【逃げるなよ】
「今のはアームロックです」
リングを降りた後、三枝木さんは言った。
「神崎くんは、相手のパンチを見るのは得意なようですが、悪く言うと、それ以外に武器がない」
その通りだけど、
もう少し褒めてくれてもいいじゃないか。
そんな不満を密かに抱くが、三枝木さんはダメ出しを続ける。
「格闘戦はパンチだけではありません。キックもあれば、組み付かれることもある。さらに、タックルで倒されて、関節技を極められてしまうこともあります。だから、パンチが得意というだけで、暫定勇者レベルの人間に勝てることはありません」
そう言えば、
最後の攻防を抜けば、三枝木さんはパンチしか使っていなかった。
途中で三枝木さんが本気でないことに気付いたが、僕の想定以上に彼は力を抜いていたのだ。
やっぱり勇者の才能なんてないのでは、と再び落ち込む僕の肩を三枝木さんが叩いた。
「ただ、素人が元勇者である人間のパンチを躱すなんてことは、普通できるものではありません」
「え?」
「まさに天才。いえ、そんな言葉では収まらない。神崎くんがオクトを……いえ、この世界を救い、すべての人から称えられる姿が、私には見えた、ような気がします」
「そ、そうですか……?」
「はい。私のパンチどころか、現役の暫定勇者であるハナちゃんのパンチまで避けたんですから。彼女、悔しがってましたよ。あんなやつは初めてだ、って」
あの強気のハナちゃんがそんなことを?
やっぱり僕には才能があるのだろうか、と少しだけ自信を取り戻す僕の後ろでセレッソが呟いた。
「流石は褒め殺しの三枝木と言われただけある。十年前が懐かしいな」
「とにかく」
三枝木さんがセレッソの呟きを遮るように言った。
「練習しましょう。時間は限られているので、明日から……いえ、今日から始めなければ。神崎くんの家は、ここに通える場所にありますか?」
「それが、こいつ金もなければ家もないんだ。その辺りも面倒見てやってくれ」
答えにくい質問をセレッソがフォローする。
とは言え、帰る家もないと聞いたら、色々と突っ込まれるのではないか、
と心配したが、三枝木さんは特に追及してくることもなかった。
「では、ここを寮変わりに使ってください。食事もこちらが用意します。強くなるための食事を」
三枝木さんが見せる笑顔は、
普通の大人と違って明日を楽しみにしている、ように見えた。そんな眩しい笑顔で彼を言う。
「つらい練習が続くかもしれませんが、私が全力でサポートします。一緒に、勇者を目指しましょう!」
「は、はい!」
流れで良い返事をしてしまったが、
練習か……。
僕みたいな根性なしに続けられるだろうか。
「おい、誠」とセレッソの声に振り返る。
「なんだよ」
セレッソは、性悪であることを忘れさせるくらいの、可憐で本来の素質を際立たせるような笑顔を見せてから言った。
「逃げるなよ」
三日後、僕は見知らぬ世界の見知らぬ街を一人歩いていた。言うまでもないが、言っておこう。
逃げ出したのだ。
つらかった。とにかく、つからった。
朝は走り込み、階段ダッシュ、筋トレ。
昼間はレスリングと関節技の練習。
夜はスパーリングと試合映像の研究。
朝はとにかく疲れるし、
昼はぶん投げられたり関節を曲げらたり、
とにかく痛め付けられるが、それに加えて夜はぼこぼこに殴られる。
さらに言えば、ご飯も栄養バランス優先らしく、おいしくない。
食事が終わると、
クラムの隅でマットを敷いて寝ているが、
寝心地が良いわけではなく、やや睡眠不足だ。憩いの時間と言える瞬間はなかった。
三日目にして限界。
逃げ出してしまったのだ。
しかし、ここは見知らぬ世界。
行き場などない。
さらに追い打ちをかけるような雨だ。
これは、この世界の神による仕打ちなのだろうか。
世界を救う勇者になると豪語して、
すぐに逃げ出してしまう僕のことを怒っているのかもしれない。
「こんなことなら、来るんじゃなかった」
溜め息を吐き、とぼとぼと雨を凌げる場所を探す。お金も持っていないので、カフェに入ることもできないし、
どこに避難すれば……
と右往左往としていると、本屋を見付けた。
立ち読みでもして時間を潰せないか、と本屋に近付くと、入り口の辺りに大きなポスターが貼ってあることに気付いた。
三人の女性が映った、女性向けのファッション雑誌の告知らしい。ファッション雑誌なんて手に取ったこともない僕が、なぜそのポスターに目を引かれたのか。それは、すぐに分かった。
「これって……ハナちゃん?」
ポスターの中央。そこに映っているのは、ハナちゃんだった。よく見ると、綿谷華と書いてあるじゃないか。
美人だとは思っていたけど、雑誌の表紙を飾るほどの有名人だったんだ。
僕にも、こんな可愛い女の子が彼女だったら……。
ハナちゃんくらい可愛い女の子と僕が付き合っていたら、前の世界にいた人気者の男子たちも、羨んだだろうな。
僕はポスターの中のハナちゃんに見惚れながら、ぼんやりしていると、背後で誰かが立ち止まる気配があった。
「あれ。もしかして、お前……」
聞き覚えのある声。
なぜこんなところに!
と反射的に逃げ出そうとする僕だったが、首根っこを掴まれてしまった。
そして、異様な怪力によって振り返ることを強制させられる。
「やっぱり、お前だったか」
僕の胸倉を掴んで、至近距離で睨み付けてくるその人は、今にも噛み付いてきそうな暴力的な笑顔を見せて、言う。
「おい、道場破り。こんなところで何をやっているんだ?」
それは、どういう偶然なのか、
さっきまでポスターの中にいたはずのハナちゃんだった。
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