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生と死

 百八十を超える背丈に加え、ラガーマンのようにがっしりとした筋肉を纏う体躯。短髪に良く似合う日焼けした顔が、四十を前にしても若々しく見せる。性格は、やや短絡的だが愚かではなく、野心は人一倍。既婚、子供は息子が一人。


 それが地道 水樹(みずき)であり、現当主地道 (おさむ)の実弟である。


 たった一年、(おさむ)より生まれるのが遅かった。ただそれだけの事で、水樹(みずき)は地道家の当主に成れず、(あまね)と会うことさえ出来ない。しかし、跡取りを作ることさえしない兄に対し、他の天真の分家から嫁を貰い、次期当主となる大炎(ひろお)を産ませた。


 会社も自ら企業し、現在は(おさむ)が務める天真グループ系列の会社より業績は伸びている。当主ではない自分には、天真グループからのおこぼれは回ってこない。


 だからこそ、水樹は自らの力で力を付けた自負がある。そして、自分であれば、もっと地道家を高みへと導けると信じている。


 しかし、現実に当主であるのは兄である。


 兄は、全てを用意される。当主であるが故に、地道家の魔法技術、天真家の支援。そして、年に一回だとしても、(あまね)を拝顔出来る立場。


 どれも弟は、用意されることはない。


 たった一年、生まれるのが遅かった。


 それだけの理由。


 天真の縛りにより、自分は地道家の当主になる事は出来ない。しかし、兄が嫁も取らず子供も作っていない状況において、次期当主は今のところ息子である大炎(ひろお)である。だからこそ、鍛えた。そして、自分に従う様に育てた。


 幸いにして水樹の妻である琥子(ここ)は、夫も息子にも全くの関心を寄せていなかった。水樹が何をしようと、窓辺で本が読めればそれで良かった。初めから、琥子はそんな女だったのだ。


 本来、琥子は地道家当主である(おさむ)に嫁ぐ予定であった。しかし(おさむ)が頑として、それを受け入れなかった。その為、地道家は弟に充てがったのだ。


 兄の代替えだったとしても、その頃の水樹にとっては大したことではなかった。切っ掛けは、琥子の実家である空木家に結婚の挨拶に行った際の事だった。今となっては顔も声も思い出すことが出来ないが、何者かが廊下をすれ違い様に耳打ちしたのだ。


 “縛りが消える刻は、近い未来に訪れるよ”


 あの一回だけであるのにも関わらず、水樹(みずき)はその言葉を信じ、そして行動した。何故、耳打ちされただけの言葉を信じる気になったのか、説明することは出来ない。しかし、それを信じて行動するのが最善であると水樹(みずき)は信じた。


 だからこそ、水樹(みずき)の行動は、縛りが外れた時の事を想定していた。そして、それが今日報われようとしていた。


 天真家からの使者は、すべての分家に対し通達を行い、分家当主には通達をその家の者に周知させることを義務付けていた。その為、(おさむ)から直ぐに水樹にその旨が伝えられた。その時、水樹は自分のオフィスにて会議中であった。その場に同席した全員が、後に証言している。


 “あれは、笑ってない。アレは、嗤っていた”


 仕事を切り上げると、すぐさまに自宅へと戻る水樹の足取りは、まるで二十歳位若返ったようであった。帰りしなに大炎(ひろお)へと電話を繋げ、自宅に待機するように指示をだすと、普段は運転手に任せる愛車の運転を、自ら行い一人で自宅へと向かった。


 自然とアクセルを踏む足は強くなり速度は上がるが、それでも水樹にはいつにも増して遅く感じていた。


 乱暴に自宅のガレージに駐車すると、玄関の扉にぶつかるほどの勢いで、家の中へと飛び込んだ。


 “お帰りなさいませ、旦那様”


 駐車場に車が停まる際の音が家の中にも聞こえており、ただ一人の使用人が玄関で主人を出迎えた。琥子が嫁いて来た際について来た時は、少女といって差し支えがなかったものの、今では急な主人の帰宅にも慌てずに対応できる程の経験を積んだ使用人になっていた。


 しかし、特に水樹は使用人の顔を見る事なく、大炎(ひろお)の行方を尋ねた。


 “まだ大学からは、お帰りになっておりません”


 舌打ちをしながらも、帰り次第地下へと来るように指示すると、水樹は足早に廊下を歩き、階段を降っていった。地下室はこの家の中でも特に魔法による遮音性、耐震性を高めていた。当然、出入り口となる扉も生体認証により、水樹以外のものは開けられない仕様になっている。


 地下室の中は、一見すると至って普通の書斎に見えるが、棚に並んでいるのは極めて攻撃性の高い魔道具であり、書棚には殺傷力の高い魔法書が並んでいた。それらの物を水樹は、闇ルートで出回っているのを購入していた。


 椅子に深く腰掛けながら、それらを眺めていた水樹はやがて瞳を閉じた。そして堪えきれない笑いが、最初はゆっくりと漏れ出すと、やがて大声で誰に聞かせる訳でもなく笑っていた。


 “父さん、ボクです”


 出入り口に扉に備え付けてあるインターホンから、息子の声が部屋に響いた。椅子に座りながらクラシックを聴いていた水樹は、随分と精神の揺らぎを抑えられていると感じていた。これから起きる、否、起こそうとする戦争を前にして、程良い緊張感を保てていた。


 扉に向かって入るように促すと、声帯認証で扉のロックが解除された。


 二十四時の縛り解除に向けて、志を同じにする他家の連中とも連絡を取らなければならず、(おさむ)を当主の座から排した後に起きる、天真家の真の覇権争いに出遅れるわけにはいかなかった。


 油断。慢心。それは、重要な場面での一手に対し、思考を鈍らせる。唐突に降って湧いていきかのような好機に焦る。


 地下室の扉が開き、大炎(ひろお)の姿が扉の向こうの闇から見える。普段のルーティン通りに大炎(ひろお)は、部屋の中に入ると水樹(みずき)に背を向けると静かに扉を閉めようとした。


 そうしないと、水樹がいつも叱るからだ。そして、しっかりと大炎(ひろお)が水樹に振り返ったところで用件を伝える。


 というのが、これまでのルーティンであった。


 希望、夢、それらもまた足元を掬わせる、甘美な誘いである。


 水樹は、自分に背をむけ未だ扉を静かに閉めようとしている大炎(ひろお)に向かって、声をかけていた。


『今夜零時に、天真は全ての縛りを無くすと、天真家に関わる全ての者に通達されたぞ』


 そして、その言葉を最後に死んだ。




 既に地道本家屋敷の書斎の柱時計が示す時刻は、午前零時を二十分も過ぎていた。(おさむ)兎古野(とこや)は、神経を張り詰めながら、無言で誰かを待っていた。


 間違いなく水樹は来るはずと、思っていたのだ。


 (おさむ)にとって、血を分けた実の弟であり、向上心に溢れ、その強き想いを実現させる為の“力”を持っていた弟。


 僅か一年早く生まれただけの兄は、末席といえども天真家の分家当主。天真の縛りに反し、外に子を成した咎人。


 そんな(おさむ)にとって水樹は、燃える太陽の様だった。


「……来ないな、水樹の奴は」


「……そうでございますね」


「流石に兄を襲うのに、大炎(ひろお)君まで連れてこないだろうと思っていたが、あいつまで現れないとは。水樹は、来るなら間違いなく零時直後だと思っていたんだが」


 零時を過ぎても水樹が二人の前に現れないことに、少なからず(おさむ)は困惑していた。(おさむ)とて、水樹にどう思われているかも分からぬほどに、愚鈍な男ではない。


「天真の縛りが消えたというのであれば、水樹に当主の座を譲ると宣言すれば、事が大事にならなくて済むと思うんだが、何故あいつはそれを断るんだ」


 水樹が固執する地道家の当主には、天真の縛りがない今、(おさむ)が水樹に当主の座を譲ると言えば済む話でないかと話したにも関わらず、水樹は頑としてそれを受け入れなかった。


 あくまで力を持って、(おさむ)を殺さないと気が済まないと言った様子で、それ以上とりつくしまもなく電話は切られ、そこから電話が繋がることはなかった。


(おさむ)様を襲うという行為自体に、水樹様にとって何かしらの必要性があるのかもしれません。おっと、申し訳ございません。少々、失礼いたします」


 兎古野(とこや)が胸元から携帯端末を取り出すと、画面を操作していた。水樹が襲ってきてはいないが、いつ誰が来るかどうかわからない状況で、下手な事は口に出せないが、明らかに(おさむ)は落ち着きが無くなっていた。


「ご安心ください。彼方は今の所、特に異常はない様です。二人ともこの時間の深夜ドラマを、毎週見ておりますので、外に出かけるということもないでしょう。彼女たちは、録画ではなく放映日に見る派だと言っていましたし」


「そうか……それなら、安心した。しかし、よくそんな事まで知っているな」


「もう、十年の付き合いになりますので」


 兎古野(とこや)は何てことは無い様に話すが、緊張の糸が緩んでいないのは、静かな口調の中に紛れる凄みからも明らかだった。


 この場に、確実に来ると判断していた者が来ない。それは主と自分にとって悪い話ではない筈なのだが、兎古野(とこや)の背中の汗は、単純に考えることは危険だと伝えんとしているかの様だった。


 兎古野(とこや)から実際に依頼を遂行する宿り木(ミスティルテイン)のメンバーに、こちらから連絡する術を持っていない。その為、華が特に何も起きていないと言うが、それは誰も襲撃者が来ていないと同意ではないと言うことを、兎古野(とこや)は危惧していた。


 書斎の窓には、暗闇に浮かぶ様に映る自分の顔しか見えない。未だ現れない水樹に対して、僅かに眉間に皺が寄っている表情に気づくと、気持ちを落ち着かせる様に息をゆっくり吐いたのだった。




「今の、古屋(ふるや)のお爺ちゃんから?」


「うん、そう。『ドラマ楽しみ。正座待機。そちらの準備は、大丈夫かな』だって。八十超えたお爺ちゃんが、深夜の恋愛ドラマにハマるとか、予想の斜め上だねぇ」


 アパートの一室で、尾藤(びとう)彩菜と娘の(はな)は、もはや家族同然の付き合いをしている老人から送られてきたメッセージに笑っていた。


 一般的な家庭では部屋にカーテンをつけている。その為、夜には部屋から外の景色というのは見えにくい。ましてや梅雨に入る時期ということもあり、エアコンをつけていれば窓も閉めている為、外の音なども聞こえにくい。


 彩菜と華がテレビを見ている部屋は、そんな一般的な家庭の部屋であり、カーテンをしめて、テレビの音量を気にして窓を閉めているため、流石にエアコンを起動させていた。


 二人とも、毎週楽しみにしているドラマを観ており、外の明るさの変化に気づいていない。あともう少しカーテンを薄手のものに衣替えしていたら、カーテンをかけていない台所の出窓に近づいていたら、外が異様に明るくなっている事に気が付いただろう。


 少なくとも、二人は放映中のドラマを観ている限り、窓の外に目を向けることはしないだろう。


 ただし、それはアパートの住人全てが、二人と同じ生活を送っていた場合の話である。


 本来、二人とも何かに集中すると周りの音が聞こえなくなるタイプではあるものの、流石に玄関のドアを乱暴に叩かれたら耳に届く。その上、慌てた声で“火事”叫ばれたら、嫌でも慌てざるをえない。


「火事⁉︎ 華! 通帳と印鑑持って外! 私は避難バック持つから!」


「分かった!」


 慌てながらも、二人は必要な物をすぐさま手に取ると、上着を羽織り靴を履き、勢いよく外に飛び出した。


 そして、固まった。


 言葉も出なかった。目の前の景色を理解できなくて、その場で止まってしまったのが、結果的には幸いだった。ソレが目の前に現れた時、恐怖のあまりに駆け出し、アパートの敷地の外へと出ようとしたならば、先にそれを試みた隣人のように、炎蛇に一飲みにされてしまうだろうから。


 人が焼ける匂いが辺りに漂うと、もうパニックは止まらない。アパートの二階をも超える巨大な炎蛇が、常に華を見ているということも、周りの人間には不幸の呼び水になったのかもしれない。


 異常な存在が自分以外に狙いを定めていると判断した住人が、その隙にその場から一斉に逃げ出そうと駆け出したのだ。老いも若きも、男も女も我先に、燃え盛る街の道路に飛び出した。


 先程、最初に敷地にでた人間がどうなったかも忘れるほどに恐怖が支配する。結果は、まさに火を見るより明らかであった。


 燃料かと言わんばかりに、人間が炎々と燃えていた。それは、とても不思議な光景だった。


 先程までソレは、燃料ではなかった筈のモノだ。しかし既にソレは、炎が自らの存在を主張するための燃料にしか見えなかった。


 華の横では、彩菜が胃の中を空にしようとしていた。華も同じように身体が目の前の光景を拒絶しようとしている。蹲り、目を瞑り、目の前の光景から目を逸らそうとしている。


 しかし、炎蛇に睨まれた華にはそれができない。


 蛇に睨まれた蛙は、どうするか?


 そう聞かれたら、何と答えるのか。この時の華の答えは、至極単純明快にして、華の本質を示す言葉だった。


「お願い! まだ燃えないで!」


 華の答えは、“助けに行く”であった。


「は……華⁉︎ 待ちなさい!」


 突然駆け出す娘に、母は手を伸ばす。しかし、その力強く振られる腕を掴むには、倒れる者の手には余る。


 尾藤華は、現在看護専門学校に通う二十歳である。何故、看護師という職業を目指したかは、ある一人の老人との出会いが全ての理由であると言っても過言ではない。


 小学生の時に、目の前で人が苦しむ姿に怯えながらも、その手で苦しみを取り除くことができた時の達成感は、今でも華の心にしっかりと居座っている。


 “人の命を救う”


 これ以上に達成感を得られるものがあるとは、華は思えなかった。しかし、そのことに気付いたのは、本気で部活に取り組み、そして高校三年生の夏に引退した時だった。結局のところ、“あの時”以上の達成感は最後までスポーツでは得られなかった。


 その事に気づいた華だったが、些か高校三年生から医者を目指すには、学力も足りず、何より資金面でも不可能だった。結果として、華は看護の専門学校にバイトをしながら通うことになる。


 “命を救う”現場をイメージした時、警察、消防、医療機関等が頭に浮かびながらも、割と早く医療機関への進路を決定したのは、やはりあの老人との出会いが大きく影響したのだろう。


 古屋(ふるや)と名乗ったその老人は、再会後から家族ぐるみでの付き合いとなり、随分と良くしてくれた。金の使い道が無いと言いながら、華に入学祝い等をくれ、日頃から何かと助けてもらった。


 そして、華の中では最も世話になったと言えるのが、合気道に似た武術の稽古であった。


 護身術として稽古をつけてもらう中で、身体の中にあるエネルギーのようなものを華は感じるようになっていた。それが魔力であると華が知らなかったのは、古屋(ふるや)がそれを魔力と教えなかった為である。


 十年近くも近くの公園で稽古をつけてもらっているお陰で、華は護身術と言える範疇に収まらない程に腕を上げていた。元々、運動能力的な才があったのに加え、魔力の総量こそ低いものの、身体の動きに自然に魔力を扱うことに関しては、目を見張るものがあった。


 しかし、である。


 今のアパートの周囲は、灼熱地獄と相違なく、アパート以外の家屋は勢いよく燃えている。歳が歳なら空襲にでもあったのかと驚きそうな程の地獄絵図である。


 アパートの隣人が立ったまま燃え、胃酸を逆流させるような臭いを放ち、母親はアパートの玄関の前で這いつくばっている。


 雪が降るかのように舞い降り続ける炎を掻い潜りながら、華はある一人の元へと駆けつける。たった数十メートルの事だが、彼の元へと走り続ける。


 道路にいる人間の中で、唯一“右腕だけしか燃えていない”人間の元へ。


 助けたい


 助けたい


 助けたい


 狂ったように走るその脚は、遂にその人間の元へと辿り着いた。


「大丈夫ですか!」


 患者を不安にさせない様、とびきりの笑顔で。


 華は、時雨彌太郎に声をかけたのだ。


「その笑い方、気持ち悪いな」


 そして、拒絶されたのだった。


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