歓迎
楽々浦一月は、目の前の光景を見ながら、心の何処かで彌太郎の実力を疑っていた自分を恥じた。そしてエヴァに対しての尊敬の念を、より深いものとしていた。それと同時に帰還者に対する畏怖の念を、一月は感じずにはいられなかった。
「やはり、力を隠していただけだったのか……」
ギルド『宿り木』東京支部のビル屋上、出入り口の扉前で一月は、ルーカと彌太郎の戦闘を見ながら動くことが出来ないでいた。口元では無意識に唇を噛んでいるが、それは悔しさなのか憧れなのか。
一月にとって、エヴァは特別な存在である。
一月の祖父が『宿り木』ロンドン支部のパトロンの一人だった事もあり、幼い頃から直接エヴァと会う機会があった。その際にエヴァが見せてくれた魔法の数々は、七歳だった一月少年の心を鷲掴みにした。
実際の所、エヴァが魔法を披露したのは、ギルドのパトロン達を集めたパーティーのオープニングショーのようなものであり、一月の為に行った訳ではなかった。このような催しをエヴァは各国で行っており、目覚めし血脈の中で表の世界においても金と権力を持つ貴族から、多額の献金を集める事以外にも、先祖返りを見つける目的も兼ねていた。
エヴァは発動条件は非常に厳しいものの、固有スキルの有無を判別出来る術式を開発しており、定期的に開く献金パーティーの場で貴族達に協力させていた。一月も当時は固有スキルを発現させていなかったが、エヴァの術式により固有スキルを見出され、修行により自在に発現させる事が出来るようになり先祖返りとして、昨年ギルドに加入している。しかし、簡単に一人で固有スキルを扱えるようになった訳ではなかった。
固有スキルを保有している事が発覚した一月は、魔術師系の能力だった事もあり、エヴァが彼を一人前になるまで育てた。元々魔術師的素養が高い一月だったが、固有スキルの制御は簡単ではなかった。
そもそも固有スキルは、帰還者が異世界へと転移する際に獲得する能力であり、それは世界の壁を超えた肉体を持つ事が前提として成り立つものであった。その身に宿る力は、非常に強力且つ凶悪な力なのであるが故に、先祖返りが能力を制御するのには、通常は困難を極めた。
魂が元は帰還者であっても、先祖返りの肉体は世界の壁を超えていない普通の人間である以上、ハード面で能力が基本的に足りていない。結果として、“暴走”する事例は少なくなかった。
先祖返りに対し、帰還者は当然のことながら息をするかのように、何も気負うことなく固有スキルを行使することが出来る。その力が自分自身の魂と血肉から生み出された力であると、身の心も完全に理解しているからである。
国会議事堂のテロ事件が、“世界の理”を改変することが目的だったとエヴァから知らされた時、彌太郎は別室で寝かされていた為に一月は確認することが出来なかった。しかし、説明の為に一度事務所へと訪れたエヴァの顔を、一月は脳裏に鮮明に焼き付けられていた。
あんなに嬉しそうなエヴァの微笑みを、一月はこれまで見た事も、そして自分がエヴァにさせたこともありはしなかった。自他共にエヴァの弟子だと名乗れる程に、十年という時間を師弟として過ごした一月にとって、そのことは衝撃以外のなにものでもなかったのだ。
だから、事務所に入ってきた彌太郎を見た時、一月は嫉妬で気が狂いそうだった。
何故、お前なんだ?
何故、私ではないんだ?
何故、魔力の欠片も感じないような人間が、そこに立っているんだ!
心の底から湧き出る感情を抑え切ることは、一月には到底出来るはずもなかった。彌太郎の立っている場所を目指し、そして立つことを許されなかった彼にとって、その場所こそが自分が求めた夢であり目標だったからだ。
子供が拗ねて怒るように、彌太郎に食ってかかった一月だったが、エヴァが事務所を後に彌太郎がエヴァのことを“マスター”と発したことを切っ掛けに、再び冷静になることが出来た。
彌太郎が口にした“マスター”という言葉に、エヴァに対する親愛や尊敬等といった感情を一切として読み取る事が出来なかったのだ。他支部のギルドメンバー含め、一月が全員と面識があるわけでは無いが、自分が会ったことがあるギルメン全員が、エヴァに対して少なからず忠誠心の様な感情を持っていた。
何故、彌太郎からエヴァに対する忠誠心が見られないのか、一月には理解できない。しかし、それに相反するようなエヴァの笑顔。
彼女を愛するが故に、彼女の真意を理解したいと願う。ギルドメンバーが共通して知っている彼女の願い、それは元勇者にして彼女の元仲間である“嗤う男”と呼ばれる“神”を殺す事。彼女が喜ぶ理由は、結局はそれに行き着く。
彼女のする事に無意味な事など無く、彼の面倒を見るように指示されたということは、それが必要な事であるという事。自分の感情がエヴァの願いを妨げるものではあってはならない。だからこそ、一月は全力で彌太郎の面倒を見ると決断したのだった。
しかしその時はまだ、心の中では魔力を感じない彌太郎を見下し、エヴァと『主従の契約』を結んだ事も、強さ以外の何かしら特殊な能力を有している為だと考えた。彌太郎からエヴァへの忠誠心を感じなかった事も、一月の判断を誤らせる事となる。
文字通り彌太郎の面倒を見るということを、お守りのようなものだと考えた一月は、説明の途中から割り込んできた千乃と、彌太郎へのサポートの主導権争いをした際にも、エヴァから手渡されたオモチャを取り合ったぐらいの意識だった。
帰還者が弱いという事など、ありはしないのに。
一月の目の前で、超強化状態のルーカに対して、彌太郎は堂々と渡り合って戦っている。それどころか、ルーカは二丁拳銃を使用しているのに対し、彌太郎は無手で対応している。そして戦闘時間の経過とともに、明らかに彌太郎の魔力のプレッシャーは増しており、戦況もルーカが追い込まれ始めていたのだ。
ルーカの放つ銃弾は確実に彌太郎に届き、その度に傷口から血を噴き出しており、身体の状態だけを見れば、明らかに彌太郎の方が重傷なのは間違いなかった。初撃のルーカの魔弾を左腕で庇ったために、左腕も裂傷が酷く痛々しく鮮血で染まっている。
しかし、彼は嗤っていたのだ。
屋上に雨が降る
彼が雨を降らせていた
赤く紅く朱くと地を染める
狂ったかのように
嗤いながら
一月は、その光景を前に二言目が出ることがなかった。
“帰還者に、まともな者などいないさ”
かつて聞いたエヴァの言葉が、動画でも再生したかのように脳内で鮮明に響く。一月の本能が、ここから離れろと警鐘を鳴らす。彌太郎の強さではなく、狂気に身体が反応する。足は震え、自然と足が後ずさろうとしている。
「なんて……綺麗なの……」
「……十三千乃……」
しかし、一月は後退する事を許されなかった。すぐ横で同じように彌太郎とルーカの戦闘を見て固まっていた千乃が、光悦な表情をしながら、一月とは逆に一歩踏み出していたからだった。
「おい! それ以上進めば、血が……止まれ!」
千乃の足は、その歩みを止めはしなかった。そして、紅の雨が降る中心地へと、彼女は足を踏み入れた。
頭上で彌太郎とルーカが戦い、その下で千乃が両腕を広げながらくるくると楽しげに廻る。その身に、彌太郎が降らせる真紅の雨を纏う。
ソレは雨水よりも濃厚で、雨水より鉄臭く、雨水より人を狂わせる。そんな狂気の朱に、千乃は自らを染めていく。
千乃は感じる。朱に染まる自分の身体に、エヴァの魔力の残滓が彌太郎の血と共に纏わりついていることを。
エヴァは、千乃にとっての神である。
この世界に絶望し心折れ、地に這いつくばっていたあの時の彼女を救い出したのは、“嗤う男”ではなくエヴァだった。どちらが早く千乃を見つけていたか、実際にはそれだけの違いだ。だがしかし、それこそが彼女の大きな生き方の分岐点。
エヴァだったからこそ、今の千乃は宿り木に居るが、嗤う男にあの時に先に出会っていたならば、闇堕人になっていた事は間違いない。
偶然であろうとなかろうと、あの時に先に出会ったのがエヴァだった。
千乃にとって、それが全てなのである。
千乃は視る。自分に降り注ぐ彌太郎の血の雨に、エヴァの姿を幻視している。僅かでも含まれるエヴァの魔力にさえ、千乃は神を幻視している。だから千乃は、彌太郎を見ているが、その目に映るのはエヴァなのである。
そして、その二人の目の前で、ルーカが空中から地面に向かって蹴り落とされた。衝撃で屋上の床が震え、それだけでルーカの身体に与えるダメージの大きさが窺い知れた。
「……熱烈なファンを、既に一人獲得しているじゃないか、副支部長も隅に置けないな……それと、その青い眼は何だい?」
「全身をトラックで轢かれた位の傷だってのに、よくそんな軽口と、人の眼の色なんて気にしてられるな」
彌太郎は宙に浮いた状態で、屋上の出入り口の上に叩き落とされたルーカに対して呆れていた。明らかに重傷と言えるような状態で、身体を起こしたルーカは、脚を僅かに震わせながらも立ち上がると、千乃を横目に前髪をさっと掻き上げていた。
「いやいやいや……寧ろ全身を蜂の巣にされた人間が、平気そうに他人を呆れ顔で見下ろしている方が、よっぽどおかしいと思う」
「これくらいでおかしいとか言ったら、あっちの世界じゃ生きていけなかったんだよ。正直、異世界なんて変態ばっかだ」
「何もそこまで、そんな遠い目しなくても……!?」
軽口を吐きながら、彌太郎の瞳から光が失われたことに戸惑うルーカだが、次の瞬間には自分の視界から彌太郎が消えていた。そして直後に感じる背中にぞわりとした寒気は、彌太郎が放つ貫手が原因だった。
躊躇うことなく、ルーカの背中を穿つ為に、その貫手は放たれる。
その魂を綺麗に散らす為に、その矛は止まることはない……筈だった。
紅に染まる矛を止めたのは、銀色に輝く人狼だった。
「歓迎会は、一先ずはこれにてお開き。と言うことで、よろしいかな?」
「おぉ……元の世界にも、喋るモフモフが居たのかよ……」
自分の貫手を止めた銀狼の獣人に、思わず呟かずにはいられない彌太郎であった。





