示す力
神では無く、人の手によって創り出された〝魔王〟は、魔王城の玉座から立ち上がり、城を訪れた二人の客人を見下ろしていた。
「一人ずつでも、二人同時でも、一向に構わんぞ。こちらは初めての戦闘で、手加減は全くできんがな」
戦ったことがないにも関わらず、その自信に満ちた言葉は、聞いた者に否応無しに尋常ならざるプレッシャーを与える。
「随分と舐められたもんだな」
「彌太郎君の台詞が、恐ろしく三下が言いそうなテンプレになっているぞ」
「何で仲間から、ヘイトを溜めようとするんだよ」
エヴァの言葉に、苛ついた言葉を吐く彌太郎は、魔王ルシフェルを前にして特別気負っている様子は見られなかった。そしてそれは、エヴァも同様であった。
「見事な自然体ではあるが、そのまま始めても良いのか? 我は、徐々に強さを増していくなどと、面倒な事をするつもりはないぞ」
ルシフェルは、彌太郎とエヴァに対して、暗に始めから本気を出せと要求していた。
さもなければ、一瞬で死ぬぞと。
「だとさ。あんたは、どうする……って、やる気満々かよ」
ルシフェルの豪気な要求に対して、あまり乗り気でない彌太郎に対して、エヴァは流れに身を任せるかの如く、ルシフェルの要求に応えようとしていた。
「〝清らかな魂よ 力を求める魂よ 狂り狂りと渦巻いて 確かな抱擁と愛を与えよ〟【聖女と魔女の抱擁】」
エヴァは、この詠唱を唱える時のみ、必ず喪った親友の事を頭に想い浮かべる。
そして、そこには確かな親愛があった。
だからこそ彼女は、〝聖女〟と〝魔女〟という相反する存在の力を扱うことが出来た。更に、双方の力を循環することで、自らの体内に【魔力永久機関】を創り出すことに成功していた。
結果として、彼女はこの世界で唯一、世界の理が改変される前から、魔力に枯渇するという問題を解決していたのだ。
「さぁ、私も準備は万端だ」
微塵も不安を感じさせない表情は、清々しいまでに晴れやかで美しかった。その姿に、彌太郎は唖然とし、ルシフェルまでもが目を見開き、エヴァを凝視する他なかった。
エヴァ=コールマン、米国人、見た目の年齢は二十歳程度。そして異世界『アドネミア』より、記憶と力を失わずに帰還した世界で唯一の帰還者。
彼女が異世界へと召喚されたのは、十七歳の時だった。そして、同時に召喚されたのが、漣 礼侍と名乗った日本人だった。
彼らを召喚した世界は、魔神とそれが生み出す魔王に滅ぼされかけていた。そこで女神アドネミアが、自らの名を冠する世界を救済する為に、異世界より救世主を召喚する術を授けた。
そして召喚国の王女にして【聖女】シェリーの祈りにより発動した召喚術により、エヴァと礼侍が召喚されたのだ。
この時より、礼侍、エヴァ、シェリーの魔王討伐、そして魔神を滅ぼす旅が始まった。
礼侍とエヴァは、召喚時には敵と戦った経験も魔力も扱ったことがなかったが、度重なる死線を潜り抜け、魔神と退治する頃には、神話級職である【真なる勇者】と【始祖たる魔女】を得るまでに至っていた。
そして過酷な旅を共にする三人の絆は、この時は切れることのないものだと全員が感じており、特に女同士であるエヴァとシェリーは、互いに無二の親友と言って良い仲となっていた。
聖女シェリーと魔女エヴァ。
得意な属性魔法も性格も正反対の様な二人だったが、それが何故か二人にとって互いの欠けている部分を補うように、ぴたりと噛み合った。
だからこそ、天真爛漫で感情を隠すことなく表現するシェリーが礼侍に抱いた恋心を、エヴァが応援しない筈などなかった。本当に純粋に、彼女の気持ちをエヴァは大切にし応援した。
そして、礼侍もまたその気持ちを受け取った。
恋仲となった二人に対し、エヴァは心から祝福した筈だった。
彼女の瞳から流れる涙の理由に気が付いたのは、それから暫くたった後だった。
それは、シェリーが魔神との戦闘において、手の施しようのない傷を負った時だった。
“エヴァ……自分の気持ち……認めてあげて……レイジのこと……お願い……ね……私は……二人を……愛してるわ……受け取って……最愛へ祝福を”
そして【聖女】シェリーは、最後の言葉をエヴァに遺し、命を散らした。
彼女の身体は、命が尽きると同時に光の雫となり、魔神の神核と融合状態にあった礼侍と、彼女を抱きしめていたエヴァの身体を包み込み、そして吸収されていった。
聖女シェリーの加護は、礼侍とエヴァを繋いでいる。
魔神の神核と融合し〝人〟でなくなった礼侍を〝救う〟為に、魔女は今も尚、聖女の力と共に礼侍を殺すべく力を付けている。
「認識を改めよう。貴公は、本当に人間か?」
「まさか、魔王にそんな事を問われるとはね。中々に、ウィットに飛んだジョークだな」
「いやいや、魔王じゃなくても、わりと本気でそれ思うわ。それ、あり得ないだろ」
聖なる魔力と禍々しき魔力が、反発するわけでもなく、むしろ互いを高め合う様子に、彌太郎もルシフェルも、驚きを通り越して最早引いていた。
彌太郎の異世界での経験、ルシフェルの贄となった千人以上の記憶を元にしても、目の前の現象はあり得ない事だった。
「彌太郎君、まさか君はそのままという事はないのだろう? 流石に、それではこの場にいるだけで蒸発しかねないのだが?」
見下すような目で挑発するエヴァだが、事実間違いではなかった。【魔王】ルシフェルと【始祖たる魔女】エヴァの戦闘に巻き込まれる事は、力無き者にとっての末路は死以外はありはしなかった。
そして、単なる緋色の瞳を発動させただけの彌太郎は、この場においては〝弱き者〟であった。そして、彌太郎の見立てでは、『宿り木』東京支部の屋上で、ルーカとの戦闘時に見せた青色の眼でも、このままでは対抗出来ないと考えていた。
今のままでは、さらに上の銀色の眼でないと対抗出来なさそうであったが、エヴァを完全に信頼出来ない状況では、発動停止後の欠損部位回復を信頼出来ない相手には、それは任せられなかった。
詠唱後のある事が嫌いな彌太郎だったが、嘆息を吐くと腹を括った。
そして大炎の炎で焼かれていない、もう片方の腕で首を掴むと、短く詠唱した。
「〝包め 焼け 紅蓮の蟲よ 喰らい 侵蝕せよ〟」
詠唱が終わると共に、彌太郎の首からに向かって、何かが蠢くように広がっていくと、それは小さな蟲だった。
そしてその蟲は、紅く燃える焔そのものであり、首から下の彌太郎の皮膚の身を焦がし始めた。
皮膚が焼ける臭いがきつくなると同時に、彌太郎の瞳は緋色から青色へと変わり始めた。そして火傷の痛みに顔を歪ませながらも、その口は大きく開き、息を吸い込んだ。
意を決して、元の世界で初めて彌太郎は、〝固有スキル〟を自ら発動するのだった。
「〝身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ〟」
もし、この場にルーカが居たら、彼は苦笑したことだろう。何故なら、今の彌太郎と屋上でルーカと戦った時の彌太郎は、全てにおいて異なっていたからだった。
青色と呼ぶより天色と呼ぶに相応しい、そんな晴天の透き通る空のような鮮やかな青色の瞳であり、その色はどこか人を惑わす魅力を持っていた。
「美しい……」
その瞳は、魔王ルシフェルですら、そう呟く程であり、そして纏う魔力もまた瞳と同じ色であった。正に、晴天の空がそこにあるかの様に、油断すると天色の魔力に吸い込まれてしまいそうな、底の知れない深さを感じる程であった。
「ふふ……はは……あははははははは!」
彌太郎の変化に思わず魅入っていたエヴァとルシフェルを、完全に嘲笑うかのような笑い声が、静寂を嫌うかの如く、魔王城の中心である玉座の間に響き渡った。
ただただ声を上げて笑っているだけであるのにも関わらず、この笑い声からは先程の彌太郎からは感じ取れなかったであろう傲慢さや、他人を嘲笑う不遜さが、全面に出ていた。
「やっぱり〝力〟とは、酔ってこそ楽しいよなぁあ!」
「がっ!?」
爽やかな天色の瞳と魔力とは裏腹に、獰猛に嗤う彌太郎の右足が玉座の間の床を陥没させるほどの踏み込みを見せると同時に、ルシフェルは仁王立ちしていた場所から後方へと吹き飛ばされた。
先程まで座っていた玉座をその身で砕き、それでも彌太郎に殴られた衝撃は収まることはなく、そのまま玉座の間の壁をぶち抜いて、魔王城の外へとルシフェルは吹き飛ばされた。
「いいねぇ! いいねぇ! 今ので粉微塵にならなかったお前は、そこそこの魔王だぁあ!」
魔王城へと吹き飛ばしたルシフェルを、嬉々として追いかける彌太郎は、最早同一人物とは思えない程に、口角が三日月のように吊り上げながら、態とらしく自分も壁をぶち抜いて、場外へと飛び出す為に踏み込む足に力を込めた。
そして飛び出す直前に、エヴァに顔を向けた。
「次は、あんただぁああ!」
そして、無駄に派手に魔王城の壁をぶち抜いて、場外へと飛び出した。
「次は、私か……くくく……あっはっはっはっは! 何だアレは! 面白すぎるだろう!」
一人残された魔王城の玉座の間で、エヴァは大笑いしていた。ここまで彼女が感情を露わにするのは、非常に珍しかった。
魔王城の外からは、空いた壁穴から城外の戦闘音や、無駄に叫ぶ彌太郎の声と、ノリを合わせているのか元々そういう性格なのか、ルシフェルの咆哮も聞こえ、聞く者の心の平常心を削り取った。
しかしエヴァには、二人がとても楽しそうに遊んでいる様に聞こえていた。
「国会議事堂で見た彌太郎君の瞳の色は、赤でも青でもなかったな。そして、スキル詠唱をしたからこうなったと言うのなら、あの時の魔力が彼の上限ではないと言うこと」
エヴァは、腰に片手を当てながら、自然と緩む口元を手で押さえた。
“身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ”
「おそらくは自身のダメージに対して常時発動するタイプだろうが、更に先程の詠唱により完全発動すると言ったスキルなのだろうか。あの言動の変化は、詠唱によるスキルの完全発動の為と考えるのが自然そうだな」
特にその場から動く様子もなく、エヴァは先程の彌太郎の状態について、努めて冷静に分析していた。
彌太郎を拾う時に感じた“レイジの命に届く”と感じた直感は正しいと、エヴァは改めて確信していた。
しかし、魔王城の外の様子を魔力感知で察するに、彌太郎とルシフェルは互角だと思われる攻防であると認識していた。
「僅かに彌太郎君が、魔王を押している感じか。しかし、解せんな。おそらく彌太郎君の力は、まだ上がある筈だが……成る程、私を信用していないのだな」
瞳を閉じ、彌太郎との【主従の契り】の楔がまだ外れていない事を確認し、更にはその繫りを利用し、彌太郎の心理を主人たる自分へと流れるように仕向けると、そこには彌太郎のエヴァへの懐疑心が読み取れた。
「あれ以上のダメージとなると、自身の持つ回復術では発動を止める事が出来ないとか、そんなオチだろうか。何にせよ、アレより上があると言うことが分かっただけで、呼び出して魔王に会いに来て正解だったな」
相変わらず激しい戦闘を思わせる衝突音と衝撃波で、魔王城が揺れる中、優雅に歩き出した魔女は、魔王が開けた穴も通らず、彌太郎が開けた穴も通らず、そのままの壁に向かって一直線に歩き続けた。
そしてそのまま壁の中へと、まるで溶け込むように入り込んでいき、何も前にないかのように歩み続けた。
しかし、壁にはしっかりと彼女が通った跡が残されており、よく見るとその断片は、削り取られたかの様に、綺麗な断片だった。
「礼侍、これはお前の筋書き通りなのか? いや……アレにはもう、世界を混沌に帰す過程を楽しむことしか、ありはしないのだろうな」
魔王城の壁から城外へと歩み出たエヴァは、魔王城の周辺を更地にする勢いで暴れている二人を眺めながら呟いた。
魔神と融合した礼侍と共に、この世界に帰ってきてからの百年という歳月は、彼女に彼を殺す覚悟を決めさせるには、十分な時間だった。
しかしである。
心の何処かでは、自身に【聖女】の力が宿った奇跡の様に、礼侍にも〝聖女の加護〟が奇跡を起こしている可能性を捨てきれないで、今まで生きてきた。
「まぁ、いいさ。世界がどうなろうと、私はシェリーとの約束を果たすだけなのだから」
〝レイジのこと……お願い……ね〟
「あぁ、シェリー。必ず、礼侍を救ってみせるよ」
その言葉とともに、エヴァは風を纏い、烈火の如く闘う二人の遥か上空へと、昇って行ったのだった。





