【第一ラウンド】
ゆっくりではあるがのしのしと、まるで僕の逃げ道を遮るように、岩豪が詰め寄ってきた。
こんなでかい野郎が、
僕の命を狙って近付いてくる。
マジで怖いんだけど。
このやばい状況、本当に僕なんかがどうにかできるのか?
岩豪が僕の目の前でピタリと止まる。数秒、僕を見据えて停止していたが、拳がピクリッと動いた。
その瞬間、僕は殺される、と思ってただ頭を守ってしまった。が、同時に過去の記憶がフラッシュバックする。
やばい、これってハナちゃんのときと同じパターンだ!
すぐにガードを下げつつ、飛び跳ねるように横へ移動する。が、少しばかり遅かったのか、横腹に鈍い衝撃が。まるで、巨大なハンマーで殴り付けられたような一撃。
何とか腕で横腹を守ることはできたが、その衝撃に僕の体は吹き飛び、マットの上に倒れてしまった。
「すぐ立つ!」と三枝木さんの声。
そうだ、寝かされたら馬乗りになられて、後は殴られ続けて死ぬだけだ。
僕は痛みを無視してすぐに立ち上がって逃げるように距離を取ったが、岩豪は特に焦った様子もなく、僕を見つめているだけだった。
なぜだ。
なぜ攻めてこなかった?
今だったら僕を抑え込んで、得意なポジションをキープしたまま、対戦を終えられたはず。
僕に思考する時間を与える気はない、と宣言するように、岩豪が再び接近し始める。僕は後退りして、できるだけ距離を保とうとしたが、岩豪は凶暴な牛のような突進を見せた。
「うわわわぁぁぁっ」
僕はとにかく逃げなければ、と背を向けて走りし出した。しかし、岩豪が逃がしてくれるわけがなく、追いかけてくる。
結果、子供の鬼ごっこみたいに、ケージの中をぐるぐる回ることに。
先程まで歓声に溢れていた会場だが、いつの間にか笑い声に包まれていた。
「おい、誠!」
ここでセコンドからセレッソの声。
あいつ、いたのか。
「ランキング戦で逃げ出すやつがあるか!」
そうか。
みんなちゃんと向かい合って勇敢に戦うんだろうな。
でも、仕方ないだろ。
岩豪、めちゃくちゃ怖いんだもん。
気付くと、岩豪は足を止めていた。
僕は十分に離れてから振り返ると、岩豪は呆れたように肩をすくめ、口元には僅かな笑み。なぜか拍手が起こった。
「神崎くん、判定まで行くとなったら、逃げ回っていては勝てない! ちゃんと戦って!」
今度は三枝木さんの声だ。
マジかよ。ちくしょう。
こんなに怖いのに。
僕は深呼吸して、しっかりと岩豪を見据えた。
落ち着け。
びびるな。
ちゃんと戦え。
岩豪が迫ってくるが、僕は何とかその場にとどまってみせる。
僕の集中力が高まったことを察知したのか、岩豪の目付きも変わった。やや慎重に距離を詰めると、パンチのフェイントや、わずかに腰を落とす動作を見せてタックルのフェイントを見せてくる。
岩豪は前手となる左の拳を突き出す。僕は身を反らしてそれを躱したが、次の瞬間、岩豪は踏み込みつつ右の拳を振り回した。僕はスライドするようにして右方向へ。
今度は完璧に岩豪の攻撃を避けて見せた。
避けることはできるけど……これだけでは逃げ回っているのとあまり変わらない。
例え、五分三ラウンド逃げ切ったとしても、負けは決定。セレッソの言うことが正しいのなら、それで世界は滅亡だ。
逃がしてはならない、
と判断したのか岩豪は間をおかずに、追撃の攻撃を放ってきた。
僕は顔を左右に振りつつ、後退してそれをやり過ごすが、岩豪はしつこく追いかけてくる。
だが、僕は岩豪の攻撃のリズムと当たらない距離を何となく掴み始めた。この調子を保てば安全なんだけど……。
「誠、お前も攻撃しろ! 勝てないぞ!」
ごもっともなことを言う女神様。
でも、自分の攻撃を当てるには、もう半歩踏み込む必要がある。
距離を縮めるということは、相手の攻撃が当たるところに踏み込むということ。かなりのリスクなんだよ。
「第一ラウンド、残り一分」と会場にアナウンスが。
え、もう一分だけ?
マジで逃げ回っているだけで終わっちゃうじゃんか。
岩豪もスイッチを入れたのか、どんどん距離を詰めてくる。しかも、先程より動きがシャープだ。こうなったら、今度こそ反撃してやる。セレッソが求めたインパクトがある勝ち方ってやつを見せてやらないと。
僕は腰を落として、得意なカウンターパンチを放つ準備に入った。しかし、セコンドの方から三枝木さんの声が。
「神崎くん、止まっちゃダメだ!」
なんで?
動きを止めて集中した方が、相手の動きに合わせて反撃しやすいのに。
考える間もなく、岩豪が目の前まで迫っていた。近距離で、左右に体を揺らすフェイント。
今度は躱して反撃。
今度は躱して反撃。
今度は躱して反撃。
「神崎くん、危ない! 離れて!」
三枝木さんの声が聞こえたと思うと、岩豪の体が沈んだ。その瞬間になって、やっと僕は思い出す。そうだ、止まったらダメだったんだ。
だが、既に遅かった。
ドンッと正面に衝撃があったかと思うと、一瞬の浮遊感の後、僕は背をマットに打ち付けていた。見えなかったが、岩豪の高速タックルで倒されてしまったのだ。
「暴れて! 無理やりにでも立つ!」
三枝木さんに言われた通り、マットに両手をついて無理矢理立とうとしたが、岩豪が僕の背中に圧し掛かって体重をかけている。
あの巨体だから、とんでもなく重いわけだが、それでも立つしかない。両手両足に全力を込め、僕は岩豪の拘束から逃れようとした。
が、ゴンッと頭に衝撃が響く。
立つことに集中し、顔面を守れないことをいいことに、岩豪が後ろから僕の顔を殴り付けてきたのだ。しかも、金槌で殴られたんじゃないかってくらい痛い。
さらに一発。
僕はたまらず両手で顔面を守ってしまった。すると、岩豪の体重に押し潰され、完全に押し込まれてしまう。
「頑張ってもう一回立つ!」と三枝木さん。
でも、立とうとしたら、
また顔を殴られる。
だとしても、痛みを怖れていたら、このまま殴り殺されるだけだ。
僕はがむしゃらに体を揺すった。
右に左に。
とにかく、背中にしがみ付いている岩豪を振り落とそうと、全力で暴れたのだが……
一瞬、体が軽くなった。
逃げられる、
と両手をマットについて立ち上がろうとしたが、宙に浮いたような感覚が。
今度も何があったのか分からないが、またもマットに体を打ち付けられていた。そして、気付くと仰向けの状態で、岩豪に馬乗りの状態を許している。
僕を見下ろす、冷たい岩豪の瞳。
あ、殺されるんだ。
と、認識した途端、振り下ろされた岩豪の拳。
何とか両手で顔面を守ってみせたが、岩の塊で殴り付けられたんじゃないかと思うほど硬い拳は、僕の意識を奪い去ってしまいそうだ。
さらに一発。
拳の一撃とマットに挟まれ、衝撃は倍増。
逃げようにも、馬乗り状態で体の自由も奪われている。
駄目だ、もう何もできない。
さらなる一撃を放とうと、岩豪が拳を振り上げたとき、
一ラウンド終了を告げるコングが鳴った。
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