【おだてられたら何度でも】
僕は今度こそ文字通りマットの上を這って、
呆れ顔でこちらを見ているセレッソの方へ移動した。
「は、話が違うじゃないか。この世界で、僕は無敵なんだろ? やっぱり、あれ嘘だったんだろ?」
問いかける僕に、セレッソは首を傾げた。
心底、意味が分からないといった様子で。
「何を言っている。 単にお前の実力不足だろ。私を詐欺師みたいに言うな」
「だって、勝てるって言ったじゃないか」
「自信を持たせたかった。それに、綿谷華に勝てる、とは一度も言っていない。勝ってほしい、という願望はもちろんあったがな」
「ふざけるな。お前がいけるって言ったから、僕もその気になったんだぞ」
「おい、何をこそこそ話している。ギブアップか?」
後ろから、ハナちゃんの声が。
「後ろから殴るのは趣味じゃないんだ。早くこっちを向いて再開しろ。すぐに終わらせてやるから」
背後から放たれる殺気は、
僕を押し潰してしまいそうだった。どうもハナちゃんは先程よりも怒っているらしい。
セレッソは溜め息を吐いた。
「仕方ない。一度撤退するか。ここで負けてしまったら、綿谷華の推薦をもらえないかもしれないからな」
「撤退? どうやって?」
「おいおい、誠!」
セレッソが突然、不自然なまでに大きい声で言うのだった。
「お前、やったな。完全に漏らしているじゃないか。そうか、さっきのボディブローを受けた衝撃で、我慢できなかったか。だから、朝食は控え目にしろいと言ったのに。食べ過ぎたんだよ。これから逆転するところ申し訳ないが、中断した方がいいんじゃないか? 一度帰ってパンツを洗わないとな。ちゃんと、自分でやれよ。おい、暫定勇者。すまないが、パンツをはき替えるまでインターバルってことで頼む」
そんなことを言いながら、セレッソは僕をリングから引きずり出した。
「朝の練習中、邪魔したな。すぐ戻ってくるから、楽しみに待っていてくれ。それじゃ」
あまりに強引な言い訳のおかげか、
それとも誰もがあきれ果てたのか、
僕らは引き止められることなく、アボナダタークのクラムから脱出に成功したのだった。
クラムから逃げるように立ち去り(実際、逃げてきたのだけれど)
三十分も経過したが、ボディブローのダメージが抜けず、
僕は路地に隠れるようにしてうずくまっていた。
「せ、セレッソ」と何とか声を絞り出す。
「なんだ?」
「念のため確認したいのだけれど、僕とハナちゃんの実力差、かなりあったんじゃないか?」
圧倒的に負けていたようだったが、僕は最強の勇者になる男だ。
それは何かの気のせいで、実際は押していたかもしれない。
いや、互角に渡り合っていたのかもしれない。
……そこそこはやれていたかもしれない。
だから、客観的にどう見えたのか、セレッソに聞いてみたのだった。
しかし、彼女は平然と言う。
「そうだな。十回やって十回負けるくらいの差はあったな」
「……おかしくないか?」
「何が?」
「もしかして、僕は無敵の勇者になれないんじゃないか……って感じたんだけど」
「大丈夫だよ。お前はちゃんと無敵の勇者になれる、はずだ。だから、もっと頑張れ」
なれる、はず?
もっと頑張れ?
ふざけるな!
僕はセレッソに掴みかかってから、
この詐欺まがいな契約を白紙にしろと迫ってやりたがったが、
腹部を襲う痛みに立ち上がることすらできなかった。
「異世界にきたからって、すぐ無敵になれるわけないだろ。とにかく努力しろ。根性を出せ。そして、実力を身に付けろ。まずはそれからだ」
腹部の痛みに加え、
惨めな気持ちが両肩にずっしりと覆い被さってくるようだった。
「な、なんだよ……お前と契約したら、物凄いチートな力で無双して、可愛い女の子たちから好きって言ってもらえるって話だったから、異世界まできたのに。ハナちゃんの前でも、あれだけ大口叩いて、何もできないで逃げるなんて……。しかも、なんだよあの言い訳は……。赤っ恥にもほどがある」
今にも涙が出てきそうな僕に、セレッソは冷淡に言う。
「逃げてはいない。ただのインターバルだ」
「それ、通用すると思っているの、お前だけだよ……」
項垂れて動かなくなる僕に、セレッソは慰めの言葉すら出てこないようだった。
こうなったら、落ち込み続けてやろう。
夜になったって、この場から動いてやるものか。
この詐欺女神が謝るまで、どんなに空腹を感じても、眠気を感じたって、動いてやらないからな。
そんな覚悟を決めたが、五分も経たぬうちに僕は顔を上げることになった。
「あ、いたいた。探しましたよ」
何者かが僕たちがいる路地を覗いていた。
よくよく見ると、先程クラムにいた真面目そうなサラリーマン風の男性だった。さっきと違ってスーツ姿……ということは、本当にサラリーマンなのだろうか。
名前は確か……。
「宗次」とセレッソが呟く。
そうだ、セレッソは宗次と呼んでいたけど、 三枝木さんという名前のはず。唯一、僕が戦うことを止めようとしていたあの人だ。
「その声、やはりセレッソ様ですね?」
三枝木さんはセレッソを見て、何を思ったのか、過去を懐かしむような柔らかい表情を見せた。
「無事でよかった。あれから、貴方の噂すら聞かなかったので、心配していたんです」
「知り合い?」と僕はセレッソに聞いてみる。
「昔、世話になった男だ」
三枝木さんは丁寧な営業マンのような笑顔でこちらに近付くと「大丈夫ですか?」と聞いてきた。
「何の用だ? まさかインターバルは終わったから、戻ってこいと言いに来たのか?」
セレッソはどこか突き放すような態度だが、 三枝木さんは笑顔を絶やすことはなかった。
「いえ、その少年……神崎くんですが、セレッソ様と一緒にいると言うことは、貴方が選んだ勇者、ということですよね?」
「そうだ。最強の勇者(候補)だ」
なんだか変な補足が入った気がしたが、
僕の勘違いだろうか。
だが、次にセレッソが零した呟きは、どこか重々しいものがあった。
「こいつは強くなる。あのときと違って、ソールが相手でも負けないだろう」
二人の間に、妙な沈黙が訪れる。
「あの……何の用ですか? セレッソと昔話がしたいなら、僕はあっちで一人丸くなっていますが」
仕方なく口を挟むと、三枝木さんは再び人の良さそうな笑顔に切り替える。
「あ、申し訳ない。久しぶりにセレッソ様に会えて、感傷に浸ってしまいまいした。しかし、私は神崎くんに用があって追いかけてきたんです。どうでしょう、私のクラムで一緒に練習しませんか?」
「お前のクラムだと?」
またも反応したのはセレッソだ。
「じゃあ、夢が叶ったということか」
セレッソの呟きに、三枝木さんは笑顔を見せる。
「私は神崎くんの才能に驚嘆しています。まともに練習していないにも関わらず、ハナちゃんを相手にあれだけやれるのは、勇者の素質があるに違いありません。あ、セレッソ様に選ばれた戦士なのですから、当然のことなのですが」
照れ臭そうに頬をかく三枝木さんだが、僕はそんな彼に心を動かされつつあった。
「僕に……勇者の素質ですか?」
「はい。百年に一人…いや、千年……いやいや、金輪際現れないかもしれない、とんでもない才能です」
「でも、僕は……」
ハナちゃんを相手に何もできなかった弱者ではないか。
「私は何人もの勇者候補を見てきましたから。見る目だけは、自信があるのですよ。あっ――」
三枝木さんは腕時計を見て、話を区切った。
「すみません、これから会社に行かなければならないので。もし、興味があれば夜にでもアスーカサのクラムまで来てください。それでは」
そう言って三枝木さんは走り去って行ったが、彼の背中を見ていると何だか胸が熱くなった。
「なぁ、セレッソ」
「なんだ?」
込み上げてくる喜びを抑えられず、思わず笑みを零しつつ、僕はその気持ちを言葉にするのだった。
「僕、とんでもない才能があるらしいんだ」
セレッソは溜め息を吐く。
「……だから言っているだろう」
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