英雄達
美しき摩天楼も、テレビ中継で何度も見たことがある有名な観光地も、全てと言って良いほどに、それまでの物陰を失っていた。
破壊され、物言わぬ亡骸が散乱し、今も聞こえる銃撃音。これは、先日起きたテロの比では無い程の、現世に現れた悪夢だった。
そして最大の悪夢は、世界中から観光客が訪れる都市型公園に、忽然と出現した“城”であった。
多くの人は、その城を見た時に感じるだろう。
闇より黒い漆黒の城。
漂う黒い霧は、見るものの心に不安と恐怖を与え、日の光さえも吸い取り、その城を中心に空の青さを奪っていく。
そして黒い霧は、生きる者、死した者、そして大地さえも蝕む。
「魔素が存在するということは、瘴気もあってもおかしくないということなのだろうが、気に食わんな」
崩れる摩天楼をも見下ろすような高さに、自身を浮かせているエヴァ・コールマンは、ぞっとするような冷たい瞳を、その城へと向けていた。
「差し詰め〝魔王城〟という事なのだろうが……レイジ、君はこの世界を〝あの世界〟にするつもりなのだな」
怒り、悲しみ、愛情、それらが混じり合う声は、誰に聞かせるつもりで呟いた訳ではなかった。
「遠い目しながら、意味深に呟いてないで、この状況を説明してくれよ。それに、この荷物扱いは酷すぎるだろ」
まるで荷物かの様な扱いで、宙に吊るされている格好になっている時雨 彌太郎は、半眼で自身の主人であるエヴァを睨んでいた。
「そんな売られていく子牛のような目を、主人たる私に向けないでくれるかな。まるで私が、自分の式鬼に対して、ぞんざいな扱いをしているみたいで、心が痛むじゃないか」
「心を痛めている奴は、少なくとも目線の一つぐらい、こっちに向けるもんなんだよ。ったく……で、いつからこの世界は、魔法だけじゃなくて、〝魔王〟まで存在する世界になったんだよ」
「今さっきだな」
「嫌だなぁ、このパターン。すげぇ、既視感」
相変わらず、肝を冷やす程の高さの空中に宙吊りにさせられている彌太郎は、渋面で嘆息を吐いた。
自身の状況的には、エヴァの指先一つで数百メートルの落下を味わうと言うのに、不思議とエヴァに殺される気が、彌太郎はしなかった。
それがとても癪に障っていたが、これもエヴァを自身の主人と契約上認識させられている証だと思うと、ますます苦虫を噛み潰したような表情を作るのだった。
「そんなことよりもだ。君はアレが〝魔王城〟だと、すぐに分かったのか? 彌太郎君は、とても〝勇者〟とは思えないような、モブっぷりだなと思っているのだが」
「一瞥もくれずに煽ってくるなよ。勇者じゃなくたって、あんなもの目の前に見せられたら、異世界で魔王と戦った事ありゃ、誰でも分かるだろ。それより、突然足元に召喚陣が現れて、ここに拉致られた説明を早くしてくれよ」
「ふむ……確かに、その目で見たことがある者は、目の前まで来れば〝勇者〟でなくとも、あの異様さは感じられるのだな。それだと、帰還者以外は、アレを脅威だと感じるのは、見ただけでは難しいかもだろうな」
「おい、人の文句にも耳を傾けろ」
今の彌太郎は、尾藤 彩菜と華の二人の護衛依頼の為、地道 大炎と一戦交え、結果として右腕を炎に焼かれていたままであった。
そして、大炎が地道 華のアパート前から撤退する際に放った炎により、その後始末に一月が対応し、いざ一息付こうとしたとこで、エヴァに召喚されてしまったのだった。
右腕の火傷に脂汗が額に浮かぶ彌太郎だったが、この程度の傷の具合には慣れている為、そこまで気にはしていなかった。しかしだからといって、放っておいて良い程の軽症では決してないのだが、ここでエヴァに腕を回復させると、緋色の瞳の発現も止まる為に、〝魔王城〟を前にして、それは出来なかった。
そんな時、二人の上空を戦闘機が隊列を組んで飛び、そのまま魔王城に向かってミサイルを躊躇なく放った。
「凄えな、あんたの国は映画の中だけじゃなく、現実でも結構ぶっ飛んでんな。しかし、まぁ……意味はないだろうけど」
高みの見物といった様相で、空軍が行った爆撃を見て呟く彌太郎に対し、エヴァは黙ってその様子を観ていた。
日本ほどではないが、この国の政府側にも帰還者がいることを知っているエヴァは、何故に無駄な命を散らせるのかと、怪訝な症状を見せる。
それを証拠に、エヴァがそのような考えをした直後には、魔王城に爆撃しようとした戦闘機が、魔王城から放たれた一筋の光に撃たれ、五機の編隊が瞬時に爆散していた。
エヴァは胸元から携帯を取り出すと、ギルド本部へと繋げると、他の場所にも魔王が出現していないかを尋ねた。
結果としては、西海岸側にも同じ様な現象が起きており、そちらでは既にこの国唯一の政府所属帰還者が大規模戦闘を始めていると判明した。
「それなら、こちらは〝不可視の英雄達〟が対処すると言うことなのだろうが……彼らでは、少し荷が重いだろうな」
特殊機関【不可視の英雄達】は、日本の〝八咫烏〟にあたる組織であった。
「お、あれは能力者の隊か? ただ、あれぐらいだと、キツくないか?」
彌太郎の目が捉えたのは、五人の魔力を帯びた軍人と思われる小隊が、魔王城へと接近していた。
「そうだろうな。あれぐらいの魔鎧強度では、瘴気の毒気に侵食されるだろう。あの小隊に、〝勇者〟か〝聖女〟でも居れば、問題ないだろうが、おそらくそんな希少な固有能力持ちは、偵察隊にはいないだろうな」
「ようやく、言葉のキャッチボールをしてくれたな。それで俺たちは、ここであいつらが死ぬのを見学か? それとも、さっそうと危機に助けに入るのか?」
彌太郎の緋色の瞳は、数百メートル先の小隊をしっかりと捉え、更には身体を覆う魔力をも視ていた。そしてそれらが、魔王城から漏れ出す瘴気に少しずつ侵食されていく様子もまた確認していた。
「私は、全方位に喧嘩を売っているという話は、既にした筈だが覚えていないのかな?」
「ようやくこっち向いたと思ったら、その腹立つ笑顔をやめろ。だったら、何で俺を呼び寄せたんだよ。こっちはこっちで、色々あって忙しいんだよ。それに何もしないなら、俺を日本に返せ」
「君は、〝魔王〟に興味がないのか?」
「なんだよ、その信じられないものを見る目は。あんたが転移した異世界がどんなとこか知らないが、俺のとこは魔王なんざ特段珍しくもなかったんだよ」
「魔王のバーゲンセールだな、とでも言って欲しいのかい?」
「いやいや、何一人でウケてんだよ」
エヴァが、自分の言葉に笑っている姿に呆れながらも、彌太郎の言葉は真実であった。
異世界『アレルガード』は、魔王の上位存在に〝魔神〟がおり、魔王を創造する力を持っていた。そして対抗するように女神は、勇者を生み出す力を持っていた。その為、途方もない年月を〝魔王〟と〝勇者〟は、互いの神の代理として、苛烈な戦争を繰り返していた。
互いに拮抗する勢力だったが、女神が魔神の策略により次元の狭間に封印されると状況が一変してしまう。
女神が勇者を生み出すことが出来なくなり、魔王のみが創造されるようになると、世界は崩壊の危機となってしまった。
そこで、女神が異世界から〝勇者に値する人物〟を召喚する術に手を出した。別の世界の者を召喚することは、非常に危険な行為でったが、何にせよ何もしなければ、滅びを待つのみであり、一刻の猶予もありはしなかった。
その結果として、時雨 彌太郎は異世界へと召喚され、他の二人とともに元の世界に還るために魔神を討つこととなったのだ。その道中において、魔王とも戦うことは珍しくなかったが、生き残っていた〝勇者〟とも協力して討伐した経験をしていた。
その際に、彌太郎は〝魔王〟と〝勇者〟の関係性を知ることになった。
〝魔王〟は〝勇者〟を感じることが出来る。
〝勇者〟は〝魔王〟を感じる事が出来る。
そして互いが、〝天敵〟なのである。
「だから、俺はさっさと戻って依頼の続きをするから、日本に送り返してくれ」
「何故、送り返せると思っているのかな?」
「……はい?」
「召喚出来たとしても、送還できるとは限らんだろう。アレは、何処にいても主人の元へ〝呼び出す〟為の術なのだよ。主人の用事が済んだ後は、当然自分で何とかしなければ、立派な式鬼とは言えないな」
この物言いには、流石の彌太郎も口をぱくぱくしながら目を見開き、驚愕の表情のまま絶句していた。
「おやおや、酸素でも足りていない金魚の真似かい?」
「ふ……ふ……ふざけるなぁあ!?」
「別に構わないだろう? 言葉は、帰還者のチートの一つである【言語理解】を持っているのだから、困ることなどないと思うが? まぁ、そんな些細な事はどうでも良くてだな。今から魔王の顔を拝みに行くのだから、私のギルドの幹部として舐められるんじゃないぞ」
「はぁ!? ちょっ!? 本気で言ってぇえああぁ落ちるぅうぅうう!?」
彌太郎の絶叫と共に、数百メートルの高さから自由落下する二人だった。
グレイシス・シモンズは、瓦礫の山と化していた馴染みある道路を進んでいた。
この国の特務機関『不可視の英雄達』のアルファ隊の隊長として、突如として母国を不安に陥れている目の前の城へと先遣隊として、調査任務を遂行中だった。
いつもなら、楽しげに賑わう道路には、黒煙と無惨な亡骸と、異形のモンスター達が闊歩する有様であった。そして漂う黒い霧は、この地に降り注ぐはずの日の光をカーテンの様に遮っていた。
「いつからうちの国の観光名所は、地獄になっちまったんだよ」
顔に装着しているマスクの為に、表情は外から見ないが、そのマスクの下にある顔ははっきりと渋面を作っていた。
魔導式自動小銃を構えながら、足に力を込めると、グレイシスはおよそ人間の速度とは思えない速さで道路を駆け抜け、路地の影へと移動してみせた。
見た目こそ通常の特殊部隊の装備をしているが、その一つ一つは、魔力を元に作動する魔導装備であり、魔力を扱える彼ら〝不可視の英雄達〟専用装備であった。
隊長のグレイシスが、先程までいた物陰に向かって手招きをすると、同じように四人の隊員がグレイシスと同じ速度で道路を駆け抜けた。
異形のモンスター達を避けながら、確実に出現した〝城〟へと着実に進むアルファ隊は、進めば進む程に濃くなる黒い霧に苦しめられていた。
視界は暗くなり、心なしか身体が重くなっている感覚を、五人全員が感じていた。
惜しむらくは、彼らにとって、瘴気という存在が未知のものであったことだろう。
魔素が多量に存在する世界を経験した帰還者が、隊の中に居たのなら、きっと彼等はこんな瘴気が濃いところまで、深入りしなかった筈なのだ。
現に、西海岸に現れたもう一つの魔王城に向かった〝将軍〟は、瘴気を視認すると即座に、瘴気が届かない場所まで、味方の陣営を撤退させていた。同時に、グレイシスの部隊へも瘴気に関する情報を共有しようと連絡を取ったのだ。
しかし、アルファ隊に〝瘴気の危険性〟が伝わることはなかった。
瘴気は、既存の通信機器に障害をもたらし、この場に後方の作戦本部に待機しているベータ隊とガンマ隊との連絡が途絶えていたのだ。
普段のグレイシスであれば、定時的に入る本部からの連絡が無線に入らない時点で、何かがおかしいと考え、長年の第一線での経験から〝嫌な予感〟が働き、一度撤退を選ぶということもあったに違いない。
しかし、彼は大事な部下を引き連れて、更に瘴気の濃くなる奥へと歩を進めていた。
瘴気は、人の心を惑わす。
瘴気は、生きとし生ける者の死を冒涜する。
瘴気は、身体を徐々に侵蝕する。
そして、目にする光景は、更に彼等の精神を蝕む。
「おいおい……そんなのは、映画やゲームだけにしてくれよ」
グレイシスが思わず呟かずにはいられなかった光景が、目の前に広がっていた。一目見て死亡していると断言できるような身体の状態の人間が、ふらふらと徘徊していたのだ。
異形のモンスターがいるだけでなく、彼等の目に飛び込んできたのは所謂〝ウォーキングデッド〟であった。
異形のモンスターでさえ、恐怖の対象であるのにも関わらず、動く死体など常識の範疇を完全に超える事であった。そして、この世界において現実にこの状況を経験したことがあるものなど、ほんの一握りだけあり、彼等はその“一握り”ではなかった。
「うわぁあああぁあ!?」
「どうした!?」
目の前に意識を集中していたところに、背後から隊員の悲鳴が聞こえ振り返ったグレイシスは、任務中であるにも関わらず、思わず神に祈った。
隊員二人の身体に黒い霧が異常なほど纏わり付き、額から飛び出した角によってマスクが外れ、露わになった顔は、それはもう人間の顔ではなかった。
〝鬼〟
そう呼んで差し支えがない存在が、アルファ隊の隊服を着ていた。そして、家族と同然である筈の仲間の腹を腕で貫き、嗤っていたのだ。
鬼と化した二人の隊員が、それぞれに一人ずつの他の隊員を腕に串刺しにしながら、グレイシスをみている。先程叫び声を上げた隊員は、その腹に味方だった者の腕が刺さったまま、恐怖の表情のままに絶命していた。
グレイシスは取り乱しそうになる自身の心を制し、断腸の思いでその場から即座に撤退するべく動こうとした。しかし、次の瞬間に彼は足を止めた。そう、それだけは自分の目の前で許すわけにはいかなかった。
「やめろぉおおお!」
鬼と化した隊員が、腕に刺さっている絶命した隊員の頭に向かって、異常なほど大きく口を開けたのだ。
理性では、こうなる可能性も考えたが、その光景を見せられては、彼の選択肢から〝帰還〟という文字が消え失せ、彼等を〝救う〟という事しか浮かばなかった。
「〝我が心よ 魂の器である肉体よ 思うがままに駆けよ〟【SPEED】!」
詠唱終えると同時に、腰からナイフを抜くと、踏み込んだ右脚に魔力を込めると、全力で地面を蹴り出した。
「アぁ?」
理性も何も残ってないように見える元部下の、両腕を瞬時に斬り落とすと、鬼と成り果てた元部下は何が起きたか分からなさそうに、間抜けな声を漏らしながら無くなった腕を見ていた。
そして何が起きたのかを把握し、痛みに襲われると大気が震えるほどの絶叫を上げたのだった。
結果、周囲の蘇り死骸達、異形のモンスター達に気づかれることになる。
「絶体絶命か……」
自身の固有スキルである【SPEED】により、およそ人間の限界を超えた速度で動き回るグレイシスは、斬り捨ててもすぐさま湧いてくるモンスターや蘇った死骸を、乾いた笑みを浮かべながら、そんなことを呟いた。
元部下の鬼は、両腕を無くした痛みや喪失感を怒りにかえ、まさに鬼の形相でグレイシスに向かってくる。
「俺に構わず先に行けと……お前達に言いたかったんだぞ、俺は」
大きく開いた口で血に飢えた鬼が、自身を食い殺そうと迫ってくる中で、やけにゆっくりと、そして寂しそうなグレイシスの声が鬼の耳に届いた。
鬼達の瞳から涙が浮かぶも、その勢いは止まることはなかった。
そして、鬼の首は、一閃の元に斬り飛ばされたのだった。
「先に逝けだなんて、言ってねぇんだよ……」
嘆息を吐くと、グレイシスは寂しそうに呟き、片膝をついた。
「もっと早く気付くべきだったな……黒い霧が原因なのを」
外傷など受けていない筈のグレイシスだったが、片膝をつくほどに足腰に力が入らなくなっていた。その上、身体の至る所から部下達と同じ様に、黒い霧が文字通りに滲み出ていた。
グレイシスは、帰りたいと願った。
一刻の早く、自分達に何が起きたのかを知らせなければならないと、心の底から思ったのだ。
だから、彼の足は遂に魔王城へは向かわずに、作戦本部に向かって動き出したのだ。
力強く、一歩一歩走る速度を増して。
これまでに自分が出したことのない速度で、嗤いながら彼は駆けたのだった。





