第9話 エラヒロ何とか何とかヘビ
それは水中に隠れ潜んで待っていたようだ。
恐らくは命を繋ぐ能力にまで進化した野生の勘によって、自分が徐々に追い詰められつつあることに気がついたのだろう。
そして不完全ながら、保護色の様な能力まで発揮してじっとその時を伺っていたに違いない。
奇襲が成功すれば、狂人の様なテンションで襲いかかって来る騎士達の何人かは殺すことが出来たかもしれない。
だが予想外の方向から、その『何とか何とかヘビ』の反撃のタイミングは狂わされることになった。
つまり私の参戦は奴の予定には入っていなかったというわけだ。最初から包囲網の外側に居たからな!
「ウォォォォ!(ゴボボボボ!)」
別のことに対する期待の所為で、思わず声が出てしまった。包丁を投げちゃった後でだ。しかも叫び声でも、かなり水っぽい響きだった。
お味方のモレーナ班はまだ20アーム(≒m)程度は後方に居る。
私の上げた奇声というか怪音に全員の足が止まったのは幸運だったかもしれない。
大量の水を押し退けて現れたそれは、僅かな間とはいえ滝の様な音を立てて、さらには凄まじい擦過音をどこからか分からないが発した様だ。
私はと言えば、天井からモレーナさんの方をガン見していたので、もちろん『何とか何とかヘビ』の方には視覚をほとんど向けていなかった。
「キャアアアァァァ!」
「「ウワアアアァァァァ!!」」
普段はちょっと艶っぽいハスキーなモレーナさんの声も、このときばかりは甲高い音を鳴り響かせた。
青い目を恐怖で一杯に見開いて、足は僅かに内側に曲げられている。
その金属鎧の下に履いたスカートに包まれた両脚の、その間から怒涛の勢いで滝が流れ出たのは次の瞬間だった。
「シュオォォォォォ」という後方から聞こえるヘビの出す擦過音とほとんど同じタイミングだったために、絵面と相まって凄い迫力を生じさせたようだ。私は魂が揺さぶられるような衝撃を受けたと白状しよう。
他の騎士達やジャイナさんとは明らかに違うだろう……何にも遮られずにほとばしったその流れは、安定した太いラインで空中を流れ落ちると瞬く間に池に変じたのである。
分量としては下手するとジョッキ一杯分ぐらいは出ているのではないだろうか? 健康?
私はこの都市の隠れ市民の一人として、彼女の職場に無断で居住する者として、これを見ることは恐らくであるが義務であり、きっと運命であったのだとこの時に直感的に思った。
見るべき物を見せてもらったからには彼女を援護せねばならない。
私は視覚を後方の『何とか何とかヘビ』にようやく向けた。ってすんごいデカいな!
ここでようやくきちんとヘビを視界に収めた私は、ショックの為か思わず農夫だった時代にまで戻ってしまったらしかった。
「あれが鰓広赤斑王角毒蛇! お前ら吶喊だぁぁぁ! でもちょっと嫌だァァァ」
「キャァァァ、イヤァァァァ! ウソでしょ、突撃ィィィィ」
信じられない光景だが、全員が「口ではどう言おうとも体は正直状態」であるに違いない。全員が抜剣するやいなや、散開してヘビに突撃を敢行した。
私はもう一度マジマジとヘビの方を見てみることにした。
赤い斑点に覆われたヘビの胴体の直径は1.8アーム(≒m)はありそうである。全長は水中に居て定かでは無いものの、40アームを超える可能性は非常に高い。
三角形の頭部はエラが張っており、さらには鋭い後ろ向きの角が2本生えていた。きっと毒もあるのだろうと思う。
鼻の間に肉切包丁が柄まで埋っており、両目は真っ直ぐに天井の私を睨み付けていた。こちらの位置がバレたぞ!
筋肉の限界が振り切れたような勢いで振るわれる騎士達の剣は『巨大何とかヘビ』の表皮を切り裂きまくっていたが、ヘビはお構い無しに口を開けて私に迫ってきた。天井は7アーム(≒m)しかないのだ。
しかし! 私はベチョベチョの水っぽい成りはしているものの神の被造物である。
私に言わせればコイツが生きたのは、自然のルールに守られたある意味において平和な世界でしかない。
贅沢に願った結果、失敗してしまった男の執念というヤツを見せてくれるわ!
ガボーっと音がしそうな勢いで、天井に貼り付いていた私はヘビに飲み込まれた。
それから事が終わるまでは割と早かった。
私は『何とか何とかヘビ』の食道に穴を開けると、消化器系からニュルニュルと這い出して呼吸器系の侵食を開始した。
さらに毒腺と脳ミソまで食い散らかしたところで、とうとう『何とか何とか毒ヘビ』は息絶えたようだ。
凄まじい勢いでビッタンビッタンに暴れまわり水中に潜られもしたが、こちらにとっては特に痛くも何ともなかったのは幸いである。
モレーナさんは無事であろうかと心配になったが怪我もなく五体無事であった。目出度い。
背負い袋はベショベショになってしまったが、包丁を回収し、何とか骨と皮の一部を失敬することに成功もした。カバンは作り直すしかない。こう見えても布生産系の半流体生物なのだ。
一応ではあるが、モレーナさんが地上の本部に戻るまではこっそりと付いていった。
メイドらしき女性がモレーナさんを見て、泣き崩れながら「お嬢様ァァァ、どうしてだどでずかァァァ(なのですか)」と絶叫していたのは見ていられなかった。
モレーナさんはヘビと戦って水浸しではあったが、文字通り全てを出しきって戦って帰って来たのだ。メイドさんにしてみたら、どちらにしても絶望的な内容に違いない。
そこで少しだけ気になることがあったのだが、彼女は確かに潤んではいるものの、強い意思を宿した目で私の方を見てきた。偶然だと思いたいが存在がバレたのかもしれない。
モレーナさんはジャイナさんと違って、そこまで頻繁に私の住処の周辺に来るわけでは無い。それでも今後は自重した方が良いかもしれないな。
今回の事件は私にとって、地下に対するいくつかの疑問を抱かせるキッカケになった。
地下はあの種の生物を守り、地上にいるときよりも過剰に強化してはいないだろうか?
そして人の生存本能と全能力を底上げし、これまた過剰な闘争に駆り立ててはいないだろうか?
尿がやたら出るのは、ひょっとするとこちらが考えている理由とは全く別のものなのかもしれない。