第12話 お嬢様は魔女になりたい③
注):今回もモレーナさんに焦点をあてた三人称視点のお話になります。次回から主人公視点に戻ります。
「モレーナ、お帰り。よく無事で帰って来てくれた。学校から苦情が山の様に来たが、お前が無事であるのなら何も言うまい……」
久しぶりに会うモレボー卿は、モレーナ嬢(17歳)には10年も老け込んで見えた。
モレーナ嬢としては、自分はそこまで素行不良な士官候補生では無かったと思っていた。2年目以降の彼女達は、戦術眼と要領のよさを身に付け、より狡猾に立ち回ったはずなのだ。
「お父様。御心配をおかけしました。このモレーナも今や騎士として働くことが出来ます。出来ればモッペンユーテクレーヘンが良いです」
「なん……だって?」
ここに来てモレボー卿は倒れた。原因は心労であるという医師の診断もあって大事には至らなかった。ただし、しばらくの間は呆然自失の状態であり、人払いをして更に3日間も寝込んでしまったのである。
モレーナ嬢は、それ以上の余計なことを何も言わなかった。その代わり自分で申し込みを行い、それが受諾されるや、寝込んだ父親を残してモッペンユーテクレーヘンに向かうことにしたのである。
「お嬢様、本当に良いのですか?」
フリーネ(19歳)は、人から心配されてばかりの主が何よりも大事だった。だから非常に不安なのだ。
モッペンユーテクレーヘンの騎士職とは、婦女子にとって捨てる物が多すぎる事で有名なのだ。
「大丈夫では無いかもしれないわ。でもそれは、士官学校に行くと決めた時に捨てたつもりの物なの。それにあなたはどうなの? フリーネ……私はあなたを縛り付けて来てしまったかもしれないわ」
モレーナ嬢(17歳)はしみじみと呟く様に言葉を口にした。
「そんな事ありません! 私もお供します!」
フリーネ(19歳)の唇は白くなっていたが、目の力は強くモレーナ嬢(17歳)を見つめている。
「ありがとう、フリーネ。本当に昔から甘えてばっかりだわ」
「お嬢様の身の回りのお世話ならお任せ下さい。それに縁談なら、お嬢様がご結婚されてからにいたします!」
「フフフフ、そんなこと言っていたらお婆ちゃんになってしまうわよ。この家はエルディが継いでくれるでしょう。そして私は、自分の夢を掴んで家とは関係無く生きたいの」
「お嬢様。前から不思議だったのですが、エルディ様のことはお嫌いなのですか?」
モレーナは、持っていたカバンから久しぶりにソレを取り出してフリーネに掲げてみせる。
『暗黒♡魔女入門(初級)』はモレーナにとっては希望だった。彼女は何があろうとも魔女になりたかったのだ。
モレーナが10歳のあの頃から、その決心を全く変えていないことにフリーネはようやく気がついた。
「私は姉が憎い。悔しいけれど姉は自由で、そして私の知らない力と世界に触れているわ。姉は両親に期待されて、そしてそれに答える為に帰ってくるでしょう」
モレーナは淡々とフリーネに語った。
「私の居場所はあそこには無いわ。私は実家の影響力が及ばない立場になりたい。魔女であるならばそれが叶うわ。自分の力だけで贅沢に生きることだって出来る」
そんな己の心情を吐露するモレーナ(17歳)に対して、フリーネ(19歳)は何と言って良いのか見当もつかなかった。
モッペンユーテクレーヘンという都市は、西方辺境に領地を持つ貴族によって共同統治されている。
ここでは各領地の産物の取り引きを行うと共に、大規模工事や大量輸送の為の人員もある程度は共用可能であり、銀行や各種ギルドに高等学校も集中出来るという利点も持っていた。
今や辺境と言えども、帝国の官僚と軍の目が行き届くが故に、貴族同士の領土争いなどはほとんど発生しない。
貴族同士がこのような交易都市を設けて活発に交流し、お互いが国内や外国と交易を通じて利益を出しながら、それぞれの家が上手く領地を豊かにしていた。
「お嬢様、今日は地下へは行かれないんですよね?」
フリーネとしては何もかもが手遅れなのだとしても、良家の女子があれな格好で仕事をするのにはかなりの抵抗があった。
「そうね。今日は地下で何か間違いが起きる可能性はないわ。街の中で起きるかもしれないけど……」
「そういうのは止めて下さいまし!」
「そうは言うけど、これは私の生涯の夢なの。私がどんな意味でも普通でなくなる為の。エルディとは方向が違うだけだわ」
『暗黒♡魔女入門(初級)』の5つ目の課題は『歴史ある神聖な場所にて、排せつ物を撒き散らし、多くの者に視姦されること』である。
モレーナは17歳で、この課題を楽々クリアしそして今も続けている。彼女はもう18歳になっていた。
つまり彼女は、課題を通常業務でクリアするためにこの都市に就職したのだ。
この都市の地下排水設備は、実際には何かもっと別の物ではないかと言われている。更に国内で最も古い遺跡であり、この地下に神殿があるという言い伝えがあった。
あの場所が不思議な力に満ちているのは間違いない。
そして彼女は、あえてアブノーマルな姿で仕事に臨み、大きい声では言えない物を床にぶちまけて来ているというわけだ。
不満があるとすれば、最近はネバつく様な視線が無くなってしまったことだった。
危険生物の駆除に率先して参加し、死ぬかもしれない現場の指揮を最前線で取り続けた結果、彼女は部下と同僚と街の人から絶大な支持を得てしまったのだ。
破廉恥な格好をするのも地下に潜るなら意味はある。
今やモレーナは、下半身ビチョビチョになって帰って来てもカッコいい女になってしまったのだった。
またモレーナは知らないことであるが、アブノーマルな趣味で名高い貴族サロンである『帝国紳士同盟』は彼女に対して非公式に『聖女認定資格』を発行した。
モレーナはほとんど諦めていた。自分は初級(暗黒)魔女になることすら叶わないのかと、この半年は密かに失意の中にいたのである。
だがそんな彼女に転機が訪れたのだ。
「見つけたかもしれない……」
最初に彼女が思ったのはそれだった。
巨大なヘビの討伐において、突如現れたカレは瞬く間にヘビを倒した。
ヘビの死体の解剖に際して担当者は首を捻っていたが、モレーナは黙っていたからバレてはいないだろう。彼女以外の誰にも見つからず、カレは移動することが出来るらしい。
彼女の勘が正しければ、カレは本部まで騎士達を護衛し、入り口の屋根からモレーナのことを見ていたのだと思われる。
「知性があるのかもしれない。あの生き物はたぶん雄だ。男なんだわ!」
『暗黒♡魔女入門(初級)』の最後の課題は『人では無い異形の者と交わり、出来ればその者を夫にすること』だった。




