不遜
日が沈む頃から降り出した雨は、傘を使うかどうか迷うほどだった。梅雨らしいと言えばそうかもしれないが、そんな事等全く気にしない様子の男、というより幼さが少し残る青年が首相官邸の執務室の椅子に座っていた。
執務室には場違いな王者の風格が漂う鎧を見に纏い、そしてその鎧に負けず劣らずの端正な顔立ちをした青年が現職の総理大臣狩川正一である。彼は閣僚達との会合、連絡のとれた各国首脳陣との電話会談、その合間の僅かな時間の休憩を、自身の執務室で取っていたのだった。
そんな彼の執務室の扉の前に、見知った気配を感じ、正一は扉に向かって声をかけた。
「山河君か、遠慮なく入ってくれたまえ」
正一の声掛け後、すぐに扉が開くと言葉通りに山河三郎防衛大臣が部屋の中へと入ってきた。齢五十を超えてなお、自衛官時代より衰える事ない鍛え抜かれた体と鋭い眼光は、さながら武将のようであり、実際にイベントで鎧武者の格好をした時は、似合いすぎて周りが気圧される程の男が、山河三郎という男だった。
「休憩中に申し訳ございません、お疲れでしょうに」
「構わんよ。それに疲れるのは精神的なものだけなのだよ。私の身体は、三日三晩魔王と戦ったところで、更におかわりで魔神と戦うぐらいしなければ疲れんよ」
正一が軽口を叩きながら笑うが、山河は苦笑するだけだった。
「山河君は、少し疲れてそうだな。自慢の毛虫眉毛の元気が、少しなさそうだぞ?」
「これは、とんだ失態を。ここだけは、しっかりとケアしませんと」
顔の迫力を自然と強める要因となっている太く濃い眉毛は、今や山河のトレードマークとなっていた。そんな自慢の眉毛を弄られ、今度は本当に山河が笑ったところで、正一はすっかり冷めてしまっているお茶を啜った。
山河は自分の前でリラックスしている様に見える青年を、凝視していた。
「まぁ、一日二日で見慣れることはないだろうな」
「いえ!? 失礼しました!」
正一の言葉に、思わず身体を強張らせ直立不動となってしまっていた。目の前で茶を啜るのは、これまで見てきた狩川正一総理大臣ではなく、少年と男の狭間とも思えるような青年であり、姿に至っては、本来そんな格好でこの場所には絶対に入れないような派手な鎧、言ってしまえばこれから王道ファンタジーの演劇でもするかのような、有り得ない格好をしているのにも関わらずである。
「自衛官だった時の癖か? 特に怒ったわけでもないのだから、そんなに堅くならなくてもよいだろう」
あまりにも山河が新人隊員の様に緊張している事を、正一は不思議に思いながらも、特に気分を害したと言うことは全くと言ってなかった。
「今の私の外見では、普通に気味悪く思うのが普通だろうしな。初老だった男が、十代の見た目に派手な鎧を着ていればな。実際、五味の狸爺など分かりやすいほどに、私を見て気味悪がってたぞ」
「五味さんはそもそも、総理とは表面上だけの付き合いという事もありましたし……五味さん自体が、“持たぬ者”だったことも大きいかと」
「死亡した議員の補欠選挙もあるし、五味の爺さんには幹事長として働いてもらないと困る。そこそこの付き合いはしていかないといかんのだが。それで、山河君が態々ここを訪ねてきた理由は何かね?」
正一の問いかけに、山河はいつもにも増して背筋を伸ばした。
「一つは、昨日護って頂いたお礼を直接伝えたかったことがあります。そしてもう一つが……失礼ながら、総理。この国の防衛を考える上で、総理の力をどの程度織り込んで良いかということです」
山河は、自然と敬礼をしていた。
国会議事堂が襲撃された昨日、山河もまた防衛大臣としてあの場に居た一人だった。魔素が大量にこの世界に発生した影響を受け、目覚めし血脈としての力も格段に増強されていた筈だった。山河は【身体強化】しか使うことは出来なかったが、それでも咄嗟に発動させた際は、これまでの人生で間違いなく最高の力の増大を我が身に感じ、その万能感はこれまで感じた事のない感覚だった。
現役時代は他の隊員の前で明らかな身体強化を施そうとすると、強制的に術が解除されていた。そのことは幼少期より山河は親から教わっていた為、気をつけてはいたが、いざ災害現場等で活動する際に、この力を十全に使うことさえ出来ればと考えたことは数えきれなかった。
それが全力で全身に身体強化を図っても、世界から拒絶されることなく力を行使できている。その事実は、あの場においてテロリストに立ち向かうと考えるには十分だった。
しかし、山河の足は一歩もその場から動くことが出来なかった。
崩れた天井から舞い降りる二人のテロリストが纏う魔力を、山河は幸か不幸か目覚めし血脈であるが故に見ることが出来てしまった。
如何に自分が矮小な存在かを見せつけられるように、二人が纏う魔力は桁違いだったのだ。
“人種が違う”
脳裏に浮かぶその言葉は、魔力を扱うことが出来る者ほど感じただろう。一瞬の高揚感の後に、絶望的な死の宣告。自らの終わりを悟り、折れた心は山河の足を動かすことはないと、あの瞬間まで信じて疑わなかった。
『何を呆ける! 力のある者は、周りを助け生き延びろ! 此処は私に……いや、俺に任せろ! “常 在 戦 場”!』
先程まで自分の隣に居た男は、見た事もない鎧に身を包み、手にはその者の力を証明するかの如く神々しく輝く聖剣を持ち、見たことのない青年に変わっていた。その青年より迸る力は、暖かくも厳しく、そして揺るぎなく、山河を照らす光となった。この時より山河は、狩川正一という人間に心酔することになる。
正一としては、山河の態度がテロ以降変わっているのを感じていたが、それは山河一人だけではなかった為、そこまで気にしていなかった。
「礼は良い、全員を私は護ことが出来なかったしな。それと私の戦力だが、【勇者】として力を完全に発揮できる現状、少なくともこの世界の近代兵器で私を殺す事は出来ないだろう。同時に私が破壊できない兵器も、おそらくはないだろうな。他国と戦争にでもなった場合、相手側に帰還者が居なければ、私一人で戦争を終わらせる事が可能だろう」
「やはり総理の力は、既に軍事的な抑止力としても、存在出来る程なのですね……」
自分では底など感じられない魔力を纏う正一を見て、ある程度の戦力としては考えていたが、正一の力がそれほどまでとは考えていなかった山河は、純粋に畏れと憧れが入り混じり、固く握りしめた拳が自然と震えていた。
「恐ろしいかね?」
お茶を啜りながら、ゆったりと椅子に座る青年。本人は休憩中の歓談と言った風でしかないが、それを目の前にしている山河の額には汗が滲み出始める。
「……正直に申し上げまして、畏怖の念、そして純粋に男としての憧れ、というのが混ざり合った感情と言いますか……」
困り顔で答える山河に、正一は微笑んだ。その正直に答える様に、正一は好感を持っていた。
「そう言えば、自衛隊における能力者部隊の創設に関しては、進みそうかな?」
正一の不意の微笑みに一瞬呆けてしまった山河だったが、素早く意識を質問に答えるべく集中した。
「自衛隊の中にどれほど魔力を扱える人材がいるかは、既にヒヤリングではありますが調査を始めております。しかしヒヤリングだけでは時間がかかりすぎる為、八咫烏に協力を仰ぎ、自衛官の中で目覚めし血脈の一族に類する者の数を、迅速に調査出来る様にさせて頂きたいのですが、如何でしょうか?」
“特務機関『八咫烏』”
総理大臣直轄の特務機関であり、一部の国会議員を除き公にされてはいない組織である。能力者に対応する部署となっている。
山河は防衛大臣に任命された際に、自分が目覚めし血脈であることを正一から指摘されていた。山河は、家族以外には山河家が目覚めし血脈である事を秘密にしていた為、総理から目覚めし血脈の事を指摘された際の衝撃は計り知れなかった。その事実が八咫烏が調査した結果だと聞かされ、同時に八咫烏の調査能力についても戦慄したのを思い出していた。
「そうだな……確かに八咫烏には国内で確認されている目覚めし血脈の家系を記したデータが存在する。ただし、山河君の様に隠していた場合は、特別に調査していない限りは把握できていないがな。それと開示許可が出せるのは、君と各幕僚長までだが、それで問題ないかな?」
「ありがとうございます。諸外国の情勢が予測困難である現状、一刻も早く防衛体制を整えねばなりません」
山河の言葉に、湯呑みを静かに机に戻した。先程までの雰囲気とは異なり、机の上で手を組む正一からは覇気とも威圧とも言えるようなプレッシャーが放たれていた。山河はそんな正一は見て、緊張はするものの自身の心が踊るのを感じていた。
自らが命を賭けるにふさわしいと思わせるカリスマ性が、見た目は完全なる若造である正一から溢れ出していた。
「国によっては内戦のような状況になり得る今、諸外国も我が国への侵略戦争はすぐには起こせない筈だ。しかしその国にいる帰還者がどの様な動きをするかどうかで、世界情勢は激変するだろう。その前に、我が国の防衛機構を再構築せねばならん」
これからの時代における抑止力は、核ではなくなった。たった一日前にこの世界に起きた事は、能力者であれば世界がひっくり返ったことに等しい。
英雄の有無、それがすなわち軍事力となってしまった。
山河の目の前で七々扇に電話すると、正一は国内の判明している目覚めし血脈の情報を、防衛大臣及び各幕僚長へと開示する旨を指示した。そして山河が部屋を退出すると、机の引き出しから一冊の報告書の束を取り出し、腕時計を確認した。あと数分後に訪れるであろう人物を待ちながら、先程確認している机の上に出した報告書に目を落とした。
『国内における“建国”を行動理念とする能力者組織及び個人に関する調査報告』
「はたして何人が入隊してくれるのか……難しいだろうな」
山河の様な愛国者が能力者の中の、特に若い者達の中にどれ程いるというのか。これまで持たぬ者の前で力を扱う事が出来ないに等しかった魔法やスキルを、今では誰の前だろうと発動できる事は周知の事実と化している。
そんな現状で、その能力を完全に管理されるような可能性がある選択を好んでするとは、正一は大部分の能力者は思わないだろう考えていた。当然の一手として、能力者を国で管理し、そのまま防衛力として活用は試みる。しかし、順調にいくかどうかは別問題である。
「ライセンス化、能力者管理制度、法整備、省庁の発足を盛り込んだ関連法案成立を敵が待ってくれるかどうかが問題だが……そこまで甘くはないだろうな」
正一は、闇堕人が昨日のテロだけで暫く静観するとは思っていなかった。今日一日でメディアで大きく昨日のことが取り上げられ、理由は分からないが国民が魔法が存在するということを、素直に受け止めているという状況は、彼を焦らせる。
腕時計を確認すると、時刻はそろそろ二十時になろうとしていた。昨日の今日で更に何かある可能性が高いと考え、八咫烏を厳戒態勢で国内主要都市に派遣していたが、現時点では何も大きな事件は報告されていなかった。
「しかし、まだ二十時。何もなかったと考えるのは、愚かなのだろうな」
そして再び、執務室の扉の前に立つものが現れた。髪の毛を几帳面に七三に分け、纏うスーツには皺がなく、きっちりとしたその姿は性格を表すかの様だった。そして、山河の時と同じように執務室の中から部屋の主人の声が聞こえてくる。
「須田島さん、遠慮なく入って下さい」
須田島内閣官房長官は、執務室の扉を開くと入って早々に正一に苦言を呈する。
「総理、私に対して敬語は不要です。是非とも部下、いや配下の様に接していただきたいと昨日から申し上げている筈ですが?」
「……確かにそう言われましたが、議員としても年齢も先輩である須田島さんをその様に扱うのは、些か抵抗が私にもありますよ」
山河に対する対応とは異なり、正一は須田島に対しては言葉一つとっても敬意を払っているのが見て取れた。山河に対して敬意を払っていないというわけではないが、山河は正一よりも年齢も議員年数も若かった為、特に話し方などは気を遣ってはいなかった。しかし、須田島はそうではなかった。
自身が総理になった際に官房長官を頼んだ間柄ではあったが、少なくとも昨日までは二人の関係性は、このような主君と配下を目指したものではなかったのである。それ故に、突然に須田島から“配下の様に接してくれ”と言われて、正一も困惑していた。
「私は昨日の国会議事堂襲撃の際の貴方の姿に、心を奪われたのです。これまで特に目覚めし血脈の力など、一種の手品程度と軽んじてきた私でさえも、総理の姿は私の中で錆び付いていた魔力をも叩き起こし、そして一気に燃え盛ったのです。この責任は、絶対に取っていただきたい!」
「七十過ぎの爺さんから責任とれとか、聞かなかった事にしたい……私も分別ある大人として先輩に対して横柄な態度をとりたくはありません。しかし、このあたりの話は恐らく平行線を辿りそうですので、それは徐々にというにしましょう」
どうしてこうなったと言わんばかりに頭を抱える正一を他所に、須田島は熱い眼差しを向け続けていた。
「それでは一先ず、私のことは須田島と呼び捨てにするようにお願い致します」
「せめて須田島君とかで…」
「須田島と。寧ろ、出来れば建二と」
「誰得なんだ、このやりとりは……あぁ、もう面倒臭い。ただし、公の場ではこれまで通りとするからな」
「譲歩致しましょう」
特に表情を崩すことなく目の前に立つ須田島に青筋を立てながらも、これも【勇者】としての力を解放した影響かもしれないと思い直し、須田島を呼んだ本来の要件について正一は話し始めた。
「この報告書だが、公安から直接私に届いた。須田島の指示だと聞いたんだが?」
「その通りです。公安にも能力者を対象にした部門がありますので。八咫烏の様に戦闘職までは揃えてませんが、どちらかというと調査と監視を職務としております」
「初耳なんだが?」
「えぇ、公にはなっておりませんので」
「総理大臣に対してもか」
「そうです。総理大臣に対してもです」
「それを須田島が、何故知っていているんだ?」
「須田島家が代々責任者を歴任しており、当代の当主が私だからです。総理に話したのは、須田島家当主としての判断です」
リズム良く行われる質疑応答のキャッチボールに、逆に正一は顔を険しくしていった。特務機関八咫烏に関しては、一般的には公にされていないが、能力者達が跋扈する世界を裏だとすれば、裏の世界の住人には広く知られた国の機関であった。
しかし、須田島が今明かした話と言うのは総理である正一ですら知らなかった事であり、一部関係者しかしらない“名前の無い研究所”よりも更に機密度が高いと言える。そしてそれが、特定の家系によって管理されていると知り、状態異常に対し完全耐性を持つ身であるにも関わらず、正一は頭痛を感じる様だった。
苦虫を噛み潰した様な表情を見せる正一に対し、須田島は淡々と話を続ける。
「我が国は、神話の時代より血脈が受け継がれている国であり、世界でも類をみません。例え、総理大臣だとしても知り得ない事はあると言う事です」
「と言うことは、須田島の様な役割を持つ家系は他にも有り、お前らの元締めは……そうなるのか」
「その通りです」
はっきりと口には出さないものの、二人は同じ人物を頭に浮かべた。そして改めて公安より届けられた報告書を須田島の前で確認すると、ふと正一は顔を須田に向けた。
「私に、そんな事を話してよかったのか? 先程の言い方では、歴代総理に話てはいなかったのだろう?」
「主君に隠し事をするなど、配下としては言語道断。これからの国難を考えれば、今必要なのは人を導く圧倒的な強者の存在。下手すると戦乱の世に成りかねない現状は、その報告書を見ていただければ分かる事」
「主君とかどうとかはさておいて……これほどの者が、国を乱しにかかると言うのか」
「はい。そして今日の日が変わりしとき、天真家においても動きがあります。これは事実確認に手間取りましたが、確かな情報です」
「天真家がだと? 七々扇の話だと、天真家は治安維持等に協力的だと言っていたが、この一日で何か起きたのか?」
「これまで天真家は、絶対的支配者である天真家当主を筆頭に、一族が当主のために一つの生命体の様に動いてきたのですが、何を血迷ったか現当主天真周がある宣言をしたとのことです」
これまで表情をほとんど変えていなかった須田島が、あからさまに渋い表情を見せた。
「本日二十四時をもって、“天真家に於ける全ての縛りを払う”と」
「そうか……現在八咫烏は、国内に配置済みだが、その言葉の意図が分からなければ結果として後手に回るか」
この世界は、剣と魔法の世界ではない。文明、経済、軍事力、宗教、価値観が入り混じり成り立つ世界であり、世界情勢は綱渡りの様に危ういながらも、三度目の世界大戦を回避している。しかし、そこに“剣と魔法”が加えられたらどうなるのか。
物語の英雄、怪物、化け物が、その力を存分に発揮できる世界。それはもう、自分が召喚された世界と変わらないではないか。起こりうる事を想像しながら、正一は瞳を閉じて歯を食いしばる。そのまま天を仰ぎ見る動作をしたところで、昨日から同じように天を仰ぎ見ることが癖になっている自分に気づいた。
気づくと、何やら可笑しくなっていた。
「何かおかしな事でも?」
須田島が怪訝な表情をしながら、正一に尋ねた。とても今、笑える様な状況では無いはずだが、正一は確かに今目の前で笑っている。
「いやなに、世界をこのような形で変える事ができる様な存在など、もはや神と言えなくもないと思ってな。そんなクソッタレな神が居そうな天など仰いでどうするんだと思ったら、可笑しくなってくるじゃないか」
真っ直ぐに前を向き直した正一の顔は、不敵に笑っていた。それは虚勢でもなく、気が触れたわけでもなく、どちらかと言えば不遜という言葉が不思議と似合っていた。
「私はもう、天を仰ぎ見ることはない」
刻は止まらず、その針を進ませる。
外の闇はその深さを増し、街に咲く人口の光は反対に輝きを増す。前日にあれ程の大きな事件があったのにも関わらず、人の営みは大きく変化していない。確かに世界の理は改変され、魔法と言う存在が認証されたが、殆どの人間にとっては扱えるものではなく、それよりも日々の生活が優先される。
差し迫った命の危険を感じなければ、今日の生活の方が大事である。
しかし、命の危機が日常的に起こりうると分かったとき、どのような変化が起きるのだろうか。
刻を止める者はいない。
その針を止める術を、誰も持たぬのだから。





