衝撃
神奈川県と東京都の境辺りに建つその一軒家は、趣味の良い庭と古風な家屋の佇まいから、この土地に古くから在ることを、これを見るものに印象付けていた。そして実際に、この家の者達は先祖代々として、この地に住んでいた。
昨日、国会議事堂で起きたテロや都心部での異形の化け物の出現により、周辺地域に存在する学校は、私立公立関わらず休校となっている。そして、矢那が通っていた高校においては、運悪く誰かしらが召喚したであろうゴーレムが屋上に現れ、運良く矢那がその場に一人で居合わせた。その際に死にかけた矢那だったが、結果として異世界での記憶と力を取り戻していた。
ジーパンにシャツを合わせたラフな格好で、少し額に汗を滲ませていた。部屋のエアコンのスイッチは入れたが、先程に外から帰ってきたばかりな為か、自室の部屋の温度はまだ下がっておらず、ベッドに腰掛けながら暑そうに手で顔を扇いでいる。
そろそろ十七時になろうとしているが、まだまだ外は明るく、窓から熱気が見える様だった。そして、この家の中で現在エアコンが稼働し心地よい環境になりつつあるのは、この部屋だけであった。
矢那の携帯には両親と兄弟達から、“暗くなる頃には帰れそう”との連絡が入っていた為、今日は夕飯を自分で用意しなくて良いだろうと矢那は安堵していた。しかし一方では、これまでに得られた情報を家族が帰ってくる前に整理したいと考えており、立ち上がると部屋のカーテンを閉めた。
「【神火の銀時計】【形状変化】【精密な木偶人形】【接続】【ヤナビ】」
矢那がスキルの名を口にすると、先程まで左腕につけていた簡素な銀色の腕時計が燃え上がり、炎が部屋の中央に集まり出した。徐々に形が整い始めるとマネキンのような等身大の人形が現れ、続いて矢那が【接続】と発すると同時に、再度人形が燃え上がると、その形を変えていった。
「……一つ聞きたいんだが、何故に小悪魔風ナース?」
そして矢那の目の前に現れたのは、キュートでセクシーな白衣の小悪魔風美少女だった。
「当然、マスターの性的嗜好を元に再現し…」
「嘘だね!?」
「いえいえ、彼方の世界では少し情報が欠落しておりましたが、マスターの世界に来たことにより、よりはっきりとそのベッドの下の……」
「それにしても昨日のあのゴーレムは一体、何だったんだろうな」
「キリッとした顔と低い声でシリアスさを出したところで、マスターのスキルである【案内者】の私は、マスターのアノ本やソノ本やPCの中身など完璧に把握出来ていますので、誤魔化さなくても結構ですよ」
「クソッタレがぁあああ!」
既に先程まで座っていたベッドから転げ落ち、床に四つん這いになる矢那を、冷たい視線で見下ろす白衣の小悪魔風美少女という絵面は、まさに色々な意味で痛かった。
「ふっ……まぁいいさ。元のこの世界でネタ扱いされた時の心の痛みは、まさに痛恨の一撃に相応しいが、【不撓不屈】が発動している今の俺が、耐えられない痛みではない!」
「立ち上がりどこかの覇王様みたいに拳を突き上げられても、もうそのノリに乗るのも面倒なので、この世界の現状等の話に戻しても良いですか、マスター?」
「扱いが酷いな……まぁ、そうだな。昨日のアレは一体なんだったんだっていうのと、この世界を見て回りたいというヤナビの我が儘に付き合った結果は、うちの家族が帰ってくる前に整理しておきたいな」
「おぉ、超絶美形の双子の兄妹とか、やっと直に見ることが……うっ」
この時、偶然にも矢那の机の上に飾られている家族写真が目に入ったかのような仕草をしてから、ヤナビは目元に手を持っていき、涙を拭っていた。
「……なんだよ。何で泣くんだよ……」
「実の……兄妹なんですか?」
「どういう意味だコノヤロウ! 昨日も此処に帰ってきてそのリアクションしただろ! えぇ! そうですよ! 何回だって言ってやるよ! 俺だけ醜いアヒルだよチクショぉおおおお!」
「床を叩きながら号泣しなくても……マスター、私が悪かったですから、ね、心を強く持って、逞しく生きていきましょ? 顔やスタイルだけが、男の価値を決めませんよ」
再び床に四つん這いになる矢那の背中を摩りながら、ヤナビは優しく諭すのであった。
「男の価値なんて時代が決めるんだ、という事で、その辺の指摘は今は放置とする。大分話が逸れたが、今の状況を整理し、どのように動くか決めないとな」
「一先ず棚上げにすることで、マスターが立ち直ることが出来て幸いです。それで先ず最初に確認ですが、最終的には異世界『リンカークル』に戻るつもりなのですか?」
「勿論、一度きちんと戻る。セアラ達四人を千年も刻が過ぎた世界ではなく、あの時代に戻さないと王様やアメノの爺さん達が悲しすぎるからな」
矢那はヤナビの問いかけに、躊躇することなく即答した。当然、ヤナビもまた矢那の想いを理解している為、驚くこともない。しかし、矢那の口から改めて揺らぎのない意思を含んだ言葉を聞き、自然と顔に微笑みが浮かんでいた。しかし、矢那が連れて戻るといった者達の中に勇者達四人の名がなかったことに、首を傾げた。
「勇者様方は、如何されるのですか?」
「勇者の四人ねぇ……女神の話と昨日の体験から、記憶と力をこの世界で取り戻すのには命の危機に晒される必要があるんだろ? その条件だけなのであれば、塁さえ覚醒させてしまえば、どうとでもなるんだが」
「どうとでも?」
「ん? 命の危険に晒せばいいんだろ? 首以外なら【聖女】の塁が再生治癒できるんだから、適当に手足を斬り飛ばせば、瀕死になって覚醒するだろ」
「うわぁ……」
四肢を斬り飛ばすなどの鬼畜な所業を平然と言う矢那に、異世界で確かに勇者達に鍛錬という名の下で、彼等に似たような事を行っていることを知っているヤナビは、ただただドン引きしていた。
そんなヤナビの様子を尻目に矢那は、別の事を考えており頭を悩ませていた。
「てか、あいつらは別にあの世界に戻る必要性がないよな?」
「まぁ、そうですね。そもそもマスターだって、何れ死した際にはあの駄女神が迎えに来ると言っているのですから、そもそも生きている間に戻る必要もないのですが」
「俺は、セアラ達の件もあるしな。女神からリンカークルに転移する転移陣を教わってるし、当然またここに戻る術も抑えているから問題ない。ただ……勇者達をこの世界で瀕死にさせてまで、記憶と力を取り戻して、辛かった記憶とかを態々取り戻させることもないよなぁ……」
矢那はベッドの上に身体を預けるように倒れると、天井を仰ぎ見た。異世界で得られた経験は、決してこの世界で得られるものではない。まるでゲームのように魔法を使い、スキルを用いてモンスターと戦う。言葉だけ聞けば、そんな異世界に想いを馳せる者もいるだろう。
ただ現実は、そこまで単純なものではなかった。
生き物の命を奪う経験など、日本に普通に暮らしている高校生がそう簡単に経験しているものではなく、ましてや強くなるためとは言え、身体を痛みつけられることも、決して楽しいものなんてことはない。
異世界に召喚されたと言う浮世離れした異常な状況で、魔王を倒さなければ元の世界に帰ることが出来ないと言われ、半ば脅迫されているかのような状態だからこそ、あの異常な生活を許容できたと言うこともあるに違いなかった。
「しかしマスター、それでは彼女達とこの世界においては……」
「まぁ、白雪は同じクラスの知り合い、洸夜、有栖、塁はクラスも違うから、同じ高校の同学年って程度の付き合いだろうな」
「……マスターがそれで良いと言うのであれば、私はお節介を焼こうとは思いませんが」
やや非難めいた目線を矢那に送りながらも、矢那の想いもまたヤナビは汲み取り、その結果出てくるのは嘆息であった。
「素直じゃないんですから」
「うるせぇよ」
そのまま矢那は暫くベッドの上で、静かに目を瞑っていた。寝ているわけではない、かと言って思考するのを放棄しているわけでもない。そんな様子の矢那を、ヤナビは只々黙って見ているのだった。
十数分程、矢那はベッドの上で寝転んでいたが、息をひとつ大きく吐くと再び目を開いた。
「まぁ、なんだ。その辺りは緊急性が低いんだ。それよりも、セアラ達の捜索が優先順位一位だろ」
「セアラ様、アシェリ様、エディス様、ライ様がどのような形でこの世界に存在しているのか、マスターはどうお考えですか?」
「正直、全く検討が付かないな。事前に女神とその辺りの事を話した時も、あいつらがこちらの世界の理に対してどうなるか幾つかの可能性を言われただけだったからな」
矢那が異世界リンカークルから元の世界へと戻る際、勇者四人と共に連れてくる事になった要石の巫女達。彼女達をこの世界で見つけ出し、簒奪神との戦い直後の異世界へと戻ることを、矢那は心に決めていた。
「下位世界から上位世界への転移の影響は、異世界の神でも想像の域を出ないみたいだからな。しかし、もし肉体が消失し、こちらの世界で転生しているとかなったら厄介だな」
「白雪様のパターンですね」
「あぁ、そうなるともはや別人だから、異世界に戻るかどうかといえば、そうはならんだろうが……」
「マスターは、肉体を失っている可能性は低いと考えているんですよね?」
「あぁ、あいつらの身体は俺が神となる際に再び要石と成ったが、俺の神気を元に再構築されている。下位から上位の世界の壁を越えるにも、十分な素体である筈だ。ただ、可能性の一つとして転生もないわけじゃなから、考えとしては持っておくがな」
「そうなると、肉体のままこちらに転移したとなった場合、セアラ様とライ様は良いとして、アシェリ様は獣人、エディス様はエルフですから現状かなり困窮している可能性が高いのでは?」
獣人の特徴として耳と尻尾、エルフの特徴として長く尖った耳を持つ二人は、当然この世界においては存在しない種である。矢那が昨日の高校でのアイアンゴーレムとの戦闘で記憶と力を取り戻すまで、この世界に戻ってから二ヶ月程経っている。それまで彼女達がどの様な状況になっているかをヤナビは懸念していた。
「そこはなぁ、俺がこちらの世界に戻る際、ギリギリであの駄女神が言ってたろ」
“セアラ達もそちらの世界法則にそった姿形になっていたり、記憶とか因果とかその他もろもろあっちの管理神とかに迷惑かけるかもね。てへぺろ♪”
矢那は女神の去り際の言葉を思い出し、額に青筋を立てていた。
「と言うことで、アイツらが現状どんな状態なのか、さっぱりだ」
「いきなりマスターの敵として現れたりするかもしれませんね、あははは」
「やめろ、変なフラグを無理やりたてるな……」
深い渓谷のような皺を眉間に作る矢那は、周りを目線のみで窺うと再び目を閉じた。
「マスター……そろそろ現実を直視しませんか?」
「……なぁ、この世界って実は異世界とか、元の世界のパラレルワールドとかそんなオチあったりするか?」
「マスターの魂がもつ情報から、この世界は間違いなくマスターが住んでいた世界だと判断できます」
ヤナビの言葉に矢那は力なくベッドの上から下りると椅子に座り、頭を抱え込んだ。
「ヤナビ、ならば教えてくれ」
「なんなりと」
「何故、実家が防御障壁魔法陣で護られているんだ」
「マスターのご家族の誰か、もしくは関係者が魔法を使えるということでしょうね」
「何故、家の至る所に普通の家具や電化製品に見せかけて、魔道具らしきものがあるんだ」
「玄関、リビング、台所、洗面所、各個人部屋、トイレ等、家中に置かれており、全て自然に使われている形跡があることから、全員が魔法ないし魔力を扱う事が出来ることは確定的です」
「何故……その事を、俺だけ知らなかったのだろうか?」
「それについては私も当然疑問に思い、マスターの魂に記録されている記憶をチェックしたのですが……」
そこまで話したところで、それまで矢那を目を見ていたヤナビが、申し訳なさそうに目を逸らした。
「おい……ですがって、何だよ」
「何故かマスターの出生時から三歳までの記録が、何者かの手によってプロテクトされており、私でも見ることが出来ませんでした……ナゼデショウカネ」
「嘘だぁあああぁあああ!? 怖い怖い怖い怖い!? えぇ!? 何でだよ!?」
衝撃の事実に完全にパニックになる矢那の肩を、ヤナビは優しく掴み、真っ直ぐに矢那の目を見たのだった。
「どんまい」
「ごふひぇ……」
痛恨の一撃が矢那に見事に決まり、椅子から転げ落ちた。そして矢那は、わざと意識を手放した。
いつしかカーテンの外では陽の光が弱まる時間となり、暗き夜の刻が始まろうとしていた。
「はっ!? 気絶していた様だ。いやぁ、少し前の記憶がないなぁ」
「……棚上げ案件が増えすぎて、そのうち棚が壊れますよ」
「うるせぇよ! 棚上げしなくちゃやってられっか! そろそろ両親も弟、妹も帰ってくるんだぞ! どんな面して会えってんだよ!」
矢那が床を転げ回っていると、机の上に置いてあった携帯からメールが来た事を知らせる音が立て続けに鳴った。矢那は頭を押さえながら床を転がり続けているので、仕方なくヤナビが携帯を手にしメールボックスを開いた。
「おや?」
ほぼ同時に受信した四人のメッセージの文面は異なるが、内容は全て同じだった。
「ごふあ!? ヤナビ……なにしやがる……」
部屋の床を未だに頭を抱えながら転げ回る矢那の腹を、割と強めにヤナビは足蹴にし回転を止めた。
「そんな事より、ご家族から一斉に同じ内容のメールが来ましたよ。理由は其々異なりますが、全員が今日も家には帰れないのだそうです」
「ヤナビ、覚えてろよ……昨日もあんな世界中で大騒ぎになったのに家に帰って来ず、今日も俺以外は帰って来ないだと?」
「全員、都内には居るみたいですが、どうしますかマスター?」
床の上で胡座姿で考え込む様子に、ヤナビは茶々をそれ以上は入れる事なく静かに待ちながら、矢那を見ていた。
きっと自分の思った通りに、目の前の自分の創造主は動くのだろう。
あの世界でもそうだった。
傷付くと分かっていながら首を突っ込み、そして怪我をする。
その優しさと、本当はそんなに強くない心も含めて愛おしいのだ。
「昼間の美味いラーメン屋での事もあるし、ちょっと漆黒の騎士に成って行ってみるか。何やら起きそうな、そんな予感がするしな」
矢那の言葉に仰々しくヤナビは一礼し、言葉を繋ぐ。
「承知いたしました、私のマスター」
その顔は楽しげで、そして幸せそうに微笑んでいた。
さてさてお気づきの方は、もうわかっているとは思いますが、この回の登場人物達は『要石の巫女と不屈と呼ばれた凡人』の主要人物達です∠(`・ω・´)
言ってしまえば、『要石の巫女と不屈と呼ばれた凡人』は『終わりと始まりに嗤う』の前日譚の一つの物語とも言えるし、この話が『要石〜』の後日譚とも言えるかもしれません。
キニナルぅう!という方は、↓のほうにリンクがありますので、どうぞ!(゜∀゜)お楽しみに





