表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/36

1.猿ビンタと異世界からの女

 寝ていたところをビンタで起こされる、なんてことは誰にでもあるだろう。

 そして一生に一度ぐらい、人ではなく猿に起こされることもあるだろう。


「ウキッ!」


 あるだろうか?


「……」


 あるのかもしれない。

 俺はそう結論づけ、薄らと開いた目を閉じた。……が、


「キッ!」


 パシッと音と共に、頬に小さな痛みが走った。

 俺はまた目を開く。

 藍色の夜の中。やはりそこには、胸の上で馬乗りになり、満面の笑みを浮かべる猿がいた。

 顔はニホンザルに近いが身体はそれより一回り大きい。どこかの軍団から逃げてきたのか、赤いベストを羽織っている。


「なんで――」

「キッ!」猿は再びビンタする。こちらの質問は許さない、と言うかのように。

 理不尽さと混乱の中、猿は俺の寝間着の襟首を掴みながら真横の窓を指さした。誘導されるように目を向けるが、そこは網戸が閉じた一般的な窓しかない。

 だが、言わんとしていることは分かる。


「……開けろ、と言うのか?」

「ウキッ!」


 猿は返事をした。反抗すると喉笛を噛みちぎられそうなので、命じられるまま腕を伸ばし網戸に指をかけた。

 金属が摺れる耳障りな音と共に、新鮮な夜の光が広がりを見せてゆく。半分ほど開かれると猿は俺から離れ、嬉しそうに窓の縁に手をかけた。

 目の前の出来事が現実なのか。俺は頭だけを持ち上げ確かめるも、目に映るのはやはり猿であった。赤いベストの背には、薄紫色の宝石が輝くステッキが据えられていることに気づいた。

 ひょっとしたら猿使いによる、新手の押し込み強盗なのか……?


「……」


 目は無意識に机の上の財布に向いていた。


「キ?」


 妙な動きに気付いたのか。猿は縁に手をかけたまま、反射的に振り向いていた。

 そして、机の上のそれに気付いたらしく――


「キキキーッ♪」

「ま、待てっ! それだけは――ぶッ!?」


 腕を伸ばすが猿はまたビンタをし、目にも留まらぬ早さで財布をひったくる。

 そして身軽に窓から飛び出し、夜の向こうに消えてしまった。


「……」


 呆然と、猿が消えた藍色の向こうを見つめるしか出来ない。

 しばらくしてから、網戸を閉め、窓を閉め、施錠をし、掛け布団を顔まで被った。

 今は六月の末。布団の中が汗ばんでくるが、そんなことに構っていられない。

 とりあえず寝て、『これは夢だった』となっていればいいのだ。再び瞼を閉じ、深く息を吐いた。


 しかしそれから、幾ばくもしない頃――。


『Ghw !?』


 背後の方から、どすっ、と何かが落ちた音がした。


『B , Bn nrdym......』


 侵入口を調べていなかった。物音からして進入路は屋根裏、やって来たのは猿の飼い主だろうか。布団にくるまっていてよく分からないが、たぶん外国人のようだ。


『N......?』


 侵入者はベッドの上の俺に気付いたらしい。背後から、チャリ、チャリと金属音を立てながら歩み寄ってくるのが分かった。

 不意打ちに布団をかぶせて、その隙に逃げようと思ったが、武器を携行しているとなるとそれも危険だろう。

 となれば――


『Hy !!』


 寝たふりをしよう。


『Hy !! Hy !!』


 身体を揺さぶられる。

 声からして若い女のようだ。深夜、部屋に忍び込んだ異国の女の子に起こされる、なんて夢のようなシチュではあるけれど、今は夢であって欲しい状況だ。


『Hmm......』


 女は小さく唸った。そして衣擦れのような音を立てたかと思った矢先、左側頭部に硬いものが乗せられ――


 ゴリュッと音と共に激痛が走った。「うぎゅああッ!?」


 飛び起きるとそこに、右脚を上げた状態の女が立っていた。

 鉄靴のようなものを履いていて、その(かかと)でプロレス技よろしくとばかりに擦られたのだろう。どこかの世界ではご褒美かもしれないが、今の俺には拷問である。


「な、何するんだ馬鹿ッ!?」


 じんと痛む左側のこめかみを押さえながら、女を睨みつけた。

 年は二十代半ばぐらい。つばの広いハットから金髪が流れ、革の肩当てがついた丈の長い上着、そしてその腰から剣と思われる柄が覗いていている。―― 一言で現せば、ファンタジー映画に出てくるような格好だった。


「Br Mymn !! Mymn nry gtt !!」


 陰影がハッキリした鋭い目をつり上げ、俺の胸ぐらを掴みながら強くまくし立てる。


「ぶ、ぶら……?」


 英語ではない。外国語は明るくないけれど、まるで聞いたことのない言語だった。


「Gmm......」


 言葉が分からず困惑しているのが伝わったのか、顎に手をやり歯がみしている。

 しかしすぐに


「H , b d ? rw !!」


 と思い出したように、腰に据えてあるポーチから細長い小さな筒を取りだし、それをぐっとあおった。

 苦虫を噛みつぶしたような顔をした後、女はゆっくりと口を開いた。


「あー、あー、言葉が分かるか?」

「えっ!? あ、ああ、わ、分かる!」


 何と先ほどとはうって変わり、彼女は流暢な日本語を喋り始めた。


「よし! お前に聞くが、ここに猿が来たか?」

「き、きた!」

「そうか!」彼女は声を弾ませ、剣に手をかけた「それはどこにいる!」


 俺はおそるおそる窓を指差す。「外に出たがっていたので……」


「何だと?」


 薄ぐら闇の中でも彼女の表情が険しくなってゆくのが分かった。

 そして突然また、両手で俺の胸ぐらを掴み上げ、


「猿の言いなりになったのか! 男のくせに、抵抗もせず!」

「猿ビンタで起こされたら誰だってそうなるわ!」

「ぐぬぬぬぬ……!」


 悔しそうに襟首を締め上げられる。

 されるがまま不快な息苦しさを味わっていたが、埒があかないからか、突然ふっと緩められた。


「……奴は、〈喚び出しの杖〉を持っていたか?」

「〈喚び出しの杖〉……? む、紫の宝石がついたステッキなら……」


 聞くなり彼女は「くそったれ!」と呪詛を吐き、手袋越しに親指の爪をぎりぎりと噛み始めた。

 しばらくそうしていたが、彼女はやがて部屋を見渡し始めた。


「しかし、ここはどこなのだ? 狭くて臭いが」

「う、うるさい! 勝手に部屋に侵入しておいて、人の部屋にケチをつけるな! てか、何モンだお前は!」

「む、人に名を尋ねる時は先に名乗るのが筋であろう」

「俺は守屋(もりや) 祐護(ゆうご)だ」


 自己紹介すると彼女は真っ直ぐ居直り、胸に握り拳を当てた。


「我が名はアニエス・ルセブル。レヌ領・トャーランの出、今はルネケラズの国境警備に努めている」

「る、ルネ……?」

「知らんのか? まぁ、かなり辺鄙な場所だからな」


 アニエスと名乗った彼女の言う国名は、恐らく地球上には存在しないだろう。それは身なりからして分かる。

 仮に『映画の撮影中だ』と言われれば納得もゆくが、先ほどの剣幕からしてそうとは思えない。


「それで、ここはどこなのだ? 湿っぽいが、クラディア地方ではあるまい」

「え、えぇっと、何と言うか……に、日本?」

「ニホン? 聞いたこともない名だ。――お前の着ている服が、ここで着られているものか?」

「服? Tシャツのことか?」

「“てぃーしゃつ”と言うのか。チュニックにしては薄いし、そこに奇妙な絵を描くなど見たことがない」


 アニエスはベッドに膝を乗せたかと思うと、おもむろに俺のシャツの裾を握り締め始め、


「ちょ、ちょっと!?」脱がせようとしてきたのである。

「ええい動くな! 何も身ぐるみすべて剥ぐわけではないのだ!」


 目的のためなら手段を選ばないのかもしれない。

 乱暴に胸元までまくり上げられ、いよいよ剥ぎ取られると思ったその時――


『祐護。アンタ何騒いでいるの!』


 部屋の外から、母の不機嫌そうな声がした。

 そして、「もう夜中の三時――」と言いながら、部屋の扉を開いた。


「……」目の前の光景に固まる俺。

「……」目の前の光景に固まる母。

「……」誰だ、と言う目で睨むアニエス。


 ほんの数秒のはずなのに、何分も、何十分も過ぎているような錯覚を起こしている。


「ちょ、ちょっと防衛戦を……」


 寝起きと混乱で、そう言うのが精一杯だった。

 しかし母も理解したのか、アニエスを一瞥して小さく頷いた。


「タイトルは奪われるものよ」

「違う!? そっちの理解は示さなくていいから!?」


 母は聞く耳持たず、優しくそっと扉を閉めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ