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3.モンスター襲来

 財布の盗難届けを提出するも担任の反応は渋かった。

 押し込み強盗に遭ったようなものなのに、と言いたくなるのだが、これにはちゃんとした理由がある。

 この学校をはじめとして、街には“円”に代わる特別な通貨・〈メダル〉と呼ばれる何のひねりもない金貨が使用されている。百枚でカード型のプレートになる。

 無地もしくは何らかの生き物が刻印されるメダルは、どう言うわけか不正に取得できず、不正に取得しようとすれば、どこからか“断罪者”が現れ処罰されてしまう。――つまりは、『盗まれた』などと訴え出る者は、ほぼ嘘として扱われるのだ。


 分かってはいたが、と肩を落としながら廊下を歩く。

 この学校における成績評価は、学力ではなく一定の期間内にどれだけのメダルを集められたかを見る。

 盗まれた額はメダル約二百八十枚。俺の学年・二年は、一学期中に五百枚以上集めることがノルマとされている。


 金を得る方法は、大きく二つ――。

 まず一つは学生の“本業”である勉強。

 これは定期テストや小テストなどの点数で計算され、|《五科目の平均点×5》の額が与えられる。

 そしてもう一つは、“副業”である部活動。

 運動部は大会などの成績に応じて、文化部はそれぞれの技能を活かしたモノ作りやサービスによる収入を得る。


 俺のテストの平均点は六十点前後。

 次の期末で三百枚を獲得すると考えても、一学期終業式までに二百枚稼ぐ手立てを確立せねばならないだろう。


「これは、アニエスにかかっているのか……?」


 終業式までに猿を捕らえ、俺の財布を取り戻す。これが何よりの解決方法だろう。

 彼女に何としてでも捕らえるように頼まなければ、そう思いながら廊下を歩き続ける。

 二年のクラスがある三階に足をかけたその時、突然、ガラスが割れる大きな音がした。


『きゃああああああ――ッ』


 直後、女の悲鳴がし、ガァンッと何か硬いものが叩きつけられる音が響き渡る。


「な、なんだ!?」


 喧嘩にしては物々しい。慌てて駆けつけると、教室前は愕然とするものへと変貌していた。

 廊下の上には()の字にひしゃげた教室の扉が、割れたガラスの破片が散乱している。周りには立ち尽くす男子と女子。そして何より、角が生えた灰色の馬が廊下の上に立っていたのである。

 馬は嘶き、威嚇するように前脚を高く持ち上げる。周囲の生徒たちは慄き、一斉に距離を取った。そこで初めて馬の角が二本あることに気付く。


 ――モンスター


 真っ先にそれが頭をよぎった。

 アニエスと猿が転移してきたのならば、他のモンスターがいてもおかしくない。

 馬は興奮し、ふーっ、ふーっと鼻息を荒げている。よく見ると、馬体には大小様々な傷があり弱っているように見受けられた。

 誰かが『警備員はまだか……!』と叫んだその時、非常ベルの音がジリリッと鳴り響き始めた。


「WHINNNNNY――!!」


 馬はこれに驚いたのか、正気を失ったように頭を振り跳ね周り始めた。

 いよいよ手がつけられなくなったと思ったその時、馬の向こうに見知った顔があることに気付いた。真っ黒な髪に、日に焼けた肌の女子・正佳である。

 同級生の女の子を守るように肩を抱き、馬を睨みつける。

 すると暴れ馬はその気配に気づいたのか、反発するように角の切っ先を向けた。


「正佳ッ!」


 俺は反射的に近くにあった箒を握り、馬が廊下を踏みしめると同時に投げつけていた。

 投げ槍のように飛んでいったそれは、偶然にも馬の脚の下に滑り込んだ。


「――!!」


 駆け出す寸前。脚に箒の柄が絡まり、馬は前のめりに転がった。

 小さな地響きと共に悲鳴が起こる。


「やったか……?」


 言ってはならない言葉だと、言った直後に気付いた。

 それを証明するように、しばらく廊下の上で身もだえしていた馬はゆらりと起き上がり、今度は俺を睨みつける。

 背筋に冷たいものを感じた。しかし馬は向かってくることはなく、おもむろに教室の中に戻ってゆく。その後すぐガラスを破る音が起こった。


 どうやら反対側の窓を突き破り、校庭から外に逃げたらしい。

 だが、学校に現れたモンスターはそれだけじゃなかった。鳥や人骨、果ては小さな悪魔のようなものまで次々と現れていたのである。学校中がパニックに陥り、俺たちは一斉帰宅を命じられた。

 帰宅後、一時間もしない内に地元テレビやラジオは緊急放送に切り替え、突然現れたモンスターの一挙一動を伝えるようになっていた。

 

「忌々しい猿めッ!」


 アニエスはこれを注視しながら、親指の爪をギリギリと噛みながら忌々しげに唸る。


「猿って、あ、あれが原因なのか?」

「その通りだ。やはり杖の使い方を知っておった――ああくそッ! ……いやまて、あんな数の〈チップ〉を奴はどこで得た? 奪われたのは三枚だけのはず……」


 わしわしと金色の髪を掻き乱すアニエス。

 彼女の言葉が気になった俺は、何のことかと訊ねた。


「我々は魔物の多くは殺さず、弱らせたまま封じ込めているのだ。そして〈喚び出しの杖〉を使い、然るべき場所で奴らを解放する」


 アニエスはそう言い、腰に下げている革袋から一枚のメダルを取り出した。「これが封印用の〈チップ〉だ」


「これって……」


 金色の丸いメダル。俺はそれに見覚えがあった。


「が、学校で使われているメダルじゃないか!」


 これにアニエスは片眉を上げた。「そんなはずはない」


「真ん中に描かれている牛の絵も見たことがある。確かにそうだ」


 俺はポケットからメダルを取り出した。

 訝しみながら受取り観察していた彼女であったが、次第に表情を険しく〈チップ〉と呼んだそれと口語に見比べ始める。


「馬鹿な、この世界にどうして――いや、だがそれならこの騒動にも説明がつく」

「まさか……あの猿が学校にいた、のか?」


 アニエスは頷いた。「屋上かどこかに隠れ潜み、杖を使ったのだろう」


「ちょっとその時の様子を訊いてみる」


 ポケットからスマホを取り出し、それを知るであろう人物・正佳に電話をかけてみることにした。三回ほど呼び出し音がした後、『もしもし!?』と慌て声が迎えた。


「ちょっと訊きたいことあるんだけど、今いいか?」

『あ、ああ。いいぞ』

「あの馬の化け物とかが出た時の状況って、分かるか?」

『え? えぇっと……あたしも聞いただけだから詳しく分からないんだけど、B組の奴がメダルを取り出した時に、突然にゅって出てきたみたいだぞ』

「突然、か……」

『な、何か分かったのか?』

「ああ、実は……」


 俺は言い留まった。アニエスに話していいことか、まず訊かねばならないと思ったからだ。目だけをチラりと向けるとそこに、怪訝な目でこちらを見ている彼女の姿があった。


「お前も板と話をするとは……この国の奴らは頭がやられているのか?」

「違うわっ!?」


 スマホから『どうした!?』と、正佳が驚く声をあげた。


「何だっ、それは何なのだ! 板から声がするぞ!」


 アニエスはおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせ、俺の腕にしがみつく。そして強引にスマホを奪い取ると、


『も、もしもし!? 祐護っ、どうした祐護っ!?』

「どこだ? どこに人が入っている――む、この穴か? おーい、誰かいるか?」

『え、あ、だ、誰だ?』

「おおっ、返事がきた! しかし、この世界の者は先に自分の名を名乗らぬのか? おい、聞こえるか? 我が名はアニエス・ルセブル。レヌ領・トャーランの出だ。ルネケラズ国境警備を務めていたが、ワケあってユウゴのところで世話になっておる」

『祐護が言ってた女って……あ、ああ、私は熊井正佳と言います! えっと、祐護と同じ鹿茸商業高校の二年生ですっ!』

「クマイマサカ?」

『あ、熊井は苗字で、正佳は名前です』

「ふむ。ならばマサカか。よろしく頼む」

『こ、こちらこそ、よろしくお願いします……?』


 計らずして二人の自己紹介が終わった。しかしアニエスはスマホの中に正佳がいると思い込んでいるため、「この板から出られぬのか」「窮屈ではないのか」などと質問し続けた。

 何とかスマホを奪い返したものの、どう説明していいか分からず窮してしまう。なので「後で詳しい説明をする」と伝えるのが精一杯だった。


『わ、分かった……!』


 困惑する正佳の姿が容易に想像できた。

 それからしばらくの沈黙が続いた後、スマホの向こうから小さな声で『あのさ……』と呼びかけられる。


『今日、助けてくれてありがとな……』

「え? あ、あああれか……」


 そしてまた沈黙が続く。正佳はそれに耐えかねたように『じゃ、じゃあまた学校でなー!』と言って、電話を切った。


「学校、か……」


 するとその時、横にいたアニエスがニマリと笑みを浮かべた。


「学び舎の調査に赴かねばな」


 彼女の声は、うきうきと弾んでいるようだった。

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