第一六話 右郎の過去 その七 冷酷な医師
「右郎様。あの少女もお帰りになったことですし、社長のご子息様として接させていただきます。宜しいですね?」
右郎が今居る建物は、実は病院ではなく、株式会社ヒダリトの施設である。
右郎も始めはここを病院だと思っていたが、医師の見せてきた名刺に「株式会社ヒダリト 戦闘第二課長 左々木石太」と書いてあったことで、察した。
右郎が通報した時点で社長の右蔵が消防と情報を共有しており、救急車をこの施設へ誘導したのだ。
この医師、本来は医師ではない左々木と言う男が、ヒダリトの者と言うことは分かったがそれ以上は何も分からない。右郎は父の会社であるヒダリトが義手や義足、重たいものを持つ時などに肉体をアシストするスーツなどを開発していることは知っていたが、この施設が何なのかは全く知らない。
知らないが、少女に知られたくなかったのと、ヒダリト自体が嫌いなため左々木にきつく当たっていた。
「左々木、だったか? 救急車を……と言うか、佐野先生をなぜこんな怪しげな施設へ連れてきた? 他にも言いたいことは山程あるが、佐野先生は大丈夫なんだろうな!」
先ほどまでは少女が居たため、我慢していた会社への不満や怒りが爆発し、左々木へ怒鳴り付けるように問う。
「偉大なる父君の会社を怪しげな施設……ですか? 右郎様、撤回していただけますでしょうか?」
左々木は一切表情を変えることなく撤回を促す。
右郎はそれが不気味に感じ、頭にきた。
「……なん、だと…………この……野郎! おれが株式会社ヒダリトのせいで今までどういう生きづらさを感じてきたか! 偉大? ふざけてるだろ! おれからしたらクソ邪魔な会社なんだよ! 撤回と言ったか? 死んでもしないからな! 寧ろもう一度言ってやるよ! この施設全域に響かないのなら何度でも言ってやるよ! こんの怪しげな施設が――」
「右郎様。ウチの会社、なめてますか?」
右郎が言い終わる前に、左々木は落ち付いた口調で言った。
左々木は大分落ち着いた印象だが、右郎には左々木が明らかに怒っているということが分かった。
落ち着きながらも怒る。余裕の怒りと言った感じだ。
「――あ……」
左々木の余裕の怒りに右郎は驚き、怖気づいてしまう。
「右郎様。ちょっと、失礼いたしますね?」
笑顔で言いながら、取り押さえていた零の左足を片手で掴み持ち上げる。
「零くん! おお、おい! 左々木! 何を……」
零は未だ気絶中である。そんな零を持ち上げて一体何をするのかと、右郎は恐ろしくてたまらなかった。
零の体重は六十二・八キログラムなのだが、それを片手で持ち上げてしまった。
左々木は決してマッチョな体型と言うわけではなく、長身で筋肉量は標準的だ。
そして、持ち上げた零をブーメランの如く右郎へ向かって投げ付けた。
「え? なにぃ!」
飛んで来た零を避けると、零は壁に衝突し大怪我をしてしまうかもしれない。
右郎が受け止めれば零は無事に済むだろう。右郎が衝撃で背後にある壁に衝突してしまうが、やむを得ない。
咄嗟に両手を大きく横に広げ、零を受け止める。
「うおっ!」
ドンッと想像よりも倍くらいの衝撃を受けるが、想定通り背後の壁に衝突する。
「くっ! 痛った」
背中を強打し、ジンジンとした痛みが残る。
因みに頭は咄嗟に低くし、壁への衝突は回避できたので致命傷にはならずに済んだ。
「左々木……何をする!」
気絶している人間を投げるなんて、どうかしていると、右郎は怒りを露にする。
「いてて……え? どういう状況?」
投げられたことで零の意識が戻るも、状況が分かっていない。
「会社を馬鹿にするからです……」
『ギュウィィイイイン』
笑顔で言うと、左々木の体から機械のような音が聞こえ、そのまま目にもとまらぬ速さで右郎の背後の壁を殴り付ける。
『ドゴンッ』
爆発かと思うような破壊音を立てながら、壁がクレーターのように半径一メートル程凹む。
「うああああ!」
「え? え? いや僕どう言う状況に巻き込まれてるんだ!」
拳で壁を凹ませるなど、到底人間にできることではない。右郎は有り得ない現実を目の当たりにし、わけも分からず叫ぶしかなかった。
零に至っては気絶から目を覚ましたばかりで、わけが分からなすぎて逆に右郎よりもほんの少しだけ冷静だった。
「……ご覧の通り、これが……この、力こそが、株式会社ヒダリトが開発した《究極筋肉補助スーツ》です。白衣の下に着ております。ヒダリト独自のエンジンは非搭載の安物ですが現時点で、乗用車程度なら殴り飛ばすことが可能となっております」
左々木は一切表情を変えず、淡々と説明をしていた。
かなり強引だが、会社で開発している製品を実践して紹介してみせたということだ。
「……左々木。異常だ――おかしい。兵器じゃないか! おれの父親は一体何を開発しているんだ! 軍事国家に売るつもりか? 歩兵をアルティ……なんちゃらスーツで強化するのか?」
右郎はとにかくこの究極筋肉補助スーツの破壊力が恐ろしく、全力で批判をする。
対して、零は違った。
「……乗用車程度なら、殴り飛ばせるんだな?」
零の母親である佐野先生は、軽自動車に衝突し、現在この施設で手術中である。
乗用車を殴り飛ばせるのであれば、母親のような交通事故を防げると安易に考えたのだ。
「なあ。そのスーツ、欲しいんだけど」
本気である。
あの壁を凹ませる力を、本気で欲している。
「零くん! ダメだ! 止めておけ! 危なすぎるぞ!」
右郎は零の両肩を掴み、反対する。
先生が事故に遭ったのは右郎も悲しいが、怪しい力に頼っても碌なことにならないと決め付けた。
「確かに、危険だよね。僕も止めた方が良いかもとも思っている。けれど、力だよ。力があれば、母さんのような交通事故を無くせるんだ!」
「待て零くん! 根本的に間違っているぞ! 車側が逆に死んでしまうぞ!」
「交通事故起こす奴なんてどうせ飲酒運転とかだから、端から生きる価値ない。母さんを轢いた野郎も事故直前に一〇リットル酒飲んでたって警察から連絡あったから! チャラい大人がふざけて飲みまくったらしい!」
「――いやそれ事故る前から既に死んでね?」
零の目は血走っている。犯人に対して物凄い恨みがあるのだろう。
母親が手術する羽目になったのだから当然だ。
犯人の度が過ぎたおふざけに、右郎は思わずツッコミを入れてしまったが、そもそも軽自動車は少女に突っ込んで来たことを右郎は思い出す。
――あの子に衝突していたかもしれないと思うと、許せない怒りが湧いてくる。おれもあの軽自動車を殴り飛ばしたいと思えてきた……零くんに、これ以上何も言う資格はないな……。
「零さん。ヒダリトの商品にご興味を持っていただき大変嬉しく思います。究極筋肉補助スーツですが、税込みで二〇〇〇〇〇〇円と言ったところですね。分割払いはできません」
「そ……そう、ですか……」
左々木の提示した金額を、中学生である零が払えるわけもなく途方に暮れる。
「……く、買えなかったのは、きっと正しいことの筈……おれも、なんちゃらスーツで犯人の車を殴り飛ばしたいと思ってしまった……なんちゃらスーツを、否定しきれなかったから、買いたいけれど仕方がなく買うことができない――ということは、良いことの筈……買えない理由探しだな、これじゃあ」
右郎はそう自分に言い聞かせたが正直、究極筋肉補助スーツを欲しいと思ってしまっている。
そして、右郎の小遣いであれば余裕で購入することができてしまうのである。
因みに右郎の小遣いは、毎月一〇〇〇〇〇〇円程である。
「でも、あんな危険なもの、間違っても買わないぞ。買わない買わない買わない!」
再度自分に言い聞かせる。
「……」
零は二〇〇〇〇〇〇円と言う金額に途方に暮れたまま口が開かない。
「ではお二人とも、製品のお話はこれくらいにして。そろそろ佐野零子さんの手術が終了する頃ですよ」
左々木がそう言った直後、手術室の扉が開き、一人の返り血を浴びまくった医師が出てくる。
「「なんだ……その、血は……」」
右郎と零の二人は出てきた医師の返り血を見るや否や青ざめる。
手術をする際に出血はするだろう。しかし二人にはどの程度出血するものなのか、そもそも人間の出血量は何処までが許容範囲内なのかも分からない。
兎に角、返り血が不安で――嫌な予感がした。
「佐野零子氏。死亡しました」
手術室から出てきた医師がハッキリと、左々木にそう報告をする。
それを聞いた二人は、既に青ざめていたところに更に血の気が引く。
「「……」」
二人とも視界がぼやけてくる。あまりのショックに意識を失いかけているのだ。
死亡してしまう可能性もあるかもしれないと、考えてはいたのだが、実際に死亡したことを聞くと想像以上の絶望感があった。
「――そうですか、では社長にも報告した上で、当初の予定通りに……頼めますか?」
「了解、致しました。課長」
左々木と医師の二人は淡々と、予定していたかのように、表情を一切変えず話を進める。
その冷酷なやり取りを、右郎と零は意識が薄れていて聞くことが叶わなかった。
その後、医師は再び手術室の中へ戻っていくのだった。




