4.アニエスと学校へ
初日は混迷を極めていたテレビも落ち着きを見せ始め、モンスターに住宅が襲われた、怪我を負わされた、飼い犬のドッグフードを食べられた――などの主に地元テレビ局による報道が続いていた。
「〈オーク〉に〈ダイアウルフ〉か」
アニエスはペンを片手に独り言を続ける。机には俺が用意した街の地図が広げられている。
「本当に行くのか……?」
「当然だ。商業地域を抑えられると流通が止まる。そして学び舎は街の資産、それにお前もゆかねばならぬのだろう」
言ってペンを置き、立ち上がった。
緑色のコートのベルトはきゅっと締められ、腰には長剣が携わっている。
俺が学校に行くと聞くと、『学び舎の様子を見にゆきたい』と言ってきたのだ。
「それと途中、“商店街”と言う商いの通りに寄りたい」
「やはりそれが目的か……」
薄桃色の唇の両端を上げるアニエスに、俺は肩を落とす。
この国の料理のバリエーションはどれくらいあるのか、と訊ねられ、数え切れないほどだと答えると途端に興味を示したのだ。料理本を見せながら、中華やカレー屋などの料理屋があると説明すると、居ても立ってもいられない様子だった。
とは言え餅は餅屋。街に出現したモンスターが彼女の世界の存在なら、それの討伐を生業にする者に任せた方がいい。街について知っている方が何かと便利だろう。
「じゃあ行くか。はぐれるなよ?」
「私は子供でもなければ犬でもない」
俺はスニーカーに、アニエスは革のブーツに〈グリーヴ〉と呼ぶ鉄のすね当てを装着して家を出る。
学校はしばらく休校となっているので、格好はTシャツにチノパンとラフな格好だ。それ以外――ヘルメットなど防具の類は何一つ身につけていない。
「本当にこんな軽装でいいのか?」
「大丈夫だと言っておろう。昔は危険なのもいたが、魔を統べていた将が討たれてからと言うもの、残党は人間に倒されていった。今残っている多くは、末端の雑魚ばかりだ」
「じゃああの、学校に出てきた馬もそうなのか? 確か角が二本あったけど」
「ああ〈バイコーン〉か。たまに心臓を貫かれる奴がいるくらいで、大した脅威ではないぞ」
「驚異的すぎるわ!?」
やはり日本人とこいつとの“危険”の認識に、大きな差異があるらしい。
家から商店街に向かう途中、忙しく興味が移るアニエスであったが、特に関心を寄せたのは車であった。
「やはりあの“くるま”と言うものは凄いな……」
「アニエスの世界って、やっぱり馬車が主流なの?」
「うむ。揺れが少ないものが最近出たばかりだ。それと“くるま”が走るための道も、すべて石――とんでもない資源と技術が使われている。もしこれを持っていけたら、みな仰天顔を浮かべるだろうな」
くっくと笑みを浮かべる。
その顔は悪戯を思い付いた子供のような、実に楽しそうな顔だった。
この街には大型商業施設がないのもあってか、150mほどと比較的長めの商店街は“シャッター通り”とは縁が遠い場所となっている。だがモンスター騒動のせいか、朝の十時を過ぎても三分の二ほどの店舗がシャッターを下ろしたままとなっていた。
アニエスはそれでも興奮を隠さず、まるで犬のように営業中の店先を覗き込んでは、おお、なんと、と新鮮な反応を見せ続ける。やはり食べ物に関しては特に関心があるらしく、
「この国は豊かなのだな。野菜や魚だけでなく、肉までも食いきれないほどある」
と、八百屋を後に嬉しげに何度も頷いてみせた。
「日本は飽食の国と言われているし、確かにそうかもしれないな」
「母君はよく炊いた米を出してくれるが、この国では小麦はあまり育たぬのか?」
「うーん……主流ではないかもしれないな。梅雨があるせいで、多くの地が栽培に適していないとか、育てても品質が低く、外国産の方が安くつのもあって自給率が低い、とか聞いた覚えがあるが」
なるほど、とアニエスは頷く。
彼女は食に関して好き嫌いは少なく、拒否したのは蒟蒻ぐらいだ。また粘っこいものも食べたがらないが、こちらは元から食べる文化がないと話した。
金物や薬屋なども覗いていたが、ふとある時から彼女は顔を難しく「うーむ……」と唸り、商店街を抜けた頃になると、いよいよ腕を組んで思案に耽り始めた。
「さっきから難しい顔しているが、いったいどうしたんだ?」
「この世界、いや住民に疑問を感じているのだ」
「この世界って……日本人にか?」
「魔物が出没していると言うのに、どうして街の者は変わらず務めに出ておるのだ? 肝が据わっていると言えば聞こえは良いが、ここまでくると阿呆と言うか、私の世界ではあり得ぬことぞ」
「あー……」
どう言っていいか分からず、頬骨の辺りを人差し指で掻いた。
商店街を行き交う人は少なく、ヘルメットやバットなどを持った人が殆どであるが、中には普段通りスーツ姿のサラリーマンらしき人も見受けられる。
「国民性、と言うのか? 嵐が来ようが、吹雪が来ようが、もし明日、世界が滅ぶと判っていても『とりあえず出社』ってな暗黙の社会ルールがあるんだ」
「もしここか牢獄にゆくかと迫られれば、私は迷わず牢獄を選ぶであろう」
商店街を抜けると、真っ直ぐ学校に向かって歩く。
いつもは生徒でごった返す歩道も、今はゴーストタウンのように寂としていた。
校門の鉄柵は閉ざされているが、一部が破壊され人が通れるほどの入り口が出来ている。アニエスと共にそこを通り、俺の菜園のある校舎の裏へと向かった。
「作物は……大丈夫そうだな」
「ほう。ユウゴは畑をやっておったのか」
「ああ。今はこれが生命線だからな、何としてでも守らないと」
ジョウロを手に、ポリバケツから水を汲む。
藻が生え緑色に濁っているが、作物にはこの水の方がいいのだそうだ。
何度か往復し、水撒き終えようとしたその時、
「――何者だ!」
背後から並々ならないアニエスの声が響いた。振り返ると、剣の柄に手をやり身構えるアニエスと、
「ま、正佳!?」
その向こうにいたのは何と、小麦色に日焼けした女子・正佳だった。白いシャツにハーフパンツ姿で、アニエスの険とした声に、バットを手にしたまま驚き立ちすくんでいる。
「“まさか”……? おお、昨日の箱の中にいた者か!」
アニエスは居直ると、小走りで正佳に駆け寄ってゆく。
互いに自己紹介をしていても、面と向かうのは初めてだ。ジョウロを足下に置き、アニエスの後を追いかけた。
「ほう。大きさは一般の人と変わらないのか。これでいったい、どうやって板の中に入るのだ?」
「え? な、何の話だ……? と、と言うか誰?」
じろじろ、ぐいぐいくるアニエスに、正佳は顎を引いてしまっている。
「正佳、これが昨日話したアニエスだ」
「あ、あー……」
奇人を見るような目で納得した後、俺に説明を求めた。
とは言え、俺自身どう説明していいか分からない。とりあえず、アニエスはこの世界の人間ではないこと、学校に現れたモンスターは彼女の世界のもの、彼女はそれを狩る者であることを伝える。
「――なーんか、分かったような、分からないような」
正佳は半信半疑に、うーんと唸り首を捻る。
「私はどうやってあの板に入るのかが分からん」
とアニエス。彼女にスマホの説明をするには、恐らく電波のことから話さねばならないので割愛する。
「まっ、祐護が信じてるならあたしも信じるよ」
「いいのか、それで……?」
「いーの、いーの! それで、さっそくモンスター退治か?」
「いや、街の案内を兼ねて畑の様子を見に来たんだ」
「あー。確かに財布が盗まれた今、この畑だけが生命線だもんなあ。……だけど、〈即売会〉までに間に合うのか?」
「ああ。それまでには実るだろうけど、問題はどれだけ無事に収穫できるか、そして売れるかだな」
正佳と揃って心配そうな目を畑に向けた。
即売会とは言わば文化祭である。夏休み前に催され、文化部が主となって店が出され、そこでの収益はそのまま自分たちのものとなる。
俺はそこで作物を売り、足りないテストの点数を補おうと計画しているのだ。
「じゃあ、あたしの料理部と共同出店ってことにしたらいいじゃん!」
「え? でもそれだと、料理部の儲け減るだろ?」
「料理部は基本的に個々で動くからさ。分配もそれに応じてるし」
なるほど、と俺は頷いた。
正佳の料理の腕は相当なもので、彼女の手が加われば素人が作る野菜も確実に売ることができる。
「よし、それで動くか!」
「おっけー! だけど即売会まで、どうにか守らなきゃなー……。道中、ウサギみたいなの数匹ぶっ飛ばしてきたけど、作物は反撃できないし」
物騒なワードが聞こえたものの、特に驚きはしなかった。正佳の父親は漁師で、その気性の荒さを受け継いでいるのか、昔から先に手が出るのだ。
すると、話を聞いていたアニエスが感心したように頷いた。
「ウサギと言うと〈ジャッカ・ロープ〉だな。あれを倒すとは中々のもの――しかし、倒したのをそのまましておくと面倒なので、これを使うといい」
アニエスは腰のポーチから指輪を差し出す。灰色の透明な宝石がハメ込まれた、飾り気のないものだ。
「これは……?」
「〈吸魔の指輪〉と言うものだ。倒した魔物をここに収容することができる。一時封印も可能だ」
正佳に渡すと、アニエスはもう一つ同じものを俺に差し出す。
「指輪には多く捕らえておけぬゆえ、捕らえたら私の所に持ってくるがいい」




