【最後の二分間】
残り二分。
岩豪が一歩前進すると、僕が一歩後退する。そんな展開が続いた。
僕は岩豪によるタックルの恐怖と負けることの恐怖に挟まれ、頭がどうにかなりそうだった。後ろでは、三枝木さんとセレッソの「前へ出ろ!」という叫び声。
だが、その前には不敵に笑う岩豪の姿があるのだった。
駄目だ。
もう何もできない。
負けてしまう。
この世界にきて色々やったけど、全部が台無しになってしまう。皆の期待も裏切って、馬鹿にされて、ただの負け犬に戻ってしまうんだ。
こんなとき、どうしたらいいんだよ。
勇者ならどんな行動をとるべきなんだ。
僕の頭の中で、今までの練習が走馬燈のように流れた。
三枝木さんは本当に教え方が上手かったなぁ。僕みたいな満足に運動もできないやつが、岩豪みたいな化物とそこそこやり合えているんだから。
この練習は何のためにやって、どんなときに役立つのか、細かく教えてくれたから、一つ一つを真剣に練習できたと思う。
いや、待てよ……。
一つだけ、意味がわからないものがあったな。確か、僕のモチベーションが落ちるところまで落ちたときだ。
ユビスにあるクラムへ行ってみろ、って。
結局、あれはどういう意味があったんだろう。雨宮くんに会って、大淵さんに会って……何か特別な練習をしただろうか。
大淵さんは僕に何を教えてくれたっけ?
一緒に対戦映像をたくさん見たけど……。気付かないうちに、極意みたいなものを伝えてくれていたのだろうか。
だとしたら、彼は何て言っていた?
「だから、神崎くんはね、フィリポになれ。君がフィリポの仇を取るんだ」
そうだ、大淵さんは最後、
結論らしく、そんなことを言っていた。
フィリポ。
大淵さんと雨宮くんが熱く語っていた、最高の戦士の一人。二十年前のランキング更新戦で、凄まじい強さを見せ、多くのファンを魅了した男。しかし、最後はピエトルという当時最強の勇者候補に負けてしまったのだ。
彼の名を思い出したとき、
僕は大淵さんに言われて何度も繰り返し見た、数あるフィリポの対戦映像が頭の中を駆け巡った。
フィリポは見ている人、みんなを熱くさせた。
どんな相手だろうが恐れずに前へ出て、最後はハイキックで逆転してきたんだ。
その瞬間、僕の心に熱い何かが宿った。
俺がフィリポだ!
僕は前へ出た。
自分でもびっくりするくらい、強い意志を持って。
岩豪の方も意外だったのか、少しだけ目を見開き、驚きを隠せないようだった。そして、僕はパンチのフェイントからハイキックを放つ。
フィリポが何度も強敵を倒してきた、あのハイキックを。
それは吸い込まれるように岩豪の頭部を捉えた。岩豪の頭が揺れ、膝ががっくと折れる。
割れんばかりの歓声。
が、岩豪の目は死んでいなかった。
体勢を崩しながらも、タックルで僕の腰に組み付いてきたのだ。
「どりゃあああぁぁぁーーー!」
しかし、僕は岩豪を強引に投げ飛ばしてみせた。岩豪はマットに転がったが、すぐに体勢を立て直し、片膝を付いた状態で僕を見上げた。
僕が「立て」と手招きすると、再び歓声が。それに押されるように、岩豪もゆっくり立ち上がる。
残り一分!
死ぬ気で戦ってやる!
最後の一分間、僕と岩豪は殴り合った。
僕も岩豪も最初と違って緩慢な動きでしかなかったが、必死に体を動かした。
そして、最後の十秒。僕は岩豪のタックルにつかまる。何とか必死に脱出しようともがいていたところ、対戦の終わりを告げるゴングが鳴った。
僕と岩豪はふらふらと立ち上がり、大勢の人の歓声を浴びた。何度か「神崎ー!」と僕の名を呼ぶ声も聞こえた、ような気がした。
五分三ラウンド。
僕は戦い切ったのだ。
そして、多くの人の称賛を受けている。何だか信じられない話だが、とにかく今は立っているのも精一杯で、感慨に耽ることすらできなかった。
三枝木さんとセレッソがケージの中に入ってきて、僕の背を叩いた。
「神崎くん、よくやりました」
「もう少し派手に終わらせられなかったのか?」とセレッソ。
「み、水を飲ませて……」
セレッソからペットボトルを受け取り、水を口の中に含む。少しだけ気持ちが落ち着いたところ、三枝木さんが言った。
「最後のハイキック、あれは練習になかったはずですが?」
「あれはフィリポのハイキックです。大淵さんから、フィリポになれって言われたので……」
三枝木さんは、大淵さんの名前を聞いて懐かしそうに笑った。
「あの人らしいですね」
「あ、そうだ。結果は……?」
終わったことに安堵し、結果のことを忘れていた。三枝木さんの方を見ると、彼は何とも言えない表情を見せて言った。
「判定の結果を待ちましょう」
そして、勝負の結果は五人の審査員に委ねられたのだった。
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