第一三話 肉体分離編 その七 居ないの?
「なんだ……これ……嘘だ…………夢だろ! そうなんだろ!」
零は、自分の目の前で起きた凄惨すぎる光景を、現実として受け止められなかった。
「あっはははははははは!」
高笑いをしながら自身の頭を殴り付ける。
覚める筈のない目が覚めるまで、何度も何度も何度も何度も殴り付ける。
「ぐっああ! まだ覚めないぞ……手も顔も、痛いからそろそろ覚めてもらわないと、困るな!」
そう言って再び殴り付ける。
ブシャブシャと鼻血が噴き出す。
「……本当は、気づいてるよ」
虚しくてたまらなくなり、現実逃避を止めた。
「それで、どうするんだ……どうしたら、良いんだよ! 母さん! 左門先輩! 教えてくれよ!」
戦う気力が無くなり、膝から崩れ落ちる。
何が起きたのか。
佐藤逆瑠が、死亡した。
二メートルある怪物の、剣の様に大きな爪が右郎を貫こうとした時、少女が右郎に覆い被さり、命を救った。
少女自身の命と引き換えに、右郎の命を救ったのだ。
剣のような爪は右郎にも刺さったが、幸い浅かったため命に別状はなかった。
少女曰く、自分を庇って亡くなった佐野先生の真似だったという。
人を庇って死亡する。それは佐野先生と同じだった。
佐野零は、佐野先生の息子である。
少女のしたことが母親と同じことだったと気づいた時、絶望感に拍車がかかった。
「母さん。先輩。逆瑠……」
人を庇って死ぬのは、やった側は誇らしいのかもしれない。
だが残された者の気持ちはどうなのか。
零はこの絶望の気持ちが二回目である。
もちろん佐野先生が庇わなければ少女が犠牲に、少女が庇わなければ右郎が犠牲になった。
どうしようもない現実に打ちのめされ、その場で涙を流す。
涙を流すことしかできなかった。
一歩も動く気力が出なかった。
「右郎くん! しっかりして! 右郎くん! しっかりしてください!」
異世界にある右郎の右半身は、少女が死亡したという事実に絶望し、零と同様一歩も動けないでいた。
しかも刺された背中からの出血が止まらない。
更に前方から、二体の怪物に腕を切り付けられ続けている。
絶望しながらも、腕で顔をガードし続けていたのは幸いだった。
「……みぎろうくん……元の世界で、何が……本当に、何が起こってしまったのですか…………」
クァワウィーは、右郎がなぜこんなにも絶望しているのかが理解できない。
当然だ。地球で起こっていることが分からないのだから。
右郎が絶望する姿を見るのが辛く、クァワウィーは両手で目を隠し、膝から崩れ落ちた。
『ゴォオオブブッブッブッブゥウウ!』
怪物は楽しそうに笑いながら、背中に刺していたナイフを抜く。
「ぐ……あっああああ……!」
ナイフが刺さっている状態というのは、皮肉なことに傷口に蓋をしており、出血を抑えているのだ。
そのため抜いた途端に大量の血が流れ出る。
右郎は絶望しながらもあまりの痛さに声を上げた。
「あああああ! 右郎くん! あああああ!」
右郎の痛そうな声を聞き、クァワウィーはどうすれば良いのか分からず震えた声で右郎の名を呼ぶことしかできなった。
見たくなくて目を閉じたが、それによって聴覚に意識が集中してしまい、より一層右郎の痛そうな声がクァワウィーの心に響く。
(もうやめてください。みぎろうくんを、たけてください……おねがいします)
心の中で情けなく怪物に対してお願いをする。
『ゴブウウウウウ! ゴブゴブゥウウウ!」
残念ながらクァワウィーのそのお願いを、怪物が叶えてくれるわけはなく、楽しそうにしながら再びナイフを右郎に突き刺そうとする。
だが――。
「うおおおおおおお! クァワウィー王女殿下! ミギロウ!」
だが突き刺さる寸前、モンヴァーンが全速力で大剣を持って部屋に突っ込んで来た。
そのまま大剣で怪物たちを薙ぎ払う。
『ゴ、ゴブゥウウウ!』
モンヴァーンの大剣を扱う実力は凄まじく、怪物たちは為す術もなく斬り殺されてしまう。
「モンヴァーン! ありがとうございます! 右郎くんを助けてくれて、本当に、ありがとう…………」
クァワウィーは右郎が殺されてしまうと、本気で覚悟をしていた。
しかし間一髪で右郎の命はモンヴァーンによって救われた。
クァワウィーは心から涙を流し、感謝をした。モンヴァーンは王国の騎士団長であるため、王女であるクァワウィーは日頃から感謝を忘れたことはない。
今回は、想い人である右郎の命を救ってくれた。
国を守るために戦ってくれることよりも、想い人の命を救ってくれた今回の方が、感謝の気持ちが大きくなってしまった。
――こんな我欲の強いわたしは、王族として……人の上に立つ者として向いていないのでしょうね……。
「くぁ……クァワウィー。ごめん……色々と……頭の中がグチャグチャなんだ。だから本当に、色々と……ごめん……」
最愛だった三年前の少女、逆瑠を失ったことと、左右の肉体の負傷によって、右郎の頭はまともに思考ができる状態ではなかった。
それでも、クァワウィーを守ると一度決めたのにそれを自分一人で守り切ることが叶わなかった。
だから、まともに思考はできないが、とにかく先に謝らなくてはと思ったのだ。
肉体と精神がボロボロになりながら申し訳なさそうにする右郎の姿に、クァワウィーはショックを受けた。
――なぜこの人はこんな目に遭ってしまったのでしょう。元の世界で何が起こってしまったのかは分かりませんが、この人がこんなボロボロになってまでわたしに謝ってくるのは違うと思います。
「右郎くん……右郎くんは、悪くないです。悪く、ありませんよ……それだけは、間違いありません」
右郎が自分を責めるのだけは、違うと、クァワウィーは思った。
「クァワウィー王女殿下。このままではミギロウの出血が止まりません。肉体再生の龍霊薬を直ちに投与します」
そう言ってモンヴァーンはズボンのポケットから紙製の小さな袋に包まれた白い錠剤を取り出す。
その錠剤が、肉体再生の効果がある龍霊薬である。
「そうですね。直ちに飲ませてあげてください」
精神的に不安定なクァワウィーだが、ここはしっかりしなければと、すぐに許可を出す。
「了解しました! 直ちに投与します」
そう言ってモンヴァーンは右郎の口元へ錠剤を持っていく。
「ミギロウ、口を開けるんだ。水は用意できないが、かじってしまっても問題ないからな」
この錠剤は少量の水と一緒に飲み込むという方法で服用するのが一般的なのだが、かじってしまっても問題なく効果はある。
ただ――。
「……ありがとう、モンヴァアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
モンヴァーンに礼を言いながら錠剤を歯でかじった瞬間、口内に刺さるような強い痛みが走り、たまらず叫び出す。
「あわっわあわあわ! 右郎くん!」
もちろんクァワウィーも王族として、龍霊薬の錠剤を噛むとどうなるのかを、知識として覚えていた。
とはいえ、実際に噛んだ者を見たのは初めてであり、しかも想い人である右郎だったため動揺しながら右郎の元へ駆け付けた。
「大丈夫ですか! 右郎くん!」
心配し、痛がっている右郎の歯は流石に触れないため顔を撫でる。
「クァワウィー、そこ、ゴーレムだから」
焦って右郎の顔を撫でたつもりが、ゴーレムの顔を撫でていた。
つまり、右半身だけを撫でれば良いものを、左半身の代わりであるゴーレムの顔を撫でてしまったのである。
「ああああああああああわわっわわわあわわわわ」
間違えてしまった事実に動揺し、口をあわあわとさせる。
「はは、クァワウィーって結構天然だったんだな。可愛いなクァワウィー」
その姿を見た右郎は、かなり和み、精神的に落ち着きを取り戻した。
「モンヴァーン。これどういうことだよ!」
あまりの痛さに、モンヴァーンに文句を言いながらも、噛んだ錠剤を飲み込む。
すると傷口はみるみると塞がっていった。
もはや即効性どころではない。このように飲んですぐ目に見える効果が表れるのが龍霊薬の特徴の一つだ。
塞がった傷口は、まるで初めから怪我などしていなかったかのように痕一つ残らなかった。
「すまないな。ミギロウ……本来は胃の中で治癒の龍霊術の効果の詰まった粉上の霊力を錠剤に固めたものが溶け出し、身体中に浸透していくものなんだが、噛むと霊格が三次元の物質まで降下した霊力が一気に噴き出して、噴き出した霊力が口の中の四方八方に刺さってしまうんだ」
「ああ。よく分からないが、蛇口をふざけて指で塞いだら勢いが強くなるみたいなものかな……先に言ってほしかったけどありがとう」
右郎は傷が治ったことには感謝したが、先に伝えてもらえなかったことに関しては許さないことにした。
一悶着あったが右半身の傷は完全に癒えた。
そして龍霊薬の効果は左半身にも及んだようで、少女を貫通して浅めに刺さった怪物の爪による傷も、綺麗に塞がった。
右郎一人が回復したとはいえ、地球側の状況は悲惨そのものだった。
「……キミ」
右郎は自分に覆い被さっている少女の遺体に目を向けると、三年前にこの少女と出会ってから病院のような場所で別れるまでの記憶を鮮明に思い出してくる。
「……キミ……名前の知らないキミの名は……」
――佐藤逆瑠だったんだな。
口に出そうとしたが、止めた。
「あのメモを、一緒に見る。そう、約束したんだよな、名前の知らないキミと……」
少女に聞こえるようにそう言った。
「……」
少女は何も言ってくれない。
生きていないから。
少女は、もう居ない。
「居ないの?」
右郎のその言葉は、誰に向けられたものだったのか……右郎自身、分からなかった。
「もうッ! 居ないのか!」
だが怒りにまかせて発した今の言葉は、少女を殺害した二メートルある怪物に向けて言った。




