第一七話 肉体分離編 その一〇 株式会社ヒダリトの製品VSカトラリーオーガ
SF要素の登場です。
「左門先輩。実は僕の鞄の中に究極筋肉補助スーツがあるんだ――」
究極筋肉補助スーツは固い金属を素材としているのだが、実はかなりコンパクトに折りたたむことができ、一般的な学生鞄には余裕で収納可能なのだ。
「え? あのなんちゃらスーツ買えたのか?」
右郎は驚いた。究極筋肉補助スーツは左々木曰く二〇〇〇〇〇〇円もすると言う話だった。
高校生に手の届く金額ではない。零に購入することなど正直不可能だろうと思っていたのだ。
「……ま、まさか! 大量に借金を?」
所持金が足りないのなら分割払いをすると言う方法もあるが、左々木曰くそれはできないということだった。であれば、借金をするしか方法はないと結論付けた。
「社長さん。先輩の父君に無理を言ってお借りしているんだ。さっきまでは急に怪物が襲ってきてスーツを着る余裕がなかったけど、この母さん……いや、でかい怪物はまだもう少しだけ理性を保っていてくれそう。更に、このでかい怪物の存在感って言うのか? そのお陰で他の怪物は近寄ってこないし、スーツを着る時間くらいならあると思う!」
そうと決まれば、零は救急車内の隅に置いておいた自分の鞄を取り、中から細長い金属がごちゃごちゃに折りたたまれたような物体を取り出す。
「おわ、それがなんちゃらスーツ……か?」
ごちゃごちゃさに右郎は思わず引いてしまう。
「そう。これが究極筋肉補助スーツ。直ぐに広げて組み立てるから」
そう言って慣れた手つきで折りたたまれた究極筋肉補助スーツを広げ、組み立てていく。
あまりに慣れた手つきだったためつい見てしまっていたが、右郎は自分にしかできないことがあることに気がづく。
「そうだ。怪物もまだ理性を抑えてくれているみたいだし、今の内に、怪物がそもそも何なのかを聞いておかないと」
ここまで口に出した時点で、二人の名を呼んで頼む必要はない。左半身で独り言を言った時点で右半身の傍に居るクァワウィーとモンヴァーンにも聞こえているからである。
「こっちの世界で戦った怪物は《ゴブリン》と言います。わたしたちと体格が近く、成人男性なら素手で倒すことも可能ですね」
クァワウィーが真剣な表情で説明を始めてくれる。
「――ゴブリンか……左側で最初に現れたのも多分同じ奴だ。零くんやおれでも殴って倒せたのはそういうことか……でも、二メートルある怪物は別種なんじゃないか?」
ゴブリンとは地球ではヨーロッパの民間伝承に登場する伝説上の生物であるが、実在したようだ。ヨーロッパから遠く離れた北海道に現れたが。
「二メートル……やはり《オーガ》の可能性があるな……」
二メートルある怪物について、モンヴァーンに心当たりがあった。
クァワウィーとモンヴァーンは二人とも詳しいが、決定的に違うものがあった。知識としてしか知らないクァワウィーと、実戦で知っているモンヴァーンである。そのため、モンヴァーンの方がより詳しい。
「その、オーガが問題で、おれの大切だった人をまるで剣のような爪で殺し、日本語を喋り――」
少女が殺されてしまったことを口にすると、再び涙が流れてくる。
「うっく……」
情けないと思いつつも、涙は出続ける。
「右郎くん……」
それだけ言って、クァワウィーは再度頭を撫でる。
「ふぅ……ああああああ……」
心地良すぎて一気に脱力してしまい、地球の左半身にも力が入らず座り込んでしまう。
「心地良くなっているところ悪いが、剣のような爪……か。普通のオーガではないのかもしれない」
「――普通のでは、ない?」
ただでさえ恐ろしい二メートルある怪物が普通でないと聞き、右郎は戦慄する。
「モンヴァーン……わたしは、本でしか知りませんが、もしかすると幻と言われ、実在が怪しいとまで言われてきた《刃物の鬼》の二つ名を持つ《カトラリーオーガ》なのでは……」
クァワウィーはそう言うと青ざめ、右郎を撫でる手を止めてしまう。
「クァ、クァワウィー?」
心配になり声を掛ける。
「あ、ごめんなさい右郎くん」
謝りながら頭を撫でなおす。
「急に手が止まって寂しかったけど、そんな謝られることでも――」
それを聞いたクァワウィーはニヤニヤとする。
寂しかったと言われ、嬉しかったのだ。
「クァワウィー王女殿下。ミギロウ。カトラリーオーガであれば人間が太刀打ちするのは正直難しいだろう。俺であっても勝てる見込みがない……」
モンヴァーンは悔しそうにした。
モンヴァーンはフトゥーノ王国の騎士団長である。そんな彼に勝てる見込みがないとなると、怪物が理性を保てなくなった時点で、究極筋肉補助スーツを来た零よりも強ければ、右郎も零も為す術なく殺されてしまうだろう。
「……零くん」
今は零の究極筋肉補助スーツを信じるしかない。
そのスーツが出せる限界は分からないが、右郎はモンヴァーンがゴブリンを一気に倒した姿を見ている。左々木がスーツの力で壁を凹ませたことも覚えている。そして、壁を凹ますのがスーツの全力ではもちろんないだろう。
しかし、果たしてあのモンヴァーンが敵わないと言った、カトラリーオーガに株式会社ヒダリトの開発した製品がどこまで通用するのか、心配で仕方がなかった。
「先輩。着たよ」
零が究極筋肉補助スーツを着終え、右郎の元へ歩いて来る。
「……それが、なんちゃらスーツ――か……」
零は制服のブレザーの上から究極筋肉補助スーツを着ており、折りたたまれていた時点で細い金属だと思っていた部分は、良く見てみると筋肉のような構造をしており、それが筋肉を補助し、力を底上げするのである。
見た目だが、制服の上に金属と言う珍しいファッションではあるものの、制服が黒をベースとしたデザインをしているためか、意外と似合っていた。近未来やSFを彷彿とさせる。
「究極筋肉補助スーツ。怪物……本気で、このスーツの性能を限界まで使って倒させてもらうぞ!」
カトラリーオーガに対して威勢よく言い、両脇の下に隠れているスイッチを同時に長押しする。
『ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる』
五月蠅い程の機械音がスーツから鳴る。
「零くん……その、音は?」
「安全解除スイッチ。間違えて押さなないために、二つ同時に長押しする必要がある」
「安全解除と言うと、解除するのはマズいんじゃ?」
「人体に悪影響が出てしまいかねないレベルの性能を抑えるための安全機能だけど、命懸けで戦う以上安全もクソもない」
長時間安全解除をした状態でいると、肉体に負担が掛かり、最悪死に至るかもしれない。
命を懸ける覚悟はしたが、どれ程の苦痛を味わうことになるのか想像しきれないので、零は内心怖がっていた。
「――それじゃあ、行くぞ!」
怖さを誤魔化すように力いっぱい床を蹴る。
『ズオッ!』
安全解除をしただけあり、脚力は常軌を逸していた。
蹴った瞬間、床に穴が空き、車道のアスファルトが丸見えになってしまった。
「おわぁあああ!」
蹴った際の衝撃で、すぐ傍に居た右郎は軽く飛ばされ、壁に衝突してしまう。
「右郎くん? どうしたのですか!」
「おいそっちの世界大丈夫なのか……」
クァワウィーとモンヴァーンには右郎の右半身が突然ベッドの上で飛び跳ねたように見え、心配をする。
零の体には安全解除の影響で既に激痛が走っており、飛ばされた右郎を気にしている余裕などなかった。
「怪物がぁ!」
零はとにかくカトラリーオーガを殺すことだけを考え、まず一発殴り付ける。
『ガァアアアアア! ゼロォオオオオオ!』
カトラリーオーガの腹部に零の拳が当たると、零の名前を叫びながら吹っ飛び、先頭から見て右側の壁に激突したかと思いきや、その壁を突き破り外まで飛んで行く。
カトラリーオーガが外に飛んだ直後、救急車はあまりの衝撃で左右に激しく揺れ、最終的に突き破られた方向へ転倒する。
「おわああああ! 何て威力なんだ。なんちゃらスーツは!」
感心しながらも右郎は左半身だけということもあり、踏ん張ることができず、車体の揺れに合わせて転がってしまう。
「ちょちょちょちょ!」
「もうわけ分かんないっすね」
消防士たちは、想定外の出来事すぎて考えることを放棄してしまう。
右郎は、そんな消防士たちのことには目もくれず、見つめていたものがあった。
「――あ……ああ」
少女の遺体が、揺れの衝撃であちこちへ飛び、何度も壁に衝突していた。
生きている人間であれば、衝突する度に筋肉の働きなどで体は何かしらの動きをするだろう。対して遺体であれば、壁に衝突しても尚、頭や四肢などは重力によって下にだらんとしている。
その様子は、もう……完全に生者ではないのだと示しているようだった。
残酷すぎて、右郎は見たくなかったが、目が少女の遺体から離れなかった。
悲しいという感情が湧いてくるが、ショックすぎて涙は流れ出てこなかった。
「よしっ! 行けそうだ!」
零はカトラリーオーガを殺すことだけを考えており、少女の遺体が酷いことになっていることに気づきはしない。
「うおおおおお!」
叫びながら思いっ切りジャンプし、天井を破壊してカトラリーオーガを追撃する。
転倒しているため、ここで言う天井は本来先頭から見て左側の壁だった部分のことである。
そして案の定ジャンプの影響で、車内はほぼほぼ壊滅状態となってしまう。
「くっ! 零くんめ……必死なのは分かるけど、やりすぎだ……」
少女のことでショックを受けている中、あまりの破壊力に零への不満が零れる。
そして再び少女の遺体に目を向ける。
「――あ、ああ……ああああああ……」
あちこちの壁に衝突したからか、頭から足にかけて皮膚はボロボロになり、血塗れになっていた。
元々死因となった背中への刺し傷から大量の血液が流れ出てはいたが、それとは別に新たな流血が体中に増えていた。
「ゼロォオオオオオオオオ!」
零は逆瑠の仇としてカトラリーオーガを殺そうと、必死に全力を以てして戦っている。
必死すぎて、周りが見えず、逆瑠の仇の筈が逆瑠の遺体を許されない程に傷付けてしまった。
零が頑張っていることを右郎も理解している。
けれど、許せなかった。
「ふざけんじゃねぇよ! こんの野郎がぁああああああああああ!」
右郎は叫んだ。
怒りのままに、のどが痛くなる程に叫んだ。
零の姿はもう見えない。カトラリーオーガを追撃し、既に離れた場所で戦っているのだ。
「ゼロォオオオオオオオオ! お前が死ねば良かったんだ! 今からお前代わりに死ねぇ――」
怒りで我を忘れ、聞こえないとしても絶対に言ってはいけなかったことを言う。
言ってしまった直後、すぐに気がついた。
思い出したと言うべきかもしれない。
嘗て零が理不尽に右郎へ――自分へ言ってきたことを思い出した。
同じことである。
「……なんか、もうどうしようもないな……どうすれば、良いんだ。これ……」
泣きながら少女を抱きしめる。右郎には左半身しかないが、それでも力いっぱい抱きしめる。
「――キミは、どう思う? どうすれば良いんだ、これ?」
その問いに、少女が答えるわけは……なかった――。




