一文が短過ぎる。
一昔前のケータイ小説から流行っていた形式だが、ウェブ小説やなろう小説でもよく見かける。
一文の定義は幅広いものの、私の指す一文は『一昔前のケータイ小説から流行っていた形式だが、ウェブ小説やなろう小説でもよく見かける。』詰まるところ、コレだ。文章が始まり、句点で終わる。このちょっとした文章のひとかたまりを一文と呼んでいる。
×エレナは必死に走った。裏通りはデコボコで、走り慣れていないせいか足が痛い。高いヒールが邪魔だ。きょろきょろ周囲を見回し、靴を路地裏に投げ捨てた。
○エレナはまろびながら懸命に足を動かした。舗装されていない裏通りの道は荒れ果て、馬車移動が日常である彼女の足を容赦なく痛めつける。一番の問題は靴だった。普段から愛用しているヒール靴だが、今は憎たらしく思えてくる。周囲に人目が無いことを確かめ、素早くピンク色のそれを脱ぐと路地裏へ投げ捨てた。
例文の×の一文はひとつひとつがあまりに短く、彼女ことエレナの置かれた情景を思い描きにくく、幼稚で臨場感にも乏しい。
長過ぎず短過ぎず、ほどよい臨場感に満ち、脳裏に情景の浮かぶ一文を考えるのは確かに難しい。例文は私が考えているため、自分ならもっと上手く書ける!という方も多々おられることだろう。
ウェブ小説の位置づけは、昔から「疲れた頭を空っぽにして読める」という点に尽きる。出来るだけ文章は簡易にすべき、そんな風潮だ。
ウェブ小説しか読まない若い世代には実感が無いかもしれないが、私のような古い純文学を好み、スレ●ヤーズ等のライトノベル黄金期を経験した世代は、ウェブ小説の一文にもう少しばかり肉付けが欲しいと思ってしまう。
仕事に疲れた頭で情景を想像しにくい一文の集まりを読むと、想像力の限界を迎えて逆に疲れてしまうのだ。
若い世代もウェブ小説だけではなく、ぜひ純文学や古いライトノベルまで嗜んでみて欲しい。表現力がグッと上がるはずだ。