・(番外)ある日の相談室にて
この日、私は学び舎にやって来ていた。
報告書を書いていたのだが、気になることがあったからだ。
目的地はもちろん、“そうだんしつ”と名のサンドラの居室である。外はうだるような暑さであるが、ここは涼しくて居心地がいい。
「サンドラッ、おるか!」
「だから、くんなつってんだろうが!」
サンドラはソファーの上に深く腰掛け、手のひらほどの本を広げていた。
こちらの世界の書物らしく、絵と会話で物語を進めてゆくらしい。ユウゴもよく読んでいるが、字が読めない私には如何せん面白さが分からない。
「お前にいくらか訊きたいことがある」
「普通にソファーに腰かけんじゃねーよ。耳あんのかお前」
「この世界にどうやって来た?」
「だから聞けよ、人の話をよッ!」
いきり立つサンドラであったが、やがて諦めきったような息を吐いた。
「で、何だって……?」
「フォンテーナ家が、どのようにしてここに来たかだ」
「どのように、ってそりゃ〈転移陣〉を使ったに決まってんだろ」
どこかで聞いたような名だが思い出せぬ。首を傾げると、サンドラが「“魔錬金術”の」と言葉を付け足した。そこでやっと、一本の線になって繋がった。
「おお! あれか、確か魔物どもを魔界に送り返すための案の……って、あれは頓挫して研究は取りやめになったのではないか?」
「一部でやってたんだよ。うちが資金提供してな」
なるほど、そうであったか。
確か十年前だったか、あの頃はフォンテーナ家も金があったからな。
「研究中、妙なモンが現れるようになってよ。その出どこの調査をしていたら、ここにやって来る術を見つけたってことだ」
「ふむ……。だが私は、そのようなものに関わった覚えがない? 突然、足下に魔術紋が浮かび上がったのはどうしてだ?」
「知るかよ。たまたま転移の印が浮かんで、繋がったんじゃねーの。この世界のモンがあっちにいった時みたいによ」
「うぅむ、そんな都合よく……」
「守屋の部屋に行ったとき、あのカーテンの紋様もそれっぽい形していたし、月明かりを受けて形が出来たんだろ」
魔術紋はすべて作らなくてもいい。こちらと向こうで同じものが出来れば可能であると言う。
「そうであったか」
私は帽子をテーブルの上に置き、ため息を吐きながら髪を掻き上げた。蒸れた髪を冷たい空気が撫でる。
「疲れてんのか」
「まぁそうとも言える。報告書を書いていたのだが、どうにもユウゴのことが気にかかってな」
「へぇ」
サンドラは前のめりになり、興味ありげに眉を上げた。
「残念だが、お前が望むようなものではない」
「なんだ」
そう言って体重をソファーの背もたれに預けた。
「マサカのことだ。幼馴染み以上の念を抱いておろう」
「まぁ、そうだろうな」
「十七歳と言えば、もう親なり自分が決めた相手の家に入る頃だろう」
「向こうとこっちでは慣習が全然違うんだよ」
こちらでは、“恋人”という交際期間を経てから結婚があると言う。
我々の世界も似たものだが、事情が少し違っている。
「ニュアンス的には“同棲”が近いよ。女が男の家で暮らしてから結婚すんなら」
「ふぅむ……マサカなら我々の世界では引く手は多いだろうに、勿体ない」
「その……何だ、アニエスにもいたんだろ? 持参金を増やそうとしたんなら……」
「ああ。何ごともなければ、翌々月くらいには返事をしようと思っていた」
ばつが悪そうな顔を浮かべるサンドラ。
親が決めた相手であり、向こうの家に入ってから一ヶ月後に持参金を持ってゆかれたのだ。
「何と言うかその――」
「結果的にあれで良かったかもしれぬ。あのまま妻になり剣を置いていれば、必ず未練を残す生涯を送っていたであろうしな」
「そ、そうか……」
しばらく、沈黙の時間が過ぎる。
「――ところで、相手は誰だったんだ?」
「バシュレ卿の嫡男。ジュラルド殿だ」
はーっ、とサンドラは嘆息した。
フォンテーナ家でも上がれないような名家だからである。
「やっぱ、武勲を立てる家は違うな」
「私もあまり乗り気ではなかったのだが、兄上の件があるのでな……少々、権力のある家が必要だったのだ」
「ああ……」
サンドラは納得したように頷く。
「……んん? バシュレ卿って、第一子を産んだのは三十とかじゃなかったか。その嫡男って――」
「今年で確か十六だ」
「はぁ!? って、ちょっと待て、あれが六年前だから……じゅ、十歳そこそこのガキに、十近く離れた年増選んだのかよ!?」
「し、仕方あるまい。あの家は病に弱く早死にが多い……子の数よりも、強い母胎と血を取り入れる方を選んだのだろう」
線は細く、剣は五十回も振れないほど。色も白さくて小柄なため、初めて顔を合わせた時は女かと見間違えたほどであった。
「そのデカ尻に潰されっぱなしになるな」
「乗っかれば押しのけられぬほど、ひ弱だ」
「だけど、結婚する気だったんなら、お前もそいつを気に入ったってことだろ?」
「まあそうとも言えるか。私も女であるし、子を産むのが神に与えられた責務――そこで、この方とならと思えたからな」
「羨ましい限りだよ」
そう言うと、サンドラは“れいぞうこ”から緑色の瓶とグラスを二つ取りだし、私から更に話を聞き出そうとした。




