芋ートワーク
10年後のわたしへ
いま、世間ではコロナウイルスが流行っています。
外出もあまりできず、7歳の杏菜も学校が休校となってしまい家にいるので、家は動物園のようにひっちゃかめっちゃかです。ほら、今も、学校に色鉛筆を忘れた、と騒いでいます。
幸いわたしは、いまはwebマガジンの編集部署にいるので、会社に行かなくてもたいていの仕事はできます。でも、担当している料理雑誌が企画していた味噌作り講習会は、中止になってしまいました。準備も着々と進めていたし、講師をしてくださる先生も、企画を持って行った時からとても乗り気だっただけに、残念でした。編集部長になって2年目が経ちますが、今までの部長の仕事の中で一番、様々なことへの決断が難しいと日々感じています。部下とも直接会って話せないので、時間もないしこれで決行してしまえ、と、どうしても独りよがりの決断になってしまうのです。彼らの意見を大事にしたいけれど、会わないとあちらも反論があっても、部長の手前言いづらいでしょうから。
丈治は、転職して、オフィスのインテリアコーディネーターをやっています。家のインテリアも楽しいと言っていたけれど、その当時の丈治の職場では、インテリアの会社なのに、自分たちのオフィスの内装には気を遣っていなかったみたいです。それで、自分たちができていないことを、お客さんに提案するのは違うと思ったんですね。それで、1日のうち3分の1を過ごすオフィスを、パフォーマンスが最大限発揮できる環境にしたいという思いが芽生えて、今の会社に入ったんです。でも、早くも目的を達成しちゃったのでしょうか。今は、ゆくゆくは、家具をデザインしたいと言っています。
彼はいつもそうですけど、ある程度体験したら満足してしまうんです。一つの物事を極めるよりかは、自分の活躍できるフィールドをどんどん広げたいのかなってわたし昔は思ってましたけど、それも違うみたい。彼は、目的を達成する、という一つのことを人生をかけて極めてるんです。これに気づくのに何年もかかりましたけど、彼、だんだん目的を達成するのが早くなってる。達成する道筋を立てるのも上手くなったし、失敗しても、今までの実務経験から得た、立て直しかたのケーススタディが頭に入ってるから、乗り越えるのが簡単になってきたんです。この仮説も、合ってるかわかりませんけど。とにかく、丈治は分析しがいのある人です。きっと、10年後のわたしもまた新たな仮説を思いついているんでしょうね。
丈治は失敗した家具のスケッチを捨ててしまうけど、わたしはくしゃくしゃになった紙をくず籠から取り出して、キッチン横のコルクボードにピンで留めています。いつか役立つかもしれないし、自分の他人の失敗は、他人から見たら失敗じゃないことも多いですから。ごちゃごちゃと説教くさいこと言いましたけど、何よりわたしが素敵だと思う家具のデザインを、毎日見たいだけなんですけどね。
外の楽しみが消えてしまう一方で、料理は家にいてもできるので、わたしはMacにブックマークしておいた、作りたい芋のレシピのリストを一つずつ、消化していくことにしました。料理雑誌の編集部長がこんなとき料理しないで、だれがするものですか。丈治の昔の会社みたいのは、やっぱりだめよね。まずは、自分自身がお客さんに恥じない生活を送らないと。初めて作る芋料理が失敗して捨てても、丈治はゴミ箱から拾ってくれないだろうけど、相変わらずどんな料理でも食べてくれます。
にしても、このご時世、ご馳走さまって皮肉な言葉。色んなところを駆け回って食料を調達して作るっていう意味だけど、外出できない中、ネットスーパーや宅配で揃えた食材を使って、毎日料理をしている現代人には、そんな言葉は悲しく響くだけだなあと感じます。
はあ、気付いたら、丈治のことばかり書いてしまいました。きっと、10年後のわたしがそのまた10年後のわたしに手紙を書いても、自分よりも丈治のことをつらつら書くんでしょうね。わたしってほんと変わらない。
これから、10年前にわたしがわたし宛に書いた手紙を読もうと思いますが、封筒を透かした時点で、もう丈治、丈治、丈治の文字がたくさん見えます。わたしは自分に手紙を書いているのに、ラブレターになってしまうようです。
それでは、このあたりでお暇しようと思います。もうコロナウイルスは収まっていると思うけれど、健康には気をつけてくださいね。
かしこ