6.諸悪の根源はどっちだ
アニエスが相談室に入ったのを確かめ、俺たちも急いで後を追った。
開いた扉から『くんなよッ!』と、霧島先輩の凄みのある声が飛び出ている。
「アニエスッ、何してるんだ!」
騒動を起こしてはマズい。俺は慌てて彼女を止めに入った。
「ユウゴか。こいつは、私が追っている女ではないかと思ってな」
「ち、違うってんだろうが! ぶっ殺すぞ!」
「その金髪と顔、特に見覚えがある」
「が、外人だからだよ! アンタだってそうじゃん!」
「レヌ領の近辺はこの髪色が多いからな。お前も隣のクラウスの出だろう」
「な、何それ、そんな地名聞いたことなーい! 馬鹿ぁ?」
「やはり、クラウス域は品も学もない奴が多い」
「んだとッ、トャーランのドブ女――つ゛ッ!?」
霧島先輩は慌てて口を押さえた。
確かトャーランはアニエスの出身地で、この世界で知るのは俺と正佳だけのはずだ。
どうしてそれを、初めて会ったはずの先輩が知っているのか。考えられることは一つだった。
「ふ、ふふふ……やはり、サンドラか……!」
アニエスは肩で笑い、剣の柄に手をかけた。霧島先輩は「あ、あわわ……」と二、三歩後ずさりし、革のソファーの上に転んでもなお後ろに退こうとする。
「そこになおれッ! 我が積年の恨み、ここで晴らしてくれるわッ!」
「ま、待てアニエス!」「アニー、ストップッ、ストーップ!?」
俺と正佳は同時に動き、剣を抜いたアニエスを全力で止めていた。
話し合える状況になったのは、それから約五分後のことである。
アニエスは部屋の入り口前に立ち、俺と正佳の二人はおそるおそる革の高級ソファーの上に腰掛けると、霧島先輩は深くて長いため息を吐いた。
「……お前、どうやってここに来たんだよ」
「知らん。お前を殺してやりたいとの祈りが、神に通じたのだろう」
先輩は狼狽した。これまでのイカつい素行から想像できない、弱々しい姿だ。
「こ、殺してってそんな物騒な……」
俺は慌てて諫めた。一歩間違えれば血を見かねない。
「殺すだけじゃ物足りんほどだッ! こいつが私から金を欺し取ったせいで、見合いは流れ、辺境地にやられるハメになったのだからなッ!」
先輩は顔を背けた。
「か、金を欺し取った?」
「そうだ! このサンドラは、『エビの養殖業をしよう。一匹二ザンの稚魚が将来、百二十ザンになる。一年で倍は儲かる』と持ちかけ、金を持って逃げたのだ!」
「それって……」
正佳と顔を見合わせた。
――騙される方がアホなやつではないか
そう言いたいのをぐっと堪えると、先輩は言葉強く反論した。
「あ、あんな明らかに胡散臭い話に、ホイホイと六百万ザンも出すなよ! 当時のうちにそんなデカい事業できるわきゃねえだろうが、マヌケッ!」
「何だとッ!」アニエスは剣を抜こうとすると、「やるか!」と先輩も身構えた。いつの間にか手にメリケンサックらしきものがはめられている。
「そもそも、左遷された原因は、お前が討伐隊の〈チップ〉に手をつけたからだろうが!」
「な、何を言うかッ! お前が『うちで安く処理できるから』と言ったからであろうが! 返せッ! 私の金を今すぐ返せッ!」
「無理だね! この日本での地位と学校設立のために、父がみーんな使っちまった。唾くらいならくれてやるよ!」
「ぐぬぬぬ……。ならばその首で払ってもらおう! フォンテーナ家の首を欲する奴は多いからな! 特にお前の、サンドラ・フォンテーナの首であれば、百万ザンくらいになろう!」
剣を引き抜いたアニエス、殴りかかろうとする先輩。
俺と正佳はそれぞれの間に割って入り、必死で宥めすかした。
「学校の中だから……!」「決闘は法律違反です……!」
「ふんッ!」何とか剣を納めさせたものの、アニエスの怒りは収まっていない。「どうしてこの学び舎に〈チップ〉が出回っているのか、それが判っただけでも収穫としよう」
すると霧島先輩も怒りの矛を下ろし、がっくりと肩を落として髪を掻き上げた。
「中身飛び出すなんて思いもしねえよ……。ゴーレムの対モンスター機能外すんじゃなかった、クソッ……」
「ユウゴらが言っていた警備なんたらは、やはりお前らの〈ゴーレム〉か」
腕を組むアニエスに目を向けた。
「き、起動を止めていた? と言うか、ゴーレム……?」
「サンドラの家を守っていたゴーレム兵だ。金色の悪趣味なやつ」
「うっさい!」
こちらの世界でも、向こうの世界でも守るものは同じなのだろう。
つまり、それを起動していなかったから……、
「俺の財布が盗まれても何も起こらず、〈喚び出しの杖〉で出てきたモンスターも排除できなかったのは……」
霧島先輩は「そうだよ」と唇を尖らせながら言った。
休校中、校内に蔓延っていたのは先輩が退治していたと話す。
「ん? お前今〈喚び出しの杖〉って言ったか?」
「え? ああ、はい。アニエスがそれを奪われたらしく――」
するとアニエスは突然「ば、馬鹿者ッ!?」と声を荒げた。
「奪われた? あれって、お前の兄・ユーグ殿が管理するやつだろ。なんでアニエスが持ってんだよ」
「い、いや、それはその……兄上から預かって……」
「預かっていても容易く奪えないだろ。特にお前からは」
「す、隙を突かれて……」
「まさか出しっぱなしにしてて、それを持っていかれたとかじゃないだろうな……? そんなことないよな……?」
アニエスはあうあうと、酸欠の金魚のように喘ぎだした。
「バッカじゃねーのお前ッ!? あれ、国宝レベルの代物だろッ!?」
「う、うるさいッ! やはりお前はここで斬るッ!」
「口封じする気か!?」
再び剣を引き抜いたアニエスに、俺は抱きつく格好で止めた。
やけに必死だと思っていたが、そのはずだ。
兄の物、ひいては国宝級の代物を、うっかりでは済まないミスで盗まれた。極刑では済まないやらかしなのだ。
はぁと肩を落とした霧島先輩であったが、「そうだ!」と指を立てた。
「アタシらは互いに後ろめたいものがる。ここで一つ、手を組まないか?」
「私に犯罪の片棒を担げと言うか」
「ここにきて綺麗ごと言えるか。まぁ互いの尻拭いだよ。お前の失敗で魔物が出てきたけれど、ここに原因となる〈チップ〉を持ち込んだのは私だ。私はその魔物どもを排したいと思っているところに、その魔物退治のスペシャリストがきた――となれば、分かるだろ?」
「……つまり、お前の手足となって魔物を狩れと」
「私の下にいる間は、杖のこと黙っていてやるよ」
ふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべる先輩。
アニエスは悔しげに歯を噛みしめ、手には硬い握り拳を作った。
「しかし、首輪をつけられているのはお前も同じ。私の方かも提案を出したい」
「何だ?」
「空の〈チップ〉があるだろう? 魔物を封じた時、それと交換してもらいたい」
「空の? まぁいいが」
「よし」アニエスは頷くと、俺と正佳の方に笑みを向けた。「と言うことだ、ユウゴ、マサカ」
「は?」「へ?」
「ここでは〈チップ〉はお前たちが使う通貨。指輪に封じた魔物を持ってくれば、私が換金してやろう」
「お、お前まさか……」
資本家と労働者。働きたくなければ、働かせる側に立てばいい。
アニエスはしたたかな笑みを浮かべていた――。
そしてこの日の夜。
思わぬ“仕事”を担わされることになった俺は、グループ会話機能を使い、正佳・霧島先輩と細かな打ち合わせを行っていた。
『あたしは別に構わないかな。アニーの言うことも尤もだと思うし』
正佳が言うと、サンドラこと霧島先輩が『私もそう思う』と賛同する。
それは、アニエスはただ責任の分散が目的で発言したわけではなく、ちゃんとした目的もあってのことであった。
モンスターは校内だけでなく、街の中にも流れている。
それぞれテリトリーを持つのだが、その領域が狭い=弱いことであり、それらは学校など大きな建物などに群がりやすい。だが逆に、広いテリトリーを持つ者は強いと言うことであり、広い街中に潜んでいることが多い。
弱いものは俺たちでも倒せる上に、霧島先輩もいる。
つまり街中にいる強敵は、手練れのアニエスに任せる方が安全、かつ効率がいいのである。
「しかし、アニエス一人で大丈夫なのか?」
「私を甘く見るな」
腕が鳴る、と気持ちを昂ぶらせるアニエス。すると急にスマホの画面を注視すると、舌を出して『べー』っとし始めた。
『……何かよく分からないけど、ムカつくことしてるな』と霧島先輩。
そして正佳が苦笑した。『あはは……。あ、霧島センパイに訊きたいんですが、これって一応、部活ってことになるのですか?』
『まぁー、そっちのが動きやすいしな。熊井の料理部は掛け持ちOKだろ?』
『はい。大丈夫です』
「ちなみに俺も――」
『菜園部ってあったのか? 初めて聞いたぞ』
「部員一人ですからねー……」
『何でそんな非効率なもの作ったんだよ』
「それは……」
『センパイ! 野菜はお金を生むんですよ!』
正佳が割って入る。
種の元手が安く、味や見た目に拘らなければ基本どこでも育つ。収穫したものは売れ、そのまま置いておけば種が出来、植えたらまた実がなる――と、ごく単純な考えからだ。
『なるほど。ニワトリは金になる卵を産むのと同じ考えか。どこぞのアホも見習うべきだ』
「ふん。大金を得る頃には年老い、若さと言う財を逸してしまっているわ」
アニエスと霧島先輩は対照的、真逆の考え方のようである。
「まぁそれはさておき――サンドラ、この街に劇場はあるか?」
『劇場? 何でまた』
「いやその、そこが好きな魔物がいるかもしれぬからな……!」
『劇場が好きな魔物……お前まさか〈ファントム〉まで逃がしたんじゃないだろうな……?』
「か、仮の話だ、うん!」
『だけどこの街に劇場はねーぞ。映画館ならあるけど』
「何ぞその“えいがかん”というのは」
映画館の説明を求められた時、スマホから『劇場とは違うかもだけど……』と、正佳が遠慮がちに言ってきた。
『学校のホールがそれに近いんじゃないでしょうか。演劇部が即売会でやる舞台の練習してますし』
学校の真ん中に、集会や公演・講習会などで使用される大きなホールがある。
演劇部が利用すれば、そこは劇場に近いものになるだろう。
「だけど、なんで正佳がそんなの知ってるんだ?」
『えへへ……。実は人手が足りなくて、あたしが練習の手伝いに行ってるんだよ』
「ああなるほど」
「よし。ならそこを優先して当たってくれ。ファントムはイタズラ好きだから、くれぐれも気をつけてな」
『やはり逃がしたな……』
霧島先輩の言葉に、俺と正佳はうんと頷いた。




