◆鳥が飛ぶ空①
あの日の地獄をリリは忘れたことがない。
十年前、オクト北部にある土地、アチカは燃えていた。イロモアで行われている戦争が、少しずつ南に降りてきている。前々からそういう話は聞こえていたが、ついにそれが現実となったのだ。
アッシアの進軍。
反撃を試みたオクトの兵が放った火により、窓から見える家々は燃えていた。
いつもなら、父と母は夕方に帰ってくる。そしたら、助けてもらえるはず……と考えていたが、この日はいくら待っても二人は帰ってこなかった。
「リリ、行こう。もうウチも危ないよ!」
双子の姉のメメが手を引っ張った。
「でも、どこに行くの?」
「分からないけれど、ここにいたら死んじゃう。とにかく、逃げよう!」
「じゃあ、ミミも一緒に!」
鳴き続けるミミが入った鳥籠を抱え、姉と一緒に外へ出た。
外は地獄。
炎による熱気がすぐ近くまで迫っていた。
そして、多くの人がこの場から逃げ出そうと走り回っている。逃げ出そうとする二人を見た、近所のおじさんが声をかけてきた。
「そっちは駄目だ! アッシアの強化兵がいる!」
熱さを感じない方へ走るつもりが、それは危険らしい。続けて耳を打つ爆発音。二人は、強い熱を感じる方向へ走らなければならなかった。
何度も死を覚悟した。
すぐ隣で知り合いが粉々になる瞬間も見たし、
火だるまになってのたうち回るところも見た。
だけど、リリとメメは死ななかった。気付けば、山の中。どこまでも続く緑の景色だった。
ふと心配になって鳥籠を覗くと、あれだけうるさかったミミも静かになっている。鳥籠を抱えるリリを見て、姉が静かに言った。
「リリ、もう鳥籠は置いて行こう……」
「でも、ミミが……」
「でもじゃない! もう死んでるよ!」
そんな姉の声は聞いたことがなかった。ただ、苛立っているのとは違う。ここで従わなければ、自分は姉に捨てられるだろう。そんな予感を抱かせた。
姉もそんな自分の態度に気付いたのか、後ろめたそうに目を逸らしてから、再び静かな声で宥めるように言うのだった。
「だから、埋めてあげよう」
「……うん」
リリの記憶では、父から初めて与えられた誕生日プレゼントがミミだった。リリにとって、いや姉のメメにとっても……
親友であり、妹と言える存在。
そんなミミを埋める作業は、幼い姉妹にとってつらい作業だった。
それなのに、少しだけミミが死んだことを安心している。鳥籠を抱えず歩けると言うだけで、かなり余裕が生まれたからだ。そんな自分が嫌だった。
だけど、それを代償にしたところで、二人が助かるわけではない。ミミを埋めた後も、三日三晩、二人は山をさ迷った。闇と獣の気配に怯えながら過ごす夜は、二人の精神を圧迫し、体力を奪った。
もう何日間、飲まず食わず歩き続けたか分からない。ついに姉が動かなくなり、 リリも立ち上がる気力を失った。
これで楽になる。
瞼が重くなり、死を意識する。
ゆっくりと、重たくなる意識を感じ、何度も命を諦めたが、ゆるやかな苦しみが長く続くばかりだ。
ついに視界が暗くなっていく。今度こそ、今度こそ終わる。それを受け入れると、暗闇は限りなく黒へ近づいて行った。
しかし、どこからか笛の音が聞こえた。
自分は、まだ生きている。
いや、助かるかもしれない。
目を開くと、すぐ傍に美しい姿の少年が立っていた。そして、その少年の口元にある笛からは美しい音色が。彼はリリの視線に気付き、演奏を止めると、
見たこともない美しい笑顔を浮かべて言うのだった。
「よかった、生き返ったんだね」
そうか、彼が笛の音で蘇らせてくれたのだ。リリは再び目を閉じた。この安心感に包まれるのなら、死んでも構わない。
でも、もし再び生きて目を覚ますことがあるのなら……。そんなことを考えていた。
次に目を覚ましたとき、リリは経験したことのない、柔らかな感触の中にいた。
「よかった、妹さんも目が覚めたみたいだよ」
また、傍にいたのは美しい姿の少年。
「リリ! もう起きないかと思っちゃったよ!」
抱き着く姉と微笑む少年の視線に戸惑ったことを、リリは今でも覚えている。死なずに済んだのだ、という確信を得たことも。
少し落ち着いてから、自分たちの身に何が起こったのか、姉が説明してくれた。
「あの山で死にそうだった私たちを、王族の方が拾ってくれたのよ。ここ、どこだか分かる?」
病院ではなく、豪華なお屋敷であることは分かるが、どこかは検討もつかないので、首を横に振った。すると、姉は目を輝かせて言う。
「王都ウオークオートよ。しかも、オクト城の離宮!」
信じられないことだが、周りの風景を見る限り、姉の言うことは真実のようだ。恐らく、オクトの国で一番安全な場所、オクト城。ついさっきまで、地獄をさ迷っていたはずなのに……。
リリはただ戸惑うだけで、どんな感想を口にするべきか、それすら分からなかった。
それから、二日間は今までにない贅沢な暮らしを経験した。戦場が近いアチカで育った二人にとって、食事とは最低限の栄養摂取でしかなかった。
しかし、ここで口にする食事は、味覚から幸福感を得られるものばかり。さらに、夜眠るベッドは柔らかく温かく、窓の外から見える景色も美しかった。
リリの体力が戻った頃、助けてくれた、あの美しい少年が言った。
「そろそろ、君たちの未来の話をしようか。帰る場所はあるのかい? 生活を助けてくれるような親戚や友人。もしくは、新しい生活の場として行ってみたい土地とか」
姉妹はしばらく考えたが、もちろんそんな場所はどこにもない。
「行き場所がどこにもないって?」
少年は心配そうに首を傾げた。そして、十秒程度考えたかと思うと、何か妙案を思いついたと言わんばかりに目を見開き、あの美しい笑顔を二人に見せた。
「だったら、ここで働かない? そうだ、僕専属の使用人というのはどうだろう?」
二人は迷わず答えた。
「働きたいです。働かせてください!」
少年は満足気に頷く。
「僕はブライア。よろしくね」
手を差し出すブライア。
「今日から僕たちは家族だ。まずは、君たちの名前を教えて」
それから、数年は幸せな時間が流れた。ブライアには父と母がいて、異母姉と異母妹がいる。そんな彼らに囲まれていると、両親を失ったはずの二人も、未だかつてない幸せな時間を過ごせたのだった。
ただ、幸せが続いたのは一年程度。
ある日を境に、ブライアは変わって行った。心優しく、美しい笑顔を見せる少年から、世界を憎む青年へ変わって行ったのだ。
「面白かった!」「続きが気になる、読みたい!」と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品の応援お願いいたします。
「ブックマーク」「いいね」のボタンを押していただけることも嬉しいです。よろしくお願いします!




