第7話 カイワガウマクナリマシタ
ハンポロ氏の遺品をもらい受けた翌日から、私はやや精力的に動くことにした。
驚くべきことに、この地下排水施設はモッペンユーテクレーヘン〔この都市の名前だ〕の中心市街全域をカバーしており、一辺が3ザトー(≒㎞)もあると地図に書いてあった。
そんな訳であるから、私は思いきって遠出した末に、かなり寂れた区域の主要通路から照明を取り外して持って来た。2つもらってきた。
照明器具自体は前期魔法文明の所産であるらしく、熱を持たずただそこで光を投げ掛けるだけの道具である。それでも何の燃料も必要とせずに、延々と光を放ち続けているのは便利であるし不思議でしょうがない。
最初の才能は布職人ではなく、魔法にしておくべきであったが後悔しても既にもう遅い……。
ちなみに照明の窃盗は重罪であり、発覚した場合には死罪かまたは鉱山で死ぬまで働くことになる。
私の場合は、今のところ存在が露見した段階で死罪確定の身の上ときている。照明器具の件で悩むのは、話の分かる人間に認知されてからで良いだろう。
照明器具が守られている理由は他にもあって、皮肉なことに地下の剣呑さそのものが原因であった。
危険生物は照明の届く範囲内であろうとも平気で襲いかかって来るのだ。
この辺については、清掃と修繕を普通にしか見えないオッサン達にやらせている時点で都市の領主府も相当に冷酷であるのだが、比較的に高い給与を支払うことで何とか人を集めているようだ。
さらに彼らは都市内に分散した役所に常駐し、それぞれが限られた担当範囲内のみの面倒を見ることで作業の負担と危険を分散しているのであろう。
最後に狩人と騎士団を地下の生物駆除に投入することで『都市設備管理機構』の業務は何とか成り立っているようだった。
「本当にやれやれと言ったところだ。殺人鬼の野郎は下半身だけ残して見つかるしさ。アタシは今日はもう風呂に入って寝るよ」
「まさか衛兵に追われて、そのまま地下へ逃げ込むとは思わなかったな。食われたのは自業自得ってやつだ。ウロコ駄犬かオオガニだって噂だがどうなんだろうな?」
「んなことは、どうでも良いじゃねえか。俺は酒飲んで寝るよ」
「ちょっと! いい加減に洗濯物を何とかしなさいよ! 毎回毎回ビチョビチョで帰るんだから……」
ジャイナさんのチームがどうやら上に引き上げたようだ。今日も壮絶に全員の股間はビチョビチョになっていた。
彼らの仕事場は都市の地下全域である。
彼らは素直に放尿しながらも生存本能の助けも借りることで、今日も地下の危険生物達を殺して回ってきたらしいな。
地上ではここまで漏らしたりしないはずだ。
こうして見ると地下がいかに特殊で、ある意味において有害な環境であるか分かる。彼らは股間を暖かくして帰り、家に戻ってからは洗濯物の心配をしないといけないのだ。
ちなみにであるが、都市の官憲とジャイナさん達のような狩人が探していた『殺人鬼』はどうやら捕まる前に部分遺体で発見されたらしい。見つかったのは下半身だけ。
どうやら、追跡されていた殺人鬼はハンポロ氏のことであったようだ。
あの日にハンポロ氏が下半身だけになってしまったのは、色んな意味において私にも責任の一端はあるかもしれない。
しかしこの地下という場所は、危険極まりなく誰もが同じように日常的に死ぬ場所でもある。責任についてはハンポロ氏が9割で私が1割といったところだろう。
とにかく物騒な輩が一人消えてくれたのは喜ばしいことに違いないのだ。
ハンポロ氏はその人生を閉じたわけだが、私自身に関してはありがたく便利な変化があった。
まず人間の言葉を話すことが格段に上手くなった。
これはネズミを食べた時と同じで、最初の何匹かは能力の上昇が見込めるのと同じ効果であると思われる〔今や連中の鳴き声で、個体の識別が可能なレベルにまで高まってしまったが、役にたつ日が来ることは無いかもしれない〕。
ただし人間を積極的に消化するのは抵抗がある。これでも信心深い性格で、ついでに直接愚痴を聞いてもらった神の被造物でもある。
善行を積むことにより、この状況の打開が図れる可能性もあるため、ああいったことは機会のある時だけに留めたい。
「ゆっくりであれば、何とか普通に話せそうだぞ(ゴボゴボ)」
声は深みのある低音で割と気に入っているのだが、ゴボゴボと水っぽい感じが一向に抜けないのと、何か下の方から聞こえる様な響きかたの所為でやたら不気味なのが気になる部分だ。
そして人間の様に2足歩行に見せかける技も身に付いてきた。ハンポロ氏の遺品である防水コートと、何の皮で出来ているのかよく分からないマスクがあれば人間の振りが可能なのではないだろうか?
特にマスクは人間の顔を模しており、荒々しい縫い目であるのに曲線の再現度が非常に高い物だった。額の中心にある縫い目だけはちょっといただけないが、それ以外は文句の付けようが無い。
ひょっとすると人間の皮で出来ているのかもしれないな。
しかしだ、何とか彩りのある生涯に向けて一歩近づいた感じがするじゃないか。
私は肉切包丁とマスクにコート、タガネやハンマー、ロープや手拭い、一度沸かした水の入った水筒を持って、今日も夜の地下に繰り出すことにした。昼間の地下は人が多すぎるので、もっと様子を見てからにしようと考えている。