黒い天使
「なんでそんな怪我してんだ?」
朝、一緒に登校するために駅で待ち合わせしていた風子の指、10本すべてに絆創膏がぐるぐる巻きに貼られていた。
「ちょっとね」
イシシ、と歯を見せて風子が笑う。
「なになに?おれに弁当でも作ってくれた?」
冗談まじりに期待を込めて訊いてみる。
「え?作ってないよ」
きょとんと目をまぁるくして風子が首をかしげた。
「じゃあなんだよその怪我」
おれはむっとして風子の手を取る。
「いや!」
反射的に風子はおれの手を振り払い、そのまま逃げてしまった。
「……なんだよ、おれ彼氏じゃないのかよ……」
まるで変質者扱いにぼうぜんとしていると、風子が逃げた後を追うように一羽のカラスが街路樹から飛び立った。
そのカラスを眺めながら、昔よく家の庭に来ていたカラスを思い出していた。
きょとんとした顔のカラスだった。
次の日、風子は手の甲にも絆創膏を貼っていた。
おれが問い詰めると風子はまたしても逃げた。
その次の日、風子は両足に包帯を巻いていた。
「風子、どうした?何があったの?」
いよいよ尋常ではなくなっている風子の肩をつかむと、まるで布団みたいなふわふわとした手応えだった。
「たろーくん、あたし、どうなるの?」
目に涙をなみなみと溜めた風子がおれにすがるように抱きついた。
「いつから?」
柔らか過ぎる風子の体をつぶさないように、そっと抱きしめる。
「わかんない、わかんない。気がついたら指が変になってて、そしたら黒いものがどんどん生えてきて、あたし、びょーきなの?」
「風子、とにかく今から病院行こう!」
「え、やだ!怖いよ!」
風子が逃げようとおれから離れようとするが、もう逃がさないと風子の手をしっかりつかむ。
「風子!大丈夫だから!」
「やだやだやだっ!」
つかんでいた風子の手がどんどん頼りなくなって、ついには細く硬い棒切れみたいになった。
「たろーくん!なにこれ!」
風子が自分の変わり果てた手を見て叫んだ。
駅で行き交う人々が何事か、と気にしながらも足は止めない。
「風子、風子、落ち着け、病院で診てもらおう」
おれは風子と目を合わせて自分自身も落ち着かせるためにできるだけゆっくり喋った。
「たろーくん、なんか、なんか、体がふわふわしてきた」
風子の制服が不自然にたなびいた。
「……たろーくん、あたし、分かったよ」
不意に風子が見たことのない表情で微笑む。
「あたし、思い出した」
風子の足の包帯が勝手にほどける。
風子の足はびっしりと黒い羽に覆われていた。
「あたし、たろーくんのことが好きなカラスだった。ひとりぼっちだったたろーくんのそばに行きたいから人間にしてくださいって、神様にお願いしたんだった」
「え?」
おれの脳裏にあのカラスが蘇る。
夜中まで誰も帰って来ない家で時折り庭に来ていたカラスに、孤独が少しまぎれていた。
きょとんとした表情のあのカラスに。
「たろーくん、だーい好き」
風子が満面の笑みを浮かべた瞬間、黒い羽が無数に制服から飛び出した。
「風子!」
おれの足元に風子が身につけていた制服が落ちて、そこに無数の黒い羽が降り注いでいた。
ある日突然現れた風子。
あっという間におれの心を奪った風子。
風子が居れば孤独なんか感じなかった。
手品みたいな出来事に駅の構内がざわめいていた。
おれは構わず風子が残していった制服と黒い羽を一つ拾いロータリーに出る。
曇り空を見上げると、一羽のカラスが飛び去るのが見えた。