第6話 凶刃鬼ハンポロ
ありがたいことに、相手のベテラン狩人らしき男は私が上から覗いていることに完全に気がついていないようだった。
「あいつらめ、余計な真似を……この『凶刃鬼ハンポロ』の今夜の獲物が……ヒヒヒ」
「オ、オレは絶対に……つ、捕まらな……」
件の彼の方はと言えば、何やら独り言をブツブツと呟きながらも暗い地下通路をズンズン進んでいく。足取りに迷いが無いのは流石としか言いようが無い。
驚いたが、彼はどうやら『二つ名』持ちらしい。『凶刃鬼ハンポロ』というのか……どちらかと言えば『全ポロ』といった風情の人物であるが、冷酷で危険な現実がこの地に投げ掛ける野卑な風俗を体現したような男だ。
余談だが二つ名持ちと言えば『尿漏れのジャイナ』さんや『足元の池のモレーナ』さんといったところが有名である。
モレーナさんについては少ししか見かけたことがないが、ジャイナさんと同じく女性であり、ジャイナさんと違って騎士である。
そして彼女は鎧の下のスカートの下は、何も履かないか鼠蹊部にデカい穴の空いた意味不明の下着を履いているらしい。
地下では猛烈にビビってから盛大に漏らしても、相手の首は確実に取ってくるという強者でもあるとのことだ。
この辺は全部が、複数で降りてくる時のオッサン達の噂話である。
二つ名の傾向に違いがあるのは、モレーナさんが割と良い家のお嬢様であるからだと言われているが、私個人としてはかなりイイ勢いで出してしまうからだと予想している。
不思議なことに何故か彼女たちは、緊張と恐怖で動けなくなったりはしない。悲鳴を上げながら漏らしても、確実に相手を殺りに行くという稀有な特性を男女共に持っている。
おそらくハンポロ氏も同じ状態なのだろう。先ほど少しだけ見えた感じでは目が虚ろだったし、全身がややプルプルと震えていることから地下の恐怖に苛まれている可能性は高い。
それでも歩みは止めないのは、それなりの実力者である証の様に感じられた。
気になる独り言の内容であるが、ひょっとすると同業者と喧嘩でもしたのかもしれない。そして「捕まらない」とは、彼が素早さ重視の戦士であることを表しているのであろう。
「ウグルルルルゥゥゥ……」
喉に痰が絡んだ老人と、セクシーな低音を持つ犬を混ぜたような唸り声が前方から響いたのは、それから暫く経った後のことだった。老人の方がセクシーボイスでないのは私の個人的嫉妬心からである。
「ヒェェェ……ヒャヒェェェ!」
ハンポロ氏は『ウロコ駄犬』を見て奇声を上げながらガクガクしている最中だ。これはとても狩人らしい反応でもある。冷静さを取り戻す直前までは悲鳴を上げながらも、生存本能の炎が凄まじい力を発揮して敵と戦うのであろう。
ちなみに『ウロコ駄犬』などと侮蔑的な名前で呼ばれる目の前の獣は、この地下でも駆除対象になっているモンスターである。
どこからやってくるのか全く分からないとのことだ。
殺しても殺しても湧いてくるし、四足獣の様に機敏に動き、形は犬の様なのに全身はウロコに覆われ、尾だけはトカゲやワニ〔本でしか見たことがない〕のように太く長い。
体高は1.6アーム(≒m)、尾を含めると長さは4アームもある上に毒持ちという厄介極まりない怪物であるらしい。
私も物凄く詳しいみたいな感じになっているが、もちろん初見であって、オッサン達の話がこの怪物の特徴をよく捉えていることについて感心した。
「オゴロロロロ!」
ウロコ駄犬が素早いスタートを切ったのは、両者の距離が10アーム(≒m)ほどになってからであった。意外と手堅い犬だ。
どうでも良いことかもしれないが、個人的にはトカゲの仲間ではないだろうかと思う。
「ヒェキェェェェ! キエェェケ! なんファ? なんんだこいつファ?」
どうやら恐怖心と闘争心のせめぎあいにより、呂律のおかしくなっているらしいハンポロ氏が、肉厚の武器を振り回しながらようやく戦い始めた。
私はと言えば相変わらず天井に貼り付いて、ハンポロ氏とウロコ駄犬のやり取りを観戦中である。
こんなことになると知っていれば、荷物は置いて来たかもしれない。でも照明器具も早いとこ持って帰りたいしなぁ……灯りって文明的な生活で一番大事だと思うのだ。
「ゲェエエ! ボホ……」
ん? ああ! ハンポロ氏が!!
ちょっと考え事をしているスキに、ハンポロ氏は首の右側をウロコ駄犬に噛まれて首が変な角度になっていた。
不味い……何となく彼は、私の様な存在に寛容なのではないだろうかと勝手に思い込んで付いてきてしまったが、あっさり死んでしまうとはどういう事であろうか。仕方がない!
「トウアァァァ!」
私は声を発しつつ、貼り付いている天井から剥がれ落ちた。実際には何か「ゴボボエァァァ」みたいに聞こえたので要訓練である。まだちゃんと発声出来ないのだ。
私は荷物を離れた路上に投げると、そのままウロコ駄犬の真上に落下した。犬はハンポロ氏を離したが、私は奴の両目を接触消化にかかった。狙いは当然ながら脳だ。
ウロコ駄犬は凄まじい勢いで暴れたのだが、私も数十日以上も粘塊生物として生き抜いてきた神の被造物である〔ネズミを食べながら割とウロウロしていた〕。そうそう簡単には剥がれたりしないのだ!
地道に脳と左半身を消化した結果、とうとうウロコ駄犬は痙攣して動かなくなった。これからこいつを全部消化しないとな。
それからはちょっと大変だった。ハンポロ氏はまだ少しの間だけ生きていた。
「ハンポロ氏、何か言い残すことはあるか?(ゴボゴボ)」
私は話しかけたが、実際には「バンボロジ、ダディガギーノゴッゴアジュジュ(ゴボゴボ)」みたいな発音になってしまい申し訳ない思いがしたものだ。
覆面を取られたハンポロ氏の顔は意外と端正だったし、彼は痙攣をより一層激しくして私の全身をなめ回すようにギョロギョロと見てから動かなくなった。
「ヒェ……か、神よ……」
それが最後の彼の言葉だった。
非常に残念ではあるが、亡くなってしまった者は生き返ったりはしない。地上において神の力の一端を行使する神官は別にしておくが、あいにくと近くに居ないものだから考えても仕方がない。
今頃は彼も神に愚痴を聞いてもらっているのだと思う。忠告だけでも出来たら良かったのだが間に合わなかった。
少々抵抗はあるが、ハンポロ氏の上半身と持ち物だけはもらっておくことにした。これも人間の言葉の修得の為だ。
ブーツと下半身はその場に残すことにした。私が人間の言葉を発したいばかりに、こんな風にしてしまって申し訳なく思うのだが、この下半身があれば身元の特定は可能であろう。……やっぱり身元の特定は難しいかもしれないが、その時は仕方がないと思ってもらう以外にない。
今日は照明のことは諦めて、私は新しい寝床へ帰ることにした。