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8.化けの皮を引っぺがせ

 翌日。正佳にファントムの見つけ方を話すと、彼女は急にすんすんと鼻を鳴らしながら自身の匂いを確かめだした。


「魚臭いのも移るかも?」

「移り香ってその意味じゃないぞ……」


 正佳は唸りながら、何度も襟首や腋の付近などを嗅いでゆく。

 昔はよく周りから『磯臭い』とからかわれていたのだが、本人はこれを『船の中で寝てるようなもんだからなー』と明るく笑っていたので、今は言う者はいない。

 しかし、やはりどこかで気にしていたのかもしれない。


「うーん、それに汗臭いかもなぁ……」

「そんなに気にすることないんじゃないか?」

「えー? だってほら、CMとかでも『臭い』って言って避けてくじゃないか。佑護だって臭いのヤだろ?」

「まぁ確かに嫌だけど、正佳の匂いをそうだと思ったことは一度もないぞ」

「……え?」正佳は口をぽかんと開いたまま俺を見た。「ほ、本当か?」

「あ、ああ」


 汗の臭いは嫌いではない。それに本人が臭いと言うほど、汗臭くもないのだ。

 正佳は「そうか」とはにかみ、「実は男用の消臭剤でも効かなかったんだよなー」と何度も頷いた。


 ファントムは演劇部員だけに憑いているとは限らない。

 だが、目に入る同級生を注意深く観察してみるも、 誰がと思い始めると全員が疑わしくなってしまう。いつもと違った行動をしていると思っても、『その日の気分』というものがある。

 アニエスの言う通り、これで発見することは難しかった。

 昼の時間。正佳と共に食堂に向かい、俺は彼女の作ってくれた弁当を食べながらその話をしていた。


「二年生の中にいることは確かだよ! ライティングの二十問テスト、あたし5点だったし!」

「それは普段通りじゃないのか」


 正佳の30点前後なので、影響を受けた可能性は否めないが。


「俺は勘が当たって50点だった」

「確定じゃないか!」

「何だと!?」


 心外である。

 そんな話していると、お好み焼きの皿を手にしたアニエスがやって来た。昼の時間になると姿を現したのだ。


「ふぁんふぉむは、学ひやのそふぉにも出へひる」

「行儀が悪いから席に着くまで食うんじゃない」

「ん――それはこの世界のきまりであろう。それよりこの“オコノミ”を食べて判った。ファントムはユウゴの母君に憑いていたようだ」

「何だと! いや、どうして判るんだ?」

「家で食べるのと同じ味だ」お好み焼きの乗った皿を小さく掲げた。

「……」「……」

「む、どうした? 二人して黙り込んで」

「料理人は同じなんだな、と……」

「ここ確か、半分くらい冷凍食品だからなー……」


 この食堂も業務スーパーが御用達であるらしい。


「ふうむ? まぁそれはいいとして、“ブカツ”と言うのはいつ始まるのだ?」

「放課後だよ。授業が終わってからだから、あと四時間ぐらいだな。あの丸いやつの短い針が“4”を差したくらい」

「えぇっと――何だ、まだかなりあるのではないか。おおそうだ、それまでサンドラの部屋で昼寝をするとしよう。ユウゴ、時間になったら起こしにきてくれ」

「お前、ホントこの世界を満喫してるな……」



 今のこいつに、学校にいるモンスターを減らそうという頭はないようである。


 自堕落を極めつつあるアニエスを置いて、学校では昼の授業が始められる。

 しかし俺だけ違い、チャイムが鳴るなり霧島先輩に呼び出されると、


「私に鼻折らせるか、あのアニエスのバカを相談室から追い出せ」


 と、メリケンサックをはめた拳で壁ドンされてしまったのである。

 場所は人気のない用具室の近く。悲鳴をあげても誰も気づかないだろう。


「で、出来ませぇん……」

「あ? 私への返事にNOはないんだよ」


 拳で頬をぐりぐりされてしまう。『先輩って意外といい匂いがするんだな』などと考え、理不尽さに耐えるほかなかった。


「ったく……」と悪態を吐きながら離れると、先輩は正面の壁にもたれながら腰を落とした。「代わりに、授業フケんの付き合えよ」

「え、ええっ!? じゅ、授業はちゃんと受けないと」

「真面目か。一時間だけでいーよ」


 先輩は宙を見つめながら、細く長い息を吐いた。

 いったい何をされるのかと戦々恐々としていたものの、五分、十分と過ぎても何も起きず、ただ静かな時間が流れてゆく。次のアクションがあったのは、二十分が過ぎようとしていた頃であった。


「お前さ――熊井と、どう言う関係なんだ?」

「え?」

「その、つ、付き合ってたりすんのか?」

「い、いえ!? 正佳とはただの幼馴染みで……!」

「そ、そうか……!」


 霧島先輩は期待外れな表情だったが、頬は少し赤く染まっている。


「だけど、そんな間柄って普段何してんだ?」

「普段? うーん……」


 思い返してみると特別何もしていない。

 ただ暇なときにメールや電話をしたり、学校の帰りに買い食いをしたりする程度だ。


「休みの日とかさ、どっか行くのか?」

「どっちも釣りが好きなので、たまに一緒に行くぐらいですかね」

「なるほど」


 顎に手をやってうんうんと頷く。短いスカートから白いものが覗いていることに気づき、慌てて目を逸らした。

 正佳との関係に興味があるのか、周りから冷やかされないか、どんな会話をしているのか、など授業終わりのチャイムが鳴るまで質問攻めにされてしまう。

 そして、ずっとそのような話をしていたせいだろうか。教室に戻って正佳の顔を見ると、ついそのような目で彼女を見てしまっていた。


「何だ? あたしの顔に何かついてるか?」

「あ、いや何でもないっ」


 慌てて目を逸らす。正佳も言われてみれば女子だ。

 普段から化粧っ気はなく男顔だが、それぞれのパーツが整っている。それに身体は滑らかな曲線を描いている。

 俺は何か話題をと思い、前の授業の様子など取り留めのないことを訊ねた。


「ああ、そうそう。さっきも小テストあったんだよ」


 正佳はニコニコとして言った。


「その様子じゃ、良い点とれたようだな」

「うんにゃ。あたしが古典苦手なの知ってるだろー。何と過去最低の2点だった!」

「ダメじゃん……」


 あっはっは、と腕を組んで笑うものの俺は少し申し訳なくなった。俺の防衛部の手伝いにより、勉強が疎かになっているに違いないのだ。


「正佳、あまり俺にかまけなくてもいいぞ。勉強できてないだろ」

「地がダメなら勉強しても一緒だよ。それに前にも言っただろ、あたしはまだまだ余裕あるって」


 屈託なく笑う正佳。それ見た俺は何か違和感を覚えた。


「それに今回は難しかったようだぞ。周りの奴らも最低点更新しまくりだ!」

「赤信号、みなで渡れば怖くないってか」

「そーいうこと!」


 からからと笑う。その後すぐに五時間目の授業のチャイムが鳴り、俺たちはそれぞれの席に戻った。

 残りの二時間は滞りなく進んだ。その間、俺はアニエスをいつ起こすか、どうやってファントムを追い詰めるかなどの作戦を考え続ける。

 そして授業が終わるとすぐ、正佳と共に演劇部が練習するホールへ向かった。

 手順は既に打ち合わせ済み。俺は男子部員に、正佳は女子部員に、一人ずつこっそりと指輪を向けてゆく方法である。

 女子部員の数が圧倒的に多いため、正佳はホールに入るなり実行を始めた。

 俺は男子部員と行動を共にしていたが、途中で別れ、相談室で爆睡していたアニエスを起こしに向かった。


 演劇部の練習は十八時に終わる。

 ちょうどその頃に姿を現したアニエスを中心に、俺と正佳はそれぞれの結果を報告し合った。


「女子全員にあたったけど、誰も反応なかったなー」


 正佳は頭の後ろで手を組み、唇を尖らせる。見つからなかったことが悔しそうだ。


「そうか。男はどうだ?」

「いや」


 俺が首を振ると、アニエスは難しそうに唸った。それを見た正佳が口を開く。


「もういないんじゃないかー?」


 食い下がると思っていたが、意外にもアニエスは「そうだな」とあっさりとした返事をする。


「じゃ、帰ろうぜー!」


 ニコニコと笑顔を浮かべたその時、


「ユウゴ、やはり“ぶいん”にはおらぬのだな」


 と言い、俺は「ああ」と返事をすると同時に正佳に指輪を向けた。


「ちょ、ちょっとなんだよ!?」

「正佳。お前は嘘をつく時、小鼻が膨らむんだ」

「え……」


 正佳は慌てて自分の鼻に手をやった。


「俺が戻ってきた時、お前は『まだまだ余裕ある』って言ったよな。前に言った時は小鼻が膨らんだのに、今日はそれがなかった」

「そ、そんなのは……」

「もう一つ――お前の席の周りにいるのは、クラスでも成績がいい奴ばかりだ。そして何人かに訊けば、あのテストはいつも通りだったと言う」

「う、く……」


 正佳は顔に冷や汗を浮かべ、狼狽した。


「お前がファントムだ。観念しろ」


 俺はその肩を掴みながら言うと、正佳の身体きゅうにくたっと力が抜けた。

 慌てて抱き止めると同時に、どこからか〈負けました〉と声が響く。


「好き放題放蕩しおって! さあ戻ってこい!」

〈お嬢はオモチャにするし、こき使うから嫌です〉


 声が反発し、アニエスの目が見開いた。「何だと!?」


「お嬢……って、アニエスのことか? てか、『戻ってこい』って何だ?」

〈私はお嬢の兄・ユーグ様に付き従っていたもの。先日、杖と共に私の〈チップ〉を預けられていたのです。あまりの杜撰(ずさん)な管理に呆れ、警告ついでに羽を伸ばしてみました〉

「お前まさか……」


 アニエスに目を向けると、下手くそな口笛を吹いて誤魔化そうとしていた。

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