┣【アニエスの報告書 その1】
【はじめに】
アニエス・ルセブルはここに記す。
レヌ領ルネケラズの国境警備の任についていた時、卑劣な〈殴り猿〉が私を闇討ちし、兄上から賜った〈喚び出しの杖〉を盗まれてしまう。取り戻そうと奮戦し、追い詰めることに成功した。……しかし、ここで異常なことが起きた。突如として足下に“魔方陣”が現れたのだ。気がつけば私は、“ニホン”と呼ばれる世界、モリヤ家にやって来ていた。私はしばらくの間、ここに身を寄せることにする。
私は一歩遅かった。愚かにもこの家の長男・ユウゴと名乗る男が、〈殴り猿〉を捕らえる好機を逸したどころか、何と外へ逃がしたのが原因だ。こいつが悪い。
私にも責任がないとも言えず、本来なら自害すべき案件だろう。だがこの世界で〈殴り猿〉を追えるのは私だけ――生き恥を晒してでも生き、奴を捕らえることを使命とする。
次にニホンと言う国についても報告してゆく。
まずこの世界・この国は驚くことばかりだ。未だに混乱している故、調査をしながら都度記してゆくことにする。(なのでこれは、あくまで私の手記・覚え書き程度で見ておいて欲しい)
今言えることは、高い技術力を有していることだ。私がいた世界における“魔術錬金”と呼ばれる新技術を駆使して作られた、“魔道具”をも上回っているかもしれない。
如何なるものか、ここに一つだけ記す。
それは“テレビ”と言うもの。厚さ指二本分くらい(キル・ハミカラムとか言う作家のぶ厚い本ほど)の広い板に、何と人が入っているのである。
彼らは箱の中で世界各地の出来事、食い物の紹介や大道芸、果ては国政の真似事など、多くを演じて私を愉しませてくれる。私は彼らを“薄っぺら族”と呼ぶことにする。
【モリヤ家について】
見知らぬ世界に逃亡した猿を見つけるのは困難だ。その捜索拠点が出来たことは非常に心強い。手狭で掃除が行き届いていないが、贅沢は言えぬ立場なので我慢する。
・サキコ……モリヤ家の内儀。夫はどこか遠くにやられたようだ。年は四十一歳。年ほどの見た目ではなく、まだまだ女の盛りのように見受けられる。
・ユウゴ……モリヤ家の嫡男。ブ男ではないが、何ができるのかまるで判らない。十七歳にも拘わらず、家に許婚が居ないことにも納得がゆく男だ。自己紹介で『ごく平凡な男さ』なんて言ったら、恐らくぶん殴っていた。言わなかったが。
モリヤ家の家族構成についてはこのようなところか。
私が元いた世界では、見知らぬ世界からやってきた男と恋に落ちる話が人気を博しているが……やはり創作は創作である。過度な期待はせぬ方がいい。
【ニホンの食とそれに伴う調理器具について】
この国では朝昼晩・一日三回の食事を摂る。朝は軽めに、夜がメインのようだ。
長男が育ち盛り(十七歳のいい年した大人だが)のためか、朝は白米に卵料理、そして鳥を揚げたものが出される。
ここで驚いたのが、何と鳥を揚げるのに油を使わないことである。“でんしれんじ”と呼ばれる箱に放り込むだけで、何と温かくて美味い揚げ物が出来ていたのだ。
これが本当に美味かった。肉汁と油感、そして塩気が効いた衣が何とも言えず、出されたそれをあっという間に平らげてしまった。家主であるサキコは気をよくしたのか、“とんかつ”と言う物を作ってくれた。これがもう、生きている内に食えてよかったと思えるほど美味い。羨ましがれ。
主なる食糧は米であるらしいのだが、小麦や蕎麦なども豊富である。
どうしてなのか、これに関する考察はまた後日にしよう。
食い物も豊かであれば調味料もまた豊富にある。
・しょうゆ……発酵豆の絞り汁? 塩気の強い黒い液体。臭いはあまり気にならない。
・しちみ……恐らくラウグ豆を乾燥、すりつぶしたもの。赤くて辛い。
・こしょう……恐らくポイブルの実を潰したもの。黒くて辛い。
・しお……塩だった
・みそ……排泄物のような色。臭いもやや。“しょうゆ”はこれから出る汁であるらしい(信じられないだろうが)。しかし食って見ると、意外と塩気があって悪くない。
“しょうゆ”と“みそ”なのだが、これが“国の臭い”かもしれない。人や空気、どこかでこの臭いがする。
気が乗ったので、“でんしれんじ”以外の調理器具についても記す。
・あいえっちこんろ……真っ平らな板の一部を押すだけで、火と同じ熱を生じる。名称については不明。
・ぽっど……ここに水を入れると、勝手に湯になる
・すいはんき……ここに洗った米を入れると、勝手に米が炊ける
・れいぞうこ……食材を冷やして長期保存を可能とする。
・こーひーめーかー……挽いたコーヒーの粉を入れると、コーヒーを作ることができる。
・みきさー……粉ひきなどをしてくれる。ぐるぐる回る。
・でんわ……ぶ厚い板を持って楽しく独り言を喋るもの。“すまほ”とも呼ぶらしい。
※これらを動かすには“でんき”なるものが必要であるらしい。
そして、“でんき”とは、いかずちの弱いものであるようだ。これを使った“でんとう”は、蝋燭がなくとも屋内を昼間のように明るく照らす。
【街について(建造物や道についても記す)】
特筆すべきは、この世界に魔物がいないことである。
これによって民は悠々自適に外を出歩けるようだ。
・建造物……
建物や道などすべて石で出来ている。建物は大小様々(ここで厄介になるモリヤ家は一回り小さくて、ショボいと判った)、形状も函型であったり三角屋根であったり、屋根の色までも違う。
資源が豊富、各々の個性を重視しているのだが、統一性がなく我々の世界ものと比べるとチグハグさを感じずにはいられない。
・道……
私は“道”に驚きと、感心を抱く。
この国は食料自給はあまり高くなく、国内外からの輸入に頼っている、とユウゴより教わった。
そのようなことで大丈夫なのか、と不安を抱くであろうが、それを可能にしているのが、補給路――すなわち“道”の整備だと私は考える。
道は切り出した石を敷き詰めているだけでなく、隙間もなく真っ平らである。土の道は一切見られない。
荷車も揺れや衝撃による故障が少ないため、時間のロスが少なくなるのだと考える。
荷車に関してもまるで違う。
どのような仕組みなのか、馬などをまったく使用せず、荷車そのものが高速(ユニコーンがオカマを突き殺しにゆくぐらいの速さ)で走るのである。その荷車は、“じどうしゃ”と呼ばれるようだ。
また“じどうしゃ”だけでなく、“じてんしゃ”と言う乗り物がある。
これは、<ボーンド・ホース>の胴体……両前脚・後脚を車輪にしたようなものだ。鎖と歯車を組み合わせ、ペダルを踏んで後方の車輪を回転させる。
興味を引いたのはこれに乗るのはほぼ女で、黒い面覆い・アームカバーと重騎兵を彷彿とさせる装備をしている。
・商業区域……
食材などは“すーぱー”や店が建ち並ぶ商店街で買うらしい。
商店街にて鍛冶屋らしき店を見つけたので、今度そこで剣を研いでもらおうと思う。
以前の討伐任務の時、オークの頭を叩き斬ってから少し剣の斬れ味が悪い。
【ニホン人について】
裕福な部類に入るだろう。平均寿命が八十四歳と言う驚異的な長寿国である。
医術が発達しているおかげと言え、身体が弱い者でもここなら――。
だが、老若男女のバランスがすこぶる悪い。若者は風が吹けば空を舞うようなほど軽く、老人が鉄靴となって均衡を図っているような状態。また女が子を産まないため、人口が減り続けていると言う。
※若者について
女は年齢から十ほど引いて見る方がいい。顔も中身も。高い声をよく発する。
社会に出る者が多い。……だが男が目を向ける、声をかける、近づく。そして気を使って身体に触れたりしても罪になるらしい。(新手の山賊か?)
魔物いないからか、男も線が細くて少しひ弱に見える。
※魔物がいなくなった時、我々の世界もこうなる恐れがある。今から対策を講じるべき。
【イマイチな食い物】
ニホンの食い物は美味いものが多いが、その逆のものもある。
・こんにゃく……スライム体を固めたような、ぶにゃぶにゃとした弾力。見た目は石かと思った。臭い。信じられないことに、元々は芋であるという。
・なっとう……豆を腐らせたもの。嫌がらせかと思ったが、普通に食ってるので食い物なのだろう。私が家に居る間は出さないで欲しい。臭い。
・きゃべつ……ルシュ菜かと思われる野菜。付け合わせに細く切ったのが山になって出ることが多い。嫌いではないのだが、揚げ物の下敷きにしている油を吸ったこれは少々……。
――だいたいはこんな所だろう。
今日はユウゴの学び舎に行って疲れたので、続きはまた後日にする。
(備忘録)
・〈殴り猿〉の行動について。
私が杖を持っていることを知っていた?
※“でんわ”について(追記)
板に向かって独り言を喋るので、私はこの世界は病んでいるのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
板の上下に穴が空いていて、そこから人と会話ができるもののようだ。ユウゴも小型のものを使用しており、私も“マサカ”と呼ばれる少女と話してみた。
驚いたことに、それはただの板ではなかった。遠く離れていても真横に人がいるかと思えるくらい、鮮明な声が届けられる板なのである。“でんぱ”がどうのと説明を受けたが、これが広まれば我々の連携力は飛躍的に向上するであろう。
※マサカ……正しくはクマイ・マサカ。ユウゴと幼馴染みのようだ。低い声、痩せ型で日によく焼けた活発な少女である。快活で、中々の働き者に見受けられる。
未だ奉公に出てないようだが、健康な子を産めそうなしっかりとした腰つきをしている彼女であれば、きっと近く良家から声がかかるに違いない。




