第5話 下半身がモロ出しの男
ジャイナさん達が地下の入り口付近から奥へと姿を消した。
縦穴付近からは人が消えたようだ。大きくなってしまった私だが、元の状態にまで縮まる為に作業を続けることにする。
私はランタンに火を灯した。これは今は亡き清掃と修繕担当のオッサンである、サボール氏の荷物から拝借した物である。
正直に言えば、この灯りが一番にありがたかった。
サボール氏は極端に用心深いというか臆病な質らしく、このランタンのオイルとマッチを大量に背負い袋に詰め込んであった。
ただしこれも無くなってしまう物であるから、出来るだけ早く遠くの通路から例の光源不明の照明器具を盗んでくる予定である。
ちなみにサボール氏の荷物は他に、タガネとハンマー、バケツが2つ、セメントが少し、コテ、水の入った水筒が1つ、手拭いにしてるらしい乾いたボロ布が3枚、この下水路の地図と割と少なくまとまっていた。
最初に隠した布を取りに行く。ついでに扉から光が漏れてないか確認したところ問題無さそうだ。
表面は土のブロックが規則的に積み上がった模様を描いており、周囲と比べれば明らかに質感からして違うが「応急処置をしておきましたよ」という雰囲気が漂っており以前よりもずっとマシになっていた。良い仕事したよ……。
一旦落ち着いたので、体を元の大きさまで縮めるべく体内で布を作って、下の方からジャジャジャジャジャと吐き出してみた。
体は見る間に縮まってくれたし、10アーム(≒m)✕120ドーメン(≒㎝)の絹〔※〕のような質感の布が5枚出来た。伸縮性の方はかなり高い。高級下着などにどうだろうかという感じがする。
〔※昆虫が吐き出す糸で作った布をこう表現しています。植物線維性の物は綿と表記していきます。麻は後で出てくるかもしれません〕
これらは合わせて、木の棒に巻いておいて更にボロ布とサボール氏の着ていたコートで覆って5本は保管しておくことにする。
カニを消化した所為で、切断にまで使えるハサミを獲得することが出来た。ハサミの切れ味はそこまで無いが、汚れを落とした『木の棒』を削って比較的真っ直ぐにすることは出来た。
サボール氏のブーツとズボンはほとんど原型が残っておらず、頭に巻いた布とシャツはヤバい汚れ方だったので消化した。
正直なところ時間の感覚が麻痺してきているが、おそらく今はもう夜も相当に更けてきているだろう。
ジャイナさん達はまだ戻って来ないようだ。
目立たない様に体の大きさは戻したし、ありがたいことに地図も手に入ったから、今から地下の探検に出かけて来ようかと思う。
地図と空の水筒だけを背負い袋に入れて、それを持ったまま移動することは出来そうだな。
ついでだから、天井から外しても怒られない様な照明器具も探してこよう。
そっと扉を持ち上げて、隙間からニュルリと出るとまた扉を持ち上げて戻して置いた。下の方に引っ張るためのくぼみが作ってあり、そこを持って引っ張って嵌め込めば閉鎖は完了だ。
まずは照明の影になっている天井を這って移動する。そのままこの主要通路〔長さは何と1ザトー(≒㎞)ほどもあるのではないかと思われる〕から照明の無い分岐路に素早く折れる。
地図が手に入ったのはありがたい。更にこの都市が一体どこに位置するのかも把握は出来た。
ここはモットモーディカイ帝国のユータヤロガ辺境伯領にある『モッペンユーテクレーヘン』であると書いてある〔実際には更にそこの『都市設備管理機構』の発行物であることが記載されていた〕。
前世に貴族であった私の田舎の領地は、このモットモーディカイ帝国の東の国境に近かった。しかも国境は山脈であって普段は少数の蛮族しかやってこない。中央に省みられない田舎というヤツだ。
私が死んだのは、普段は少数しか来ない蛮族たちの珍しい大規模な侵攻でだった。
同じ国の違う場所に生まれ変わるとは思っていなかった。しかし人類の国家としては最大規模であるし、豊かで法治もほとんど行き届いているから商売はやり易い。
商人か職人か製造機械として生きるにしても、環境としてはおそらく最も良いのではないかと思われる。
モッペンユーテクレーヘンは、この帝国の南西部の国境に近接しており、貿易の中継拠点として栄える近代都市である。物は溢れ人も多く、本でしか読んだことが無いような珍しい品々もきっと豊富にあるだろう。
ここでどうやって生きるのかは、まだ定まらない。見せ物になるような事態は避けたい。かといっていつまでもここに居る様なことも願い下げではある。
しかし取りあえずは何とかなるかもしれないという希望は見えて来ている。実はサボール氏を消化してしまった結果、とうとう私は声が出せる様になったのだ。
ちょっと地獄めいてゴボゴボ聞こえるのが難点ではあるが、一応言葉をしゃべることが出来るのは大きい。
いつか何か良いアイデアがあれば、何かこう無理なく会話が出来るような素敵な案が浮かんだら、これ以上無いくらいに安全で相手が床に池を作らなくて済むような奇跡の閃きが訪れたなら、その時には意思の疎通を図ることが可能なのではないかと私はそう考えているのだ。
それならば私の作った織物を買ってくれる人だって現れるかもしれない。買い物だって出来るかもしれない。
前方からランタンの灯りが接近してきたのは、私がそんな未来のことについて思いを馳せている時だった。
その人物は、こんな時間に出会うということであれば間違いなく相応しかったし、こんな場所に居るという意味でも割と無理の無い装いの人物だった。
彼は妙にブヨブヨした顔をしていたが、これは仮面であるに違いないと思われる。厚みのある革製で縫い目が荒々しい物だったが、不思議と顔に馴染んだ作りをしていた。
服装は黒の防水ロングコートに防水ブーツであろう。ただし下半身はブーツだけで他は何も着ていなかった。上半身は体にピッタリしたシャツが一枚だが、おそらく匂いからして血液でべっとりと濡れている。
左手にランタンを持っており、右手には厚い刃を持つ肉切用の包丁にそっくりな武器を持っていた。
私が天井に貼り付いて観察したところでは、危険生物の駆除にやってくる狩人の中でも、かなり合理的な部類の人間に見えた。
まずはフード付きの防水コートに仮面。これは目潰し攻撃に対して有効な防御になる。実際にこの地下では、その手の嫌らしい手段を持つ捕食生物がいるらしい。
次に武器であるが、彼の持っている武器は片手武器の中でも大型生物に通用する重量を備え、しかも最初から抜いて構えているのは一人でこの手の仕事をする者に特有の用心であろう。
余計な荷物を持たない点も隙を少なくしている。血に濡れたシャツは、獲物を誘い出す為のエサの役割を兼ねているハズだ。
最後にむき出しの下半身であるが、これは恐怖に襲われて漏らしてしまうことが多いあの業界においていっそ清々しい対策であると言える。
ベテランでもだいたいにおいて、足元に池を作ってしまうのは日常茶飯事であるらしい。
防水ブーツで滑り止めをしつつ、ズボンとパンツはビチョビチョになるのが確定と来れば、思いきって何も履かないのが正解だ!
しかもこんな時間から狩りの為に地下に降りてくるとは……彼の獲物はよほどのヤツらしい。一般人はおろか清掃作業員ですら、この時間に地下に居るのは狂気の沙汰であると、オッサン連中が話しているのを聞いたことがある。
私は非常な興味を持って、眼下の彼をさらに観察することにした。