世界の終わりと自動販売機
お小遣いを3ヶ月も貯めて、やっと模造百円玉が買えた。
飛びあがりそうなくらいうれしかったけれど、硬貨屋の前で飛び上がったりしたら、すぐにガキ大将の奴に見つかって模造百円玉をひったくられると思ったから、何でもないような顔をして、ポケットに手を突っ込み(もちろんポケットの中で、右手は力いっぱい硬貨を握りしめている)、ちょっとだけ早足で集落から離れていった。
地面はガラス片でキラキラと輝き、コンクリートや鉄骨の巨大な残骸がたくさん転がっている。むかしはものすごく沢山のひとが、何百メートルもあるような高い建物にぎっしり住んでいたらしいけど、本当なのかな。
でも、そんなむかしの話はどうでもいい。
ぼくが向かう先は……《自動販売機》だ。
ぼくが生まれるだいぶ前、おじいちゃんやおばあちゃんが子供の頃くらいに、世界は一回滅んだらしい。
戦争だったのか、災害だったのかは、よく知らない。おとなは「災厄」と言っている。そのとき、たくさんあった建物や電気やネット?(これはよくわからない)っていうものがほとんど使えなくなって、何十億の人間が死んでしまったんだって。億とか桁がおかしすぎるからちょっと盛ってるんじゃないかと思うんだけど。
とにかく世界は一回リセットされたらしい。
でも、何故だか《自動販売機》だけは残り続けた、のだそうだ。
廃墟になった地面に、赤や青の四角い機械の光だけが灯っていて、硬貨を入れてボタンを押すと商品が出てきた。大抵は缶やプラスチック容器に封入された飲み物だったけれど、場所によってはお菓子や食事、娯楽品などが出てくる機械もある。どこから商品や電力が補充されているのかもわからない。めちゃめちゃ頑丈で解体も爆破もできないらしい。
何が何だかわからないだろ? でも、そこにあるのだから、そういうものだと納得するしかない。
「災厄」のあと、わずかに生き残った人類は、《自動販売機》から出てくる飲み物を飲み、容器に使われている金属やプラスチック類を利用することで、最初の数年をどうにか生き延びたらしい。この辺は教科書にも出てくる有名な話だ。
そして、どうにか自給自足で生活できるようになってからも《自動販売機》はあり続けた。朽ちたり錆びたりもせず、今でも赤や青の光を放ち、硬貨を入れれば商品が出る。商品が尽きることはなかったのだけれど、投入する硬貨はだんだん減ってきた。百円玉の価値は爆上がりして、よくできた模造硬貨も流通し始めた。
ぼくが買ったのは模造だ。たまに百円玉と認識されずに商品を買えないことがあるから、お小遣い三か月分をつぎ込むのはちょっとした賭けでもある。もしもハズレだったらどうしよう、と思うといやな汗がでてくる。こんなことなら素直に、集落の雑貨屋でお菓子を買ってれば良かったんじゃないか。水飴なら十本分だし、砂糖入りの煎餅なら二十枚買えたはずだ、なんてついつい換算してしまう。
でも、それでもぼくは《自動販売機》の魅力には逆らえない。
ガラス片の地面を踏み越えて、草がぼうぼうの空き地の横、昔はきっと機関車が走っていたのであろう太い線路のすぐ横に、《自動販売機》は今日もちゃんとあった。
大人の背丈よりもすこし高いくらいの、赤い金属の箱。四角い透明な窓が付いていて、窓の中にはたくさんの、いろんな色の飲み物の容器の見本が飾られている。見本の下にボタンがあって、そこを押すと同じ商品が下の穴から出てくるという仕組みだ。
でもまずは硬貨だ。
ぼくはドキドキしながら、模造百円玉を所定の小さな穴に滑り込ませた。きちんと認識されれば、ボタンの部分がオレンジ色に光りだすのだけれど、もし失敗したら、硬貨はそのまま横の穴から返却されてしまう。この瞬間に全てが決まる。どうか頼む……!
……ぴっ。
小さな機械音がして、ボタンにオレンジの光が灯った。成功だ! ぼくは飛び上がってガッツポーズをした。ここには今だれもいないんだから、ちょっとくらい子供じみたはしゃぎ方をしたって許されるだろう。
さて。次は何を選ぶかだ。
飲み物は三十種類くらいあるのだけれど、百円玉一枚だと、いちばん下に飾られている、金属の缶に入った小さめの飲み物しか選べない。上の段に飾ってある大きな黒と緑の缶や、プラスチックの透明容器に入った黒い飲み物なんかは、百円玉に加えて十円玉ってやつも何枚か必要なのだ。そこまで貯める根性はぼくにはなかった。
選べる飲み物は、茶色の缶が数種類。黒っぽい茶色からほとんど白っぽい茶色まで並んでいて、黒いのは苦くて白いのは甘い。ボタンの枠が赤いやつは熱い飲み物、青いやつは冷たい飲み物が出てくる。
今日は暑いから、温度は冷たいほうで決定だ。前に来たときは真ん中あたりの色のやつを選んだので、今回は真っ黒か真っ白かのどちらかにしようと思う。味は甘いほうがいいんだけど、缶の模様は黒いやつの方が断然カッコいいので、ぼくはギリギリまで迷った。結局決めかねて、目をつぶって白のボタンと黒のボタンを同時に押した。
がこん。
落下音がした。
下の穴に手を突っ込むと、冬に氷を触った時のようなひんやりした感触。取り出すと、缶の色は白だった。何だかんだで「苦かったらいやだな」って内心思っていたので、ぼくは少しほっとした。
空き地に転がっている、四角い石に腰かけて、ぼくは缶のふたを開けた。慣れれば簡単に開くんだけれど、最初に来たときはどうやって飲めばいいのか本当に迷ったよなあ、なんて思い出して少し笑える。
缶の中から、香ばしいような甘ったるいような不思議なにおいがする。
集落にはないにおい、どこか遠くの国の……遠くの世界のにおい。
目を閉じて、ひとくち飲むと、甘さが口いっぱいに広がった。
水飴とは違う、頭をぶん殴るみたいな力強い甘さだ。その向こうに、牛の乳の味や、何かを煎った時のような風味。遠い。そう、これはとても遠い味だ。
ぼくの知らないもの。みたことのない世界。
風が吹く。遠くを見渡す。もう何の役にも立っていない鉄塔のオレンジと白。
ああ。行きたいな。いつかそこへ。
缶の中身には毒が含まれているから飲んだら駄目だ、っていう大人もいる。
何しろ正体不明の機械だ。実は何者かの陰謀で設置された罠だって説もある。
たとえそれが本当だとしても、ぼくはこれからもお小遣いをためてこの飲み物を飲むだろうと思った。
どうせ一度こわれた世界なんだから。
中身を飲み終わった缶を、《自動販売機》横の回収ボックスに入れる。
からん。
空っぽの音がした。
ぼくは空を見上げる。遠くの空。
いつかぼくが大人になったら、もっと遠くへ行けるんだろうか。
……大人になんて、なれるんだろうか。
先のことはちっともわからないのに、意外と不安ってわけでもなかった。
――さて、またお小遣いを貯めなくちゃ。