【これが実力の差】
ハナちゃんのときと同じで、
薄いグローブをはめてリングに上がった。
リングの周りには、多くの野次馬が。これだけの人に見られていると、ちょっとプレッシャーを感じてしまうではないか。
一方、三枝木さんは楽しそうにニコニコしている。今にも飛びかかってきそうだったハナちゃんとは、まったく雰囲気が違うが
……本当に強いのだろうか?
そうだ、三枝木さんは現役を引退している。きっと、昔ほどの強さはなく、温厚な指導者になったのかもしれない。
だったら、僕でも勝てるのでは?
「じゃあ、試しに五分間やってみましょうか。私は軽くやるので、神崎くんは本気で殴りかかってください」
「ほ、本気で大丈夫なんですか?」
リングの外で観戦している人たちから、笑い声が聞こえた。
何か場違いなことを言ってしまったのだろうか。よく分からないが、ただ恥ずかしかった。
しかし、三枝木さんは笑顔のまま言った。
「本気で大丈夫です。何なら殺すつもりでも問題ないですよ」
「分かりました!」
また笑い声が聞こえた気が。
何だかこのシチュエーション。
僕が学校の教室で発言したとき、
みんながざわざわしたり笑い声が聞こえたり、
何度も体験したあの感じによく似ている気がする……。
「おい、誠。緊張するな。今度こそ集中しろよ」
セレッソの声のおかげで、トラウマに沈む寸前で立ち直る。
そうだ、二度と赤っ恥はかきたくない。
ちゃんと集中しなければ。
息を吸い込むと同時に、リング外からタイマーのスイッチを入れる音が響いた。
タイマーに表示された五分という数字がカウントダウンされていく。
「お願いします」と三枝木さんがグローブタッチを求めてきた。
軽くタッチした、次の瞬間、
三枝木さんの動きが変化する。
右へ左へとステップを踏み始めたのだが、動きは軽く、視界が惑わされてしまう。
ただ軽快なステップだけでなく、
三枝木さんは両手の拳を小刻みに動かし、
いつ本命のパンチが飛んでくるのか、まったく分からなかった。
どうすればいいんだ!
と動揺している間に、三枝木さんのパンチが飛んできた。
速くて鋭い拳の一撃が、頬に突き刺さり、顎が揺れる。
「落ち着けってば! 何度も言わせるな!」と再びセレッソの声。
そうだ。
これでは、ハナちゃんのときと同じだ。
慌てている間に、パンチを続けて浴びてしまう。動体視力を活かしてパンチを避けなければ。
後ろに退いて距離を取って、三枝木さんの動きをよく見るんだ。
見ることを意識して、自然と前傾姿勢になった途端、再びパンチが飛んできた。また頬に当たってしまったけど、今度は確かに見えた。
右、右、左、右と
三枝木さんが体を揺らした次の瞬間、またもパンチが飛んできた。
が、今度はタイミングよく身を反らし、それをやり過ごしてみせる。
なんだ、できるじゃないか。
と、ほっとした瞬間、三枝木さんが笑った。
同時に三枝木さんが真っ直ぐ踏み込んでくる。これまでの速くて軽いパンチとは違う、相手にダメージを与えるためのパンチだ。
僕は身を屈めて、
それを避けてから三枝木さんの左側に回り込み、もう一度距離を取ると、リングの外からどよめきが聞こえてきた。
「あの子、凄いじゃん」
「何年やってるんだろう。流石、三枝木さんが連れてきただけあるよ」
「まだ若いのに、あれだけやれるなんて、センスあるなぁ」
……凄い褒められている!
「誠、調子に乗るなよー」とセレッソの声。
もう一度、深呼吸して三枝木さんを集中した。
やはり、軽快なステップを踏みながら、少しずつ距離を詰めて、僕にプレッシャーを与えてくる。
大丈夫。
よく見ろ。
ハナちゃんのときは、上手く行かなかったが、今度はカウンターパンチを完璧に決めてみせる。
僕はどっしりと腰を落として、三枝木さんの動きを目で追った。
三枝木さんはペースを崩さず、ほとんど距離がないところまで近付いている。
三枝木さんの拳が動く。
この瞬間だ。
僕は三枝木さんの拳が飛んでくる瞬間に合わせて、僅かに顔面の位置を移動させて回避行動を取りつつ、自分の拳を振るった。
タイミングは完璧。
三枝木さんのパンチを躱し、僕のパンチがヒットする
……はずだった。
しかし、三枝木さんの姿が僕の前から消えた。
それに気付くよりも早く、腰に圧迫感が。
三枝木さんが、僕の腰に両腕を回していたのだ。
パンチのモーションはフェイントで、こっちが本命だったのか!
気付いたとしても、既に遅い。
僕は足を払われ、リングの上に叩き付けられるように、倒されてしまった。
これって、ハナちゃんのときと同じパターンじゃないか。
僕はすぐに立ち上がり、距離を取ろうと思ったが、体が重たくて、ほとんど動けない。
これは、三枝木さんが倒れた僕の背中にのしかかり、体重をかけていたのだ。
「立て、立つんだ、誠ーーー!」
珍しく声を荒げるセレッソ。
その気持ちに応えたい一心で、無理やり立ち上がろうと、両腕と両足に全力を込める。
体重のかけ方にコツがあるのか、背中の三枝木さんは、人一人とは思えない重たさだった。それでも、少しずつ三枝木さんの体が浮いたので、このまま何とか引き剥がそう、と思ったが、
今度は首に圧迫感が。
「げえっ!」と思わず声にならない声が。
三枝木さんの腕が僕の首を絞めているのだ。やっと、僕は気付く。
戦う直前、本気で大丈夫なんですか?
と三枝木さんに聞いたとき、周りの人が笑った意味を。
素人が元勇者に馬鹿なことを言っている、と笑われていたんだ。
実際、三枝木さんと僕の力の差は、圧倒的だ。
何とかなる、と思った瞬間はあったけど、気付けばこの状態だ。
過る敗北の二文字。
ちくしょう、二度とあんな想い、してたまるか。
首に巻き付く三枝木さんの腕を掴み、力いっぱい引き剥がそうとした。
息を吸い込めず力が出なかったが、関係ない。
負けたくない、という気持ちだけで、火事場の馬鹿力を引き出してみせた。
おおお、と感心するような声。
そうだ、分からせてやる。
僕が無敵の勇者になる男だ、ということを。
首の苦しさが急に消えた。
気道が確保できたんだ、と思ったら、僕はまた倒れていた。何があったんだ、と考える間もなく、今度は腕に違和感があった。
「えっ?」と、たぶん声に出したと思うけど、もしかしたら心の中だけだったかもしれない。
でも、そんなことはどうでもよかった。それよりも、僕はその痛みを訴えることで、頭がいっぱいになっていたらかだ。
「いたたたたぁぁぁーーーー!」
腕が。腕が。腕が!
腕が変な方に捻じ曲げられている!
三枝木さんに腕を掴まれたところまでは分かったが、その後、何があったのか全く理解できない。たぶん、足を引っかけられて、転ばされたのだろう。
でも、とにかく、そんなことより、腕が折れてしまいそうだ!
こういうとき、何て言うんだっけ!?
「ギブギブギブ!!」
腕が解放され、すっと三枝木さんの体が離れた。そして、彼は笑顔で言うのだった。
「はい、ありがとうございました。腕、大丈夫ですか?」
セレッソの溜め息が背後で聞こえ、僕は溢れそうな涙を堪えるしなかった。
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