ホーリーホーリーいもホーリー
今回は、前々回に引き続き芋ほりの話。
コンビニで都会っ子の芋ほりを楽しむのもいいけれど、泥にまみれ、思う存分自然と戯れ、芋を発掘するのはもっとエキサイティング。といっても前回芋ほりをしたのは15年くらい前。両親に連れられ、埼玉の田舎でさつま芋ほりをした。あまりよく覚えていないが、軍手についた芋のひょろひょろした根っこと、手からぱらぱら落ちる土の情景は断片的に思い出せる。いざ腰を据え、土を掻いていくと、紫色のサツマイモが突然姿を見せ、しめしめ、妹より先に見つけたぞ、などと思いながら芋の周りの土を退けていく。お芋様を傷つけないように泥を払うと、ずんぐりとした全身が現れる。目の前で芋と対峙する。振り返ってお母さんにみてみてーと見せる。なんたる原始的な体験。狩猟採集の時代に、洞穴で待っている家族に木の実を持ち帰ってくる時の気持ちって、こんな感じなのか。
しかし忘れてはいけない。この収穫体験は農業のほんの一部で、土を育てたり、害虫を取ったり、本来の農業は子供を育てるように大変で文字通り泥臭いのだ。子供だったからそんなことは考えなかったが、食料をゲット、いや確保する喜びは、体で感じ取ったと思う。
芋ほり。それは、成熟した一人一人の芋を、彼らの仲間たちの集落から食物連鎖のループに引き入れる儀式であると共に、人類の営みに思いを馳せることのできる聖なるひとときであったのだ。