【ハナちゃん】
ぶん投げられて、
未だに意識がはっきりしない僕を、怒った顔のハナちゃんが見下ろしていた。
「てめぇ、真剣勝負の中、何言ってんだ。この雑魚! 私が武器を持ったアッシアの強化兵だったら、この瞬間に刺されて死んでるんだぞ! それに、それになぁ」
ハナちゃんが両拳を握って、顔を赤く染めた。
「あそこで止められたら、私の負けみたいじゃねぇかよ!」
すんごい怒鳴られた……
と思ったら、僕は信じられないものを見た。
ハナちゃんの目から、零れるそれは、一筋の涙。
「え、ハナちゃん……泣いている?」
後々考えれば、これはデリカシーのない言葉だったのだろう。
その証拠にハナちゃんは目を見開き、僕の腹を思いっきり踏み付けるのだった。
「ぎゃあっ!」
「ふざけんな、この雑魚! 私が泣くわけ、ねぇだろ、雑魚! 雑魚、雑魚、雑魚!」
「ぐえっ、ぐえっ、ぐえっ、ぐえっ、ぐえっ、ぐえっぐえっぐえっ!」
繰り返される踏みつけに、
内臓が口から出てきてしまいそうだった。
「はいはい。ハナちゃん、ストップだよ」
止めてくれたのは、下畑さんだった。
「それで? ハナちゃんはこの勝負、どう思っているの?」
拗ねた子供の希望を聞くように、
下畑さんが問いかけると、ハナちゃんが奥歯をギリギリと言わせてから、仕方なしに口を開くのだった。
「わ、私の……私の……」
ハナちゃんは両目を閉じて、激痛に耐えるように言った。
「私の負けだ!」
「……え?」
意味が分からなくて、ぽかんと口を開ける僕。
「だから、私の負けだって言ったんだよ。何度も言わせるな、バカ。アホ。雑魚!」
そして、ハナちゃんはボロボロと泣き出した。
初めて膝を擦りむいた子供のように。
「え、どうしたの? ハナちゃん? 大丈夫?」
僕は僕で、年頃の女の子が泣く姿を初めて見たものだから、思わず飛び起きていた。
「い、痛かった? ごめんね」
すると、周りの大人たちが一斉に笑い出した。
何が起こったのか、
何がおかしいのか分からなくて、
僕は挙動不審になってしまったが、それでも彼らは笑いが止まらないようだった。
「いやー、ハナちゃんが泣くの、久しぶりに見たなぁ」
彼らがなぜ笑っているのか。
最初に説明らしい発言をしたのは、やはり下畑さんだ。
「神崎くん、大丈夫。ハナちゃんは昔からこうなんだよ。負けるとね、最低でも一時間は泣いて、泣いて泣いて、止まらないんだから」
下畑さんの説明に、別の大人が「そうそう」と付け加える。
「最近はハナちゃんも強くなって泣くことがなかったけど、本当に久しぶりだね」
「最後に泣いたのはいつだっけ」と、また別の大人が加わる。
「確かセレーナ様に負けたときだったな。あのときは、本当に酷かった」
大人たちが次々とハナちゃんの大泣きエピソードを繰り広げる中、僕はどうすれば良いのか、あたふたするばかりだった。
「黙っていようと思ったのですが、実はハナちゃんはですね」
そんな僕に三枝木さんが声をかけてきた。
「前回、神崎くんにパンチを躱されたことが、本当に悔しくて、あのときも半泣きだったんですよ」
泣いちゃいねぇ!とハナちゃんが喉を詰まらせながら反論するが、構わずに三枝木さんは続ける。
「だから、今回は絶対にパンチを当てるって譲らなかったんですよ。それなのに、下畑さんが『パンチが当たらなくて、先にハナちゃんが一撃もらったらどうする』とか言い出すから……彼女も意地張って『そんなことあったら、負けで良い』って言っちゃったんですよね」
「つまり、神崎くんのパンチが当たった時点でハナちゃんの中では負けだったんだ」
今度は下畑さんが補足する。
「それなのに、余計に意地張って得意の組みで倒そうとして、膝までもらったもんだから、悔しくて仕方ないんだよ」
「だって、だって、素人に避けられたなんて悔しいじゃん! 私は、何年もやってて、頑張っているのに。こんなバカみたいな雑魚の素人に、避けられるわけないんだから!」
両手で涙を拭っても拭っても、
次から次へと涙が零れてしまうハナちゃんは、本当に子どもみたいだった。
「いや、でも……結果的に僕は投げられて、動けなくなるまで踏み付けられたんだから、勝ちと言えるのかどうか」
泣いているハナちゃんを見ると、
どうしても後ろめたい気持ちが。
しかし、彼女は泣きながら、このように訴えた。
「てめぇ、これ以上、私に恥をかかせるつもりか! 私が負けたって言ってんだから、負けなんだよ!」
「えええ……。そう言われてもなぁ」
困り果てた僕の肩を下畑さんが叩いた。
「まぁ、本人がそう言っているんですから。本人の意思を尊重しましょう。ランカー推薦の件、僕の方で進めておきますよ」
「え、本当ですか?」
笑顔で頷く下畑さん。
この一ヵ月、地獄の練習に耐え続けた成果が出たのだ。
僕はシンプルに嬉しくて、それを誰よりも共感したかった相手、セレッソの方を見た。
彼女も笑顔を見せて、僕に言った。
「よくやったな、誠」
一時間後(本当にハナちゃんが泣き止むまで、一時間を必要とした、という意味)。
クラムの隅で座ったまま動かないハナちゃんに声をかけてみた。
「あのさ、実際のところは、僕の負けだと思うんだ。だって、ハナちゃん……じゃなかった。綿谷さんはその気になれば、キックだったり、タックルだったり、違う技で攻撃することもできたんでしょ? めちゃくちゃ手加減してもらって、パンチがちょっとかすったくらいなんだから、やっぱり綿谷さんの勝ちだよ」
慰め、というわけではないのだけれど、僕も何となく勝ちをもらったことが納得いかず、そんな言葉をかけていた。
すると、彼女はジト目で僕を見つめた後、目を逸らしてから、呟くように言った。
「べつに、ハナちゃんって……呼んで良いよ」
「え?」
「だから、ハナちゃん呼びで構わないってば!」
「え? いいの? 本当?」
「……うん」
これには、後味の悪さや後ろめたさが、喜びで洗い流されるかのようだった。
「じゃあ、じゃあ!」
僕は両手を広げて言う。
「あの約束も守ってくれるよね? 忘れてないよね? 勇者に二言はないって、言ってたよね? 言ってたよね!?」
期待に溢れる僕を一瞥したハナちゃんは、おもむろに立ち上がった。
その後、僕が目覚めるまで一時間も経ったそうだ。何があったのか。
ハナちゃんの綺麗なハイキックを受けて、失神したらしい。
流石は暫定勇者のハイキック。
まったく見えなかったし、とてつもなく強烈だった。
まぁ、失神していたから、まったく覚えていないのだけれど。
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