変質
富東 玄武は顔を完全に覆い隠す仮面の下から、眼下に広がる夜灯の海を眺めていた。
この国の特務機関『八咫烏』六番組隊長を預かる彼は、猛禽類を思わせる鋭く獰猛な瞳を、闇夜に向けながら、街の治安や能力者の暴動が起きないかと警戒しつつも、頭の中では別のことを考えていた。
「家に矢那を残して来てしまったが、大丈夫だろうか……」
筋肉達磨と称される程の発達した筋肉は、闇に紛れる為に着ている黒色のラバースーツを破ってしまいそうであり、腕を組み立つ姿は、世紀末覇王の様な迫力がある。しかし、彼の声は、まるで幼児を家に残した父親の様な不安さを持っていた。
「げんちゃん、家にはしっかり防御障壁も貼ってきたし、大丈夫よぉ。それに、やっちゃんは高校生なんだから、お留守番くらい出来るんだからぁ」
「リコちゃん……任務中は、玄武隊長で頼む。それはそれとして、だってアイツの高校、闇堕人のリリスが召喚したゴーレムに襲われただろう!? それから、俺たち家に帰ってないし……もし、アイツが、アイツが……ヒーローになるチャンス! とかいって、動き出したらどうしたら⁉︎」
「あぁ、そう言う心配してたのねぇ。うん、それは仕方ないかなぁ。やっちゃんのヒーローなりたい病は、筋金入りだしねぇ。むしろ、高校にゴーレム出た時に、向かっていかなくてよかったわぁ」
「ほんと、それな。マジで、報告聞いた時に血の気引いたぞ」
筋肉お化けの横に立つ莉子と呼ばれた女性は、ラバースーツが身体のラインを強調する所為で、むしろ暴力的なまでの妖艶さを醸し出していた。そして玄武と同じ仮面の下に、絶世の美女と評して嘘偽り無しと言える程の美しい顔が隠れていた。
そして彼女は、玄武の妻であり、矢那の母でもあった。
この二人、夫婦にして特務機関『八咫烏』の隊長と副隊長を担っており、その上、あの矢那の両親でもあった。
この世界における“魔力”は、これまでこの世界には魔素と呼ばれるものが存在しておらず、その為体内の魔力を使い切ると、回復までに相当な時間を要していた。
更には、空気中に魔素が存在していないこともあり、放出系の魔法などの威力の減衰は大きく、余程の魔力を持っていない限り、遠距離からの魔法攻撃は実戦では不可能とされていた。
そんな条件下においても、二人が隊長格を務める六番組が、成果を上げ続けていたのは、玄武と莉子が体術に秀でている上に、二人とも固有能力を持つ目覚めし血脈であったからだった。
今日の昼間には、テレビで狩川総理大臣が自ら掌に火を灯したり身体を宙に浮かせたりしながら、これまで物語の中でしか存在しなかった“魔法”というものを、現実にあるものとして説明していた。
そしてダメ押しとして、自分の姿を国民が認識している“狩川総理”の姿へと戻し、その後カメラの目の前で再び“勇者狩川正一”に成ってみせたのだった。
『一部の者達の間では、この世界にもこのような不可思議な力がある事は周知の事実だったのだ。しかし、能力を持たない者の前では力が発動できないという制約の為、これまで公にされることはなかった。しかし昨日のテロ以降は能力者達は誰の前でも能力を発動できるようになり、そしてその原因は未だ不明でもある』
首相官邸で行われた記者会見は、八咫烏の全隊員聞いていた。彼らにとっては、当たり前のことであったが、その事を総理が話すとは思っておらず、少なからずその決意の強さに唾を飲む隊員が殆どであった。
『私の様に特殊な力を扱うことが出来る者達を、我々は“帰還者”と呼んでいる。そして帰還者を説明する上で、この世界の能力者がどういった存在なのかを説明しなければならない。
私のような帰還者は人外の生物では決して無く、皆と同じく人間だ。そして元々、私はこのような力を生まれながらに持っていなかった。では、何故この力を現在扱うことが出来るのか』
画面の中の狩川総理は、そこまで述べて一度口を閉じた。そして意を決したかのように口を再び開いた。
『帰還者とはこの世界より異世界へと飛ばされ、そしてこの世界に帰還した者のことだ。だからこそ、私を含め帰還者は異世界で得た強力な力を持っているのだ。そして私が“我々”と述べた様に、帰還者は私一人ではない。今回、国会議事堂を襲った犯人もまた、帰還者であることが判明している』
此処までの内容だけでも国民は度肝を抜かれている筈だが、記者の一人が一つの質問を投げかけた。
“その力は、子に受け継がれるのでしょうか?”
当然の疑問であった。創作物の中だけの力だと誰もが思っていた力が現実に存在し、その上それは絶大な力であることを、国のトップが昨日の戦闘で国民に示してしまっているのだ。
覚悟していた問いだっただろうが、それでも狩川総理は答えるのを一瞬躊躇った。しかし、はぐらかす事なくテレビの中の狩川首相は答えた。
『特殊な力を扱う事が可能な特性は、子に引き継がれる』
その言葉とともに、会見場は大きな響めきが起きており、それはどちらと言えば落胆や恐れというよりは、驚きや興奮といった雰囲気だった。
「誰が、こんな真似をしやがったんだ……魔法なんてものは、この世界に必要とされてねぇんだ」
「げんちゃん……やっちゃんが、心配なのね」
身体を震わせる玄武の背中を、莉子は優しく摩る。そしてそんな莉子もまた、矢那を想うと、声が震えていた。
矢那は、二人の血の繋がった息子でない。そして、矢那の本当の両親の家系は、帰還者を祖とした目覚めし血脈ではなかった。その為、当然二人は矢那が魔力を扱うことが出来ない持たぬ者だと思っている。
親友から託され、息子として育ててきた。例え、魔力を扱えない持たぬ者だとしても関係なかった。そこには、ちゃんと愛があったのだ。
玄武と莉子の間には、矢那の一歳下に双子の兄妹がおり、この二人は正真正銘彼らの子供であり、即ち目覚めし血脈であった。
そして、双子の兄弟は矢那と血が繋がっていない事を知らなかった。双子の二人は、全く魔力を感じない上に扱えない兄を、見下すことは全くなかった。
二人とも口では兄に対して馬鹿にしながらも、本心ではどんな困難にも立ち向かう矢那の背中に、小さい頃から憧れていた。
玄武と莉子は、魔素が充満する世界へと突然変わった事に、酷く困惑し、その時に頭に浮かんだのが、ヒーローに憧れる愛する息子の事だった。
狩川総理がテレビで話していたように、魔力を扱うことが出来る力は親から子へと受け継がれる。そのような家系を、目覚めし血脈と呼ぶが、もし自分達の正体が能力者だと矢那が知ってしまったら、何を思うのかと。
「絶対に、魔法を覚えようとするだろうし、アイツのことだから本当のことを言わない限り、諦めず魔法を覚えようとするだろうな……」
「そうねぇ。やっちゃん、異常に諦め悪いからぁ。そもそも魔力を扱える因子がない事を言わないと、納得しないわよねぇ。でも、それを説明すると、私たちと血が繋がっていないだけでなく、本当の両親の事を言わないといけないから……」
「知ったら知ったで、“仇を討つ”とか言い出しかねぇんなぁ」
高層ビルの上で、富東夫婦は互いに嘆息を吐いた。
すぐに余計な揉め事に首を突っ込みたがる息子の事を想い、それがこの魔法が自由に使えるようになってしまった世界においては、どれだけ危険な行為であるか、身をもって知っているからだった。
二人は知らなかった。
矢那が、既に盛大に首を突っ込んだ結果、同級生と共に異世界へと召喚されていたことを。
異世界においても盛大に首を突っ込みまくった結果、神と戦うことになった事。
そして、活躍の証明とも言える二つ名。
曰く、『黒炎の狂犬』
曰く、『深淵の暴力狂い』
曰く、『暗闇の紳士』
曰く、『全てを破壊する者』
曰く、『漆黒の騎士』
曰く、『貢がせ』
曰く、『女狂いの黒き野獣』
曰く、『変態中の変態』
これだけの数の二つ名を、息子が獲得していたと知ったら、どうなるだろうか。
きっと泣くだろう。
主に、矢那が。
今もしっかり全身を黒尽くめにした全身鎧を、嬉々として装備しながら、都心で一番高い場所を目指して移動している矢那を、玄武と莉子は知らない。
矢那の高校で別の組の隊長が対峙したという、漆黒の騎士だとは知らない。
魔力が当たり前に使える世界に於いて、無事に過ごせるかと心配する息子は、神をも滅ぼした男であり、この世界において並ぶ者が居るか居ないかという程の、隔絶した強者となっている事を知らない。
互いに真実の姿を知らない家族は、如何にしてこれから過ごしていくのか。そして矢那の産みの親の死の秘密を、彼が知る機会があるのだろうか。
そしてその事実を知った時、“不屈”は何を想い、どう動くのか。
その機会は、永遠に訪れることはないかもしれない。
または、すぐに訪れるかもしれない。
そして玄武と莉子がいる場所とは、少し離れた地区、二人と同じ装備を着た二人組が、薄暗い路地裏である人物と対峙していた。
富東 朝陽と伽夜の双子のコンビは、決して新米隊員という訳ではなかった。
八咫烏六番組は、主に諜報活動を得意とする部隊であり、当然任務中には様々な者と出会い、時には協力し、時には敵対し、二人は若いが数多くの場数を経験していた。
そんな二人が揃って、その場に固まっていた。
路地裏の非常灯に淡く照らされ、小雨に打たれ全身が艶っぽく濡れる女性が、コンクリートの地面に身体の大きさほどあるような巨大な注射器を刺していたのだ。
闇に溶け込むような漆黒のナース服姿だけでも異様だが、そのナース服のデザインが如何にも背徳的だったのだ。
「……エロ」
「……不潔」
朝陽と伽夜は、兄の性癖丸出しの“黒衣の天使”と、まさかの遭遇を果たしたのだった。





