【手負いの獣は何とか】
ケージの中に、セレッソと三枝木さんが入ってきて、僕は丸椅子に座らせられた。
殴られた部分をセレッソが氷で冷やし、三枝木さんが水の入ったペットボトルを渡してくれる。
「すみません、何もできませんでした」
僕の頭の中は真っ白だった。
岩豪の圧倒的な力。
あと五分二ラウンドという短い時間で覆せるとは、到底思えない。しかし、三枝木さんは言う。
「確かに、このラウンドは相手に取られてしまいましたが、大丈夫です。次のファーストコンタクトでしっかり決めましょう。作戦を思い出して」
そうだ、作戦。
それは奇襲だった。
絶対に岩豪は舐めてかかってくる。だから、大振りのパンチで襲い掛かってきたところをカウンター。
つまりは、ハナちゃんのときと同じ作戦なわけだが、僕はそのタイミングを見失っていた。と言うよりは、避けるので精一杯で、反撃できないのだ。
「でも、どうすれば良いんですか? 岩豪のプレッシャーで強くて入り込めません」
後半歩の距離。それを詰められない。
「大丈夫。自分を信じて、踏み込むんです」
「そうは言っても、あいつ強すぎですよ。近付いたら殺されます」
「誠、ここで負けて良いのか?」
セレッソは言う。
「勇者になるとか、魔王を倒すとか、世界を救うとか、そんなことよりも大事なものが懸かっている。違うか?」
「……わかっている」
セコンドアウト、とレフェリーから指示があった。
「一発の奇襲。成功して行けるなら一気に畳みかける。それが無理なら自分の距離で戦うことに徹底する。どっちにしても、一発の奇襲が絶対条件です。絶対に忘れないでください」
そう言い残して、三枝木さんとセレッソはケージを出て行ってしまった。そして、再びケージの中には僕と岩豪、レフェリーだけの世界になる。
一ラウンドは取られた。
次のラウンドでしっかりと実力を証明しなければ、三ラウンド目でどんなにいい動きをしたとしても、勝ちは絶望的。
だけど、反撃できる気がしないんだ。
ちくしょう。マジかよ。
あれだけ練習したのに、これで終わりなのか?
まだこの世界でやるべきことがたくさんあるのに、負けて終わるのか。
開始のゴングが鳴る。
様子を見ることなく、岩豪が距離を詰めてきた。
「誠!」
誰かの声。
この世界で僕を「誠」と呼ぶのはセレッソだけだったが、それは彼女の声ではなかった。
「私のパンチは鉄次より遅かったのか? 違うだろ!」
それは、ハナちゃんの声だった。
最前列で見ている、と彼女は言っていた。そこがどこなのか、わからない。しかし、声は確かに聞こえた。
そうだよ、僕はハナちゃんのパンチを避けて、しっかりとカウンターパンチを決めたんだ。
あの超美少女で暫定勇者のハナちゃんのパンチがはっきり見えていたんだぞ。岩豪のパンチくらい、躱せないわけがないんだ。
僕は軽いステップを踏みながら、自分から前に出た。岩豪との距離は一瞬でゼロになる。が、岩豪はすぐに動かなかった。
拳を小刻みに動かして、次の一撃の伏線となるフェイントを見せる。僕はそれには一切反応せず、本命の一撃をただ待った。
岩豪が半歩踏み込む。
きた。
上半身を僅かに左側へ。
後方へ突き抜ける岩豪の拳。
同時に右の拳を真っ直ぐ伸ばした。
パチンッと乾いた音が会場に響く。
そして、たたらを踏むように後退りする岩豪の姿が。
「神崎くん、追撃!」
「いけ、誠!」
三枝木さんとセレッソの声に押され、僕は岩豪を追う。
岩豪の顔面を狙って拳を伸ばした。しかし、彼は頭を左へ振って避けてしまう。
もう一発。
それは確かに顔面を捉え、岩豪がひっくり返るように後ろへ倒れ込んだ。
僕は岩豪の横に回り、さっきのお返しだと言わんばかりに顔面へ拳を叩き落とす。
二回。三回。
そこで岩豪が姿勢を変え、後頭部を向けてきた。後頭部への攻撃は反則だ。
と躊躇った瞬間、岩豪が低い姿勢のまま腰に組み付いてきた。
「引き剥がせ!」
それは誰の声だったのだろう。
とにかく、僕はそれに従って、岩豪の肩を両手で押して、掴まれることを避けた。
岩豪の腕は明らかに力が入っていない。僕は低い姿勢のままの岩豪へ膝を付き上げる。衝撃で顔面が跳ね上がったが、それは腕でガードされてしまった。
もう一発、と拳を突き出したが、岩豪は大きく後ろへ退いて、距離を取ってしまう。ただ、岩豪の目は虚ろだ。まだチャンスはある。
僕はさらなる追撃を、と踏み出したのだが――。
「神崎くん、深追いは駄目だ!」と三枝木さんの声。
それと同時に、岩豪のタックルが。
僕は反応できず、しっかりと組み付かれ、金網まで押し付けられた。
とんでもない力だ。振りほどこうにも、絡みつく腕は岩のように固く、重たい。それでも、一ラウンドに比べると圧力が弱まっているのは確か。さっきの攻撃が効いているのだ。
「腹、腹が無防備!」
角度的に見えなかったが、三枝木さんの指示に従って、僕は岩豪の腹を殴り付けた。それが効いたのか、岩豪の体が縮こまる。
もう一度、全力を振り絞って岩豪を押し返すと、体が離れた。その隙に岩豪の拘束を解き、僕はその場から離脱する。
忘れていたわけじゃないけれど、倒しきれなかった場合は距離に注意して戦うんだった。チャンスだと思って焦り過ぎてしまったらしい。
それでも、とにかく奇襲は成功。
できるものなら、この一連の流れで倒しきりたかったが……そんな簡単じゃないよな。
実際、虚ろだった岩豪の目は力を取り戻しつつある。
手負いの獣は何とか、ってやつか。
くそ、この恐怖の時間がまだまだ続くと思うと、本当に逃げ出したくなる。でも、逃げ出せるわけがない。逃げた後、僕に何が残っているんだ。
自分を奮い立たせる時間すら許されることなく、岩豪が飛びかかってきた。だが、それはあまりに不用意なタックル。
僕はそれを膝蹴りで迎え撃った。確かな手応え。
確実なダメージを与えたはずだが、岩豪は僕の足をしっかりと掴んでいた。それは、地獄の底に引きずり込むまで離すまい、という気迫を感じる凄まじい力だ。
そして、僕はマットの上に叩き付けられてしまうのだった。
「面白かった!」「続きが気になる、読みたい!」と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品の応援お願いいたします。
「ブックマーク」「いいね」のボタンを押していただけることも嬉しいです。よろしくお願いします!