくれる。
右蔵との電話の件でも似たような状況だったが、今回の方がより悲しませてしまっていると、右郎は感じた。
それだけではなく、逆瑠はもう居ない。左半身はとても寂しく、暫く左目は開けそうになかった。
「……」
クァワウィーが何かを喋っている。
これ以上、右耳を塞いでいるわけにもいくまいと、右手を下ろす。
「……みぎろうくん」
クァワウィーは涙声で右郎の名を口にし続けていた。
「クァワウィー。心配してくれて、ごめん……ありがとう」
右郎は心からお礼を言った。
「……ん」
クァワウィーは、それだけ言って右郎を抱きしめ続ける。
なぜだか、クァワウィーの抱き着いて来る感覚に、右郎は既視感を覚えた。
「……なんで、被るんだろうな……キミたちは……」
三年前の少女と抱き着いて来る感覚がそっくりな気がしたのだ。
そっくりだが、別人である。クァワウィーは少女の代わりではない。逆であっても然りである。
それを踏まえた上で、クァワウィーを抱きしめ返す。
抱きしめ返すといっても、ゴーレムの腕はクァワウィーでなければ操作することができないため、右腕しか使えない。
クァワウィーは目の前に居るが、涙を流すような精神状態では龍霊術を使用することは基本的にできない。
と言っても今、龍霊術が使用できたとして、それでは自分で抱きしめさせることになるので、そんなことする筈がない。尤も、結局動く土でしかないゴーレムで抱きしめられても虚しいだけである。
「何があったかは分かりませんが、何があっても、わたしは右郎くんの味方ですからね」
クァワウィーが言ってくれたその言葉に、右郎は安心した。
――逆瑠はもう居ないけど、クァワウィーは居てくれる。失ったものは大きすぎたけど、まだクァワウィーが居る。信頼できる味方が居る。
右郎は逆瑠という、失った人だけを考えるのを止めた。
もちろん逆瑠のことを忘れるなどというわけでは断じてない。
先に進まねばと考えたのだ。
「おれに残されたものを守る。誰かが、逆瑠の様になってしまうことは……必ず、絶対的な意思を以てしておれが阻止する」
クァワウィーを力強く抱きしめながら部屋全体に響き渡る力強い声量で宣言をする。
「――右郎くん……無理は、しないでくださいね?」
クァワウィーには右郎のその絶対意思と力強い声量が格好良く見えた。かなりときめいた。
しかし同時に心配でもあった。右郎から大切にされたことは伝わってきたが、もしも自分が死んでしまうようなことがあったら、今度こそ右郎の心は修復不可能な程に壊れてしまうかもしれないと思ってしまう。
「ミギロウ。それなら、強くならないとな」
ニヤリとしながらモンヴァーンは背負っていた大剣を鞘ごと外し、持ち手部分を右郎に手渡す。
「大剣?」
良く分からないが渡されたので取り合えずクァワウィーに離れてもらい、右手で持ってみるが――。
「おわぁ! お、お……重た……い――」
大剣は重たすぎて一秒すら持っていられず、ベットの上に落としてしまった。
「大丈夫ですか右郎くん。ごめんなさい! わたしもゴーレムで一緒に持てば良かったですよね――」
考え込んでしまっていたせいか、クァワウィーは咄嗟にゴーレムを動かすことができなかった。必然的に右郎は右手、詰まり片手で大剣を持つに至ったわけだが、持てるわけもなかった。
更にゴーレムが左半身としてくっついていることで、ゴーレムが適切に動いてくれなければ右腕や右足以外はゴーレムに固定され、動くことができない。バランスがおかしくなり、それが余計に大剣を持ちにくくさせた。
「いいよクァワウィー。いきなり大剣持たされるなんて思わないし……仕方ないと思う」
罪悪感を持ってしまったクァワウィーに、仕方ないと言う気持ちで慰めたのだが――。
「ミギロウ、仕方ないのは今後無しだ」
モンヴァーンの今の言葉は、言う程大きな声ではなかった。
だが、右郎とクァワウィーは少し怖いと感じた。
騎士団長としての厳しさや威厳を感じさせるような、心に来る声色であった。
「ミギロウ。俺のその大剣を、最終的には片手で振り回せるようになってほしい」
「おれを、鍛えてくれると……そういう、ことか?」
――この大剣を片手でって……モンヴァーンは軽々とやってたけど、おれがって言うのは自信ないな……。
「右郎くんがその大剣を片手で……モンヴァーン。どんな訓練を……」
「右半身しかない人間の鍛え方など知りませんが、クァワウィー王女殿下、あなたも右郎と共に訓練をしていただけますか?」
――わたしも訓練……不安もありますが、好きな人と、右郎くんと一緒に居られるなら不安なんて打ち消されそうですね……。
「もちろんです」
クァワウィーは右郎と共に強くなって見せると強く、この国で祀っている存在に誓った。
誓ったが、正直なところ右郎と訓練中にイチャイチャするような妄想をしてしまっていた。
(ん? なんか、クァワウィー……ニヤついているような……気のせいか!)
右郎はこんな真面目な話で王女がニヤつくわけなどないと、信じた。
「ゴブリンと戦う時、ある程度できていたようだが、右半身と、クァワウィー王女殿下のゴーレム操作の連携をもっと自然にできるようにならなければ、今後戦い続けることは難しいでしょう。ですので、まず、お二人の連携を強めましょう。お互いの次の動作を完全完璧に予測し、瞬間的に対応できるようになるのが理想です」
「右郎くんの動きはよく見ていましたが、やはり訓練されたわけではありませんので、ゴーレム操作も最善な動きを取れていたかは分かりません。わたしもまず連携を強めるのが最優先だと考えます」
「そうだな。さっきは無我夢中で……クァワウィーが合わせてくれて、何とか戦えていた感じだった……いや、最後には殺される寸前まで行ってしまった……クァワウィーも殺されかねない状況だったし、そこを訓練するのが最優先だと、おれも思う……」
突然右半身だけが召喚されてから一時間程度、先を一切見通すことができず、地球ではかつて好きだった少女までもが殺害されるなど、不安要素だらけだった右郎だが、ここでクァワウィーと共にモンヴァーンに鍛えてもらうという、明確な目的が決まった。
――地球では、零くんが、カ……カト…………なんちゃらオーガと命懸けで戦っている。右半身ですることは決定した。左半身が危険すぎる状態だが、せめて……左目を開き、左耳も開放し、現実を見聞きしよう。
「クァワウィー。モンヴァーン。おれ、右半身でやることは明確に分かった。そして覚悟も決まった――これから、左側の世界から逃避するのを已める。左目を開き、左耳から左手を除ける」
二人に宣言をした。
決心を一層固めるためである。
宣言をすることで、精神的に逃げにくくなる。二人から地球にある右郎の左半身は見えないが、右郎は嘘が嫌いだ。
何が何でも、途中、怖気づいたとしても宣言通りに左側の世界をしっかり見聞きすると、自分に言い聞かせながらまずは左目を少しづつ開いていく。
その間、クァワウィーとモンヴァーンは何も言わず、見守る。右郎なら大丈夫だと信じて。
「……う――」
凄惨な光景に、思わず右手で口を押えてしまう。
実際に凄惨な光景である側の、左半身の口は押さえられていないが、利き手で抑えることが精神的安定に繋がるのだ。
「右郎くん……」
クァワウィーは両手で右郎の手を握り、心配をする。
そう、右郎の手を握り、心配をしていたつもりだった。しかし、右郎の右手は口元である。であれば、クァワウィーが握ることはできない。ならば、クァワウィーが握っているのは一体何なのかだが――。
「――あ……」
間違えて、ゴーレムの手を握ってしまっていた。
恥ずかしくなり、そっぽを向いてしまう。
ゴーレムの完成度の高さが仇となってしまったのか……。
「ミギロウ。今後、凄惨な光景は何度も見ることになるだろう。ここで乗り越えるんだ! それを乗り越えなければ、クァワウィー王女殿下を守れないぞ!」
天然のクァワウィーとは対称に、モンヴァーンは厳しいことを言う。
厳しいが、モンヴァーンなりの優しさである。
「――ありがとう……二人とも!」
クァワウィーとモンヴァーンからの言葉が勇気となり、左耳を塞いでいる左手を下ろす。
『ドォオオオオオン!』
左耳でしっかり音が聞こえるようになると、クリアで大きな音が聞こえてくる。
「――この音は! ま、まさか――」
実を言うと、大きな音は左耳を塞いでいる時でも聞こえていた。
聞こえていたが、現実から逃げていたため、無視をしていた。だが、現実と向き合おうとした今、その非日常すぎる音が何なのか、すぐに分かった。いや、知っていたが、恐ろしくて気がついていないフリをしていたのだ。
「……零くんの戦闘音? なのか?」
零は救急車を突き破り、外で戦っている。株式会社ヒダリトの製品が、まさかバトルアニメのような戦闘を繰り広げているのかと、にわかには信じがたいが、戦闘音を考えると、零の姿は見えないが、本当に途轍もないバトルを繰り広げているのだろうなと、右郎は想像をした。




