3.新たな来訪者
人騒がせなファントムの事件から幾日。
徘徊する変態・人体模型も日常の光景になりつつあり、学校も落ち着きを見せていた。
しかしこの人体模型、霧島先輩には大不評である。放課後の相談室には人体模型の姿はなく、代わりに骸骨顔の霊魂姿のファントムがあった。
「あの姿で私の前に現れたら、問答無用でぶっ潰すからな」
〈承知しました〉
ファントムが返事をすると、ソファーに座っていたアニエスが不満げな顔を向けた。
「私のしもべだ。勝手に命じるな」
「ここは私の学校だ! そもそも部外者のくせに、なんで好き勝手出入りしてんだよ!」
これに関しては先輩が正しく、俺の隣にいた正佳も苦笑するしかない。
正佳が所属する“料理部”を紹介してからと言うもの、即売会に出品する料理の試作・試食会を目当てに顔を出してくるのだ。ここの料理で舌が肥えているのか、味つけの指摘も割と的確だという。
〈今の主人はお嬢ではなく、ユウゴ様であります〉
「う、むぅ――む?」
アニエスが難しく唸った時、周囲の空気が歪んだ。
除湿機も加湿器も、エアコンも動いていない。にも拘わらず、相談室のテーブルを中心に風が渦巻いている。
この異様さに先輩やアニエスは立ち上がり、武器を手にして身構えた。
「くッ、次は何だよ!」
「これはいったい……!」
正佳は俺の腕にしがみつきながら、白い筋となった風の渦を見守っていた。
〈召喚の円陣です〉
ファントムがそう言うと同時に、風の渦は天井にまで巻き上がった。目を開けることすら困難な風圧をこらえ、やがてそれが止んだのを感じた俺は、硬く瞑った瞼をおそるおそる開いた。
すると正面のテーブルの上に、先ほどまで無かった人の影があった。
「Hm......」
それは紛れもなく人である。
長身の男で、両サイドを短く刈り込んだ金髪。右側には青い稲妻状のメッシュが入っている。緑色のラインが入った黒衣を纏い、赤い柄の槍を背にしている。
そしてその顔つきはどこか――
「あ、兄上ッ!?」「ユーグ殿ッ!?」
アニエスと先輩は、動きを揃えてその場に傅いた。
やはり、と思った。どことなくアニエスに似ているのだ。
「Mm.AN ! nd......Sndy ?」
霧島先輩がびくっと身体を震わせる。それと同時にアニエスは顔を上げ、
「Frst , pls s t trnsltn drg !」
そう言いながら腰のポーチに手をやるが、男が手でそれを抑し、自身のポーチから何かの薬瓶を取りだした。緑色のそれに見覚えがある。
男はそれをぐっと飲み干すと、「どうだ?」と傅く二人に声をかけた。
「問題ありません、兄上」アニエスが言うと、
「しかとこちらの世界・日本の言葉になっております」霧島先輩も慎み深く述べる。
「ふむ。流石はトゥーダの翻薬〈ナ2号〉か」
アニエスと微妙に意思の疎通が出来ない理由が判った気がする。
「手を煩わせてしまいました」
「薬の副作用だ。構わぬ」
「それでその……兄上は何ゆえここに?」
「お前が姿を消したと聞き、急いで痕跡を辿ってきたのだ。身を落としているのではと案じていたが、壮健そうで安心した」
「はっ、しかし恥ずかしながら――」顔を伏せたまま、それ以上は口に出来ないようだ。
「聞いている。〈喚び出しの杖〉を奪われ、それを追っていたと」
アニエスは返事に窮した。しかしすぐ、顔を伏せたまま「申し訳ございません」と弱々しい声で切り出した。
「本来ならば死して詫びるべき失態。ですが、この世で杖を追えるのは私だけ……恥を忍びつつ生き存えております」
全員が『嘘つけ!』と思ったに違いない。
現に横で傅く霧島先輩は、言い表しようのない蔑む目でアニエスを見ている。
「して……そこにいるのはサンドラか?」
「うっ……。は、はい……」
「お待ちください兄上。サンドラは憎むべき相手でありますが、今は彼女と共に〈殴り猿〉を追っています。どうかこの場は剣を納めていただきたく願います」
アニエスの兄は顎を揉んだ。
「……ふむ。恨んでいた相手の助命を求めるとは。これまでのお前ならば、サンドラの首を差し出し、此度の失態から目を逸らさせようとしたであろう」
流石はアニエスの兄。妹の性格と行動をよく分かっている。
そんな兄妹の横で霧島先輩が「私の極刑を前提にして話を進めるな」と、眉を寄せていた。
アニエスの兄は次に俺たちに目を向け、つま先から頭の先まで確かめるように眺めてゆく。
「アニエス。この者たちは?」
「原住民です」
「言い方!」
翻訳の薬のせいか地なのか。
「うぉほん……えぇっと、こちらの男が、私が厄介になっているモリヤ家の嫡男・ユウゴと言います。そしてその横にいるのが、彼の友、マサカ・クマイです。」
「なるほど。私はユーグ・ルセブル。今はイルバンヌ城主の近衛として務めている」
「よろしくお願いします」「よ、よろしくお願いします」
それぞれと握手をする。ゴツゴツとした手のひら、そして滲み出るオーラはまさに“武人”と呼ぶに相応しくあった。
「アニエス。この世界のこと、今の状況はどうなっているか説明しろ」
「はっ――まずこの世界には魔物はいません。今いるのは、サンドラが貨幣として流通させた〈チップ〉を、〈殴り猿〉が喚び出したものばかりです。ちなみにかつて持ち逃げされたものです」
「さらっと私に責任押しつけんな」
先輩の言う通りである。
こいつは自分に非がないよう仕向ける癖があるようだ。
「そしてここは学び舎――ユウゴとマサカの二人が通っております。二人はサンドラを中心に、防衛隊としてこの魔物の退治を行っています」
「なるほど。そうであったか」俺たちに向かって、ユーグさんは小さく頭を下げた。俺たちも同じように頭を下げると、再びアニエスに向き直った。「厄介な魔物はおるのか?」
「デュードが。この域内のどこかにテリトリーを張っているものと思われます」
「ふむ、デュードか……。我々が探し求めるほど、姿を現さぬやつだからな」
「ですが抑止にはなります。奴が民に攻撃を加えぬよう、街中を周っておりますので」
「うむ」
よくやったと言うように頷くと、次はファントムに目を向けた。
〈私は今、ユウゴ殿に使役されてます〉
「そうか。まぁお前がついていた方がよいだろう」
しばらく沈黙を挟み、ユーグさんは「わかった」と皆に告げるように言った。
「私もしばらくこの地に留まり、手を貸すとしよう」
「ならば、私が厄介になっている家にどうぞ!」
「おい……」アニエスではなく、俺に決定権があるはずだ。
俺とアニエスはユーグさんを伴い、家へと向かう。
霧島先輩は正佳を送るため、途中で別れた。その別れ際に、
――デュードの件、私は協力致しませんので
我が街から早く追い出して下さいと、毅然とした声で自分の意思を表した。
傅くのは義務的なもの。このストイックさに思わず感心してしまう。参加するかの意思表示は向こうのきまりでもあるらしく、ユーグさんもこれに『承知した』と言葉短く返事をするだけだった。
霧島先輩の家は格闘術で名を馳せ、向こうでは街一つを支配するほど豪商だったと知る。
「――え、アニエスと霧島先輩、サンドラさんって学友だったんですか?」
「そうだ。獣剣アニエス、黄金の手サンドラの二人は有名だった」
学校からの帰路。陽が傾き始めた道路の上で、ユーグさんはアニエスに確かめるような目を向けた。
「同じ飯を食べたのは学び舎に通っていた二年だけですね。武闘会を終えてから次に会ったのは、商売の話を持ちかけてきた日だったと思います」
それは、『久しぶり! 同じクラスだった○○だけど、今度会わない?』からの、『今こんな仕事してるんだけどさ』と、持ちかける典型的なアレではないのか?
「思い出したが、持参金はいかほど貯めてあるのだ?」
「う……。まだ二百万ザンほどであります……」
「少ないな。まだ侯爵家の嫁にゆくつもりなら八百万は必要だ。必要になれば用立ててやるが、最低でもあと四百万ザンは貯めておけ」
「は、はい……」
アニエスは小さな声で『誰のせいで……』と言ったような気がした。
二人の会話に割り入ることはしなかったが、会話の内容から、結婚時に持参金なるものが必要になるのだと分かった。そしてその金をすべて、霧島先輩に騙し取られたのだろう。
「ところで、この街に研ぎ師はいるか?」
「ええ、おります。私もそこで剣を研ぎ直してもらいました」
「そうか。一仕事終えてから直接向かったので、直さねばならなかったのだ」
「兄上もでしたか! 私はオークをぶった斬ってからでしたが、兄上は何を?」
「ワイバーンだ。ガーナー城の近くで巣を作っていてな、四名やられたが何とか殲滅した」
「ワイバーン! ああ、私も行きとうございました……!」
再会を喜ぶ|(?)兄妹の会話を聞きながら家に向かう俺は、頭の中で新たな居候のことをどう話すべきか考え続けていた。
だが、あまり深く考える必要がなかったのかもしれない。
家に帰り、簡単な事情を話すやいなや、
「ああ。どうぞどうぞ、女やもめのところですが」
予想に反し、母は実にあっさりとユーグさんを家に上げたのである。
だが家に上がった時、後ろにいたアニエスが『しまった……』と呟いた気がした。




